私はスピリチュアル系の本はそれほど積極的には読まないのですが、例外的にジェームズ・レッドフィールドの「聖なる予言」のシリーズは、4冊ともすべて読んでいます。特に第1作の『聖なる予言』は、少なくとも5回は読んでいると思いますし、第2作・第3作も複数回読んでいます。
数ヶ月前から、「聖なる予言」シリーズ、特に第4作にあたるこの『第十二の予言』を読み返したくなり、それこそそういう思いは「聖なる予言」的に無視してはいけないので、読んだ次第です。
↑単行本
しかし読み始めて、ちょっとうんざりしました。いや、内容以前に山川紘矢・山川亜希子夫妻の訳があまり良くないのです。このご夫婦の訳が上手ではないのは承知しているとはいえ、読んだ中でも一番下手かもしれない。
登場人物たちが山を登っているのか下っているのか分からなくなったり、日本語にするのを放棄して英語のままで使っている用語の意味が、よく分からなかったりするのです。「読もう」という意志をもって読んでいるのでなければ、途中で読むのをやめていたと思います。
上記のとおり、「聖なる予言」シリーズは繰り返し読んでいるのですが、今作だけは購入時に読んで以来、読み返していませんでした。その理由は、アメリカでは2011年2月に出た今作が、翌月の東日本大震災と原発事故を、ある意味で予言していたことです。
日本語版が出たのは2011年12月で、私は発売後すぐに読んでいますが、いろいろな意味でやるせない思いに駆られたものです。
この部分は、今読み返してもちょっと辛いです。友人たちのご親戚を始め、あの震災の犠牲となった方々の話を聞いているので。
あれから11年経ち、ようやく読み返す機が熟したのかもしれません。今作の中のある部分を、特に読み返したいなと思ったのもありますが。
例のごとく、備忘録代わりに心に残った部分を抜き出しておきます。
言っていることには同意しますが、本書を読んでいると、ジェームズ・レッドフィールドが一神教、特にキリスト教を結局は一番良いと思っているのは明らかで、それがちょっと気に食わないところです。個人的には『新・蔵王権現入門』の記述の方が納得がいきます。
本書によれば、イスラーム教の十二イマーム派にも同じような考えがあるそうですが、「正しい」信仰を持っている者だけが困難から守られると言っているようで、ちょっと抵抗があります。
現代の情勢に当てはまってしまい、何だか怖いです。
読み終わって思うのは、書いてある内容としては今の時代に必要なことだと思う反面、発売された当時に、人々の意識がもっと変わっていれば、今はもうちょっとましな時代になっていたかもしれないということです。
でも、意識を変えるタイミングとして、まだ今からでも遅過ぎはしないと思うし、そう信じたいです。
見出し画像には、今作の舞台の1つであるセドナの写真を使わせていただきました。
↑文庫本