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【読書】「知らなかった」では許されない~『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』(岡真理)~

同僚に紹介されて読んだ本です。

↑kindle版

2023年10月20日の京都大学での講演と、10月23日の早稲田大学での講演を収録したもので、当然ながら内容に重複があります。でも2度語られるからこそ、事態の深刻さが心に染みてきます。


「はじめに」にあった、現在のガザについての報道は「出来事を報道しながら、その報道によってむしろ真実を歪曲、隠蔽するという、エドワード・サイードが『カヴァリング・イスラーム』と呼んで批判した『イスラーム報道』の典型」(p.4)という指摘に、目を開かされる思いでした。

パレスチナで起こることは双方の憎しみが原因で、それゆえに暴力ばっかり起きていて、どっちもどっちだ、といったスタンスで距離を置くことによって、私たち市民までも、今、自分たちの目の前で、同じ地球上で起きているこのジェノサイドの共犯者になっているのです。
(中略)イスラエルという国家が入植者による植民地国家であり、パレスチナ人に対するアパルトヘイト国家(特定の人種の至上主義に基づく、人種差別を基盤とする国家)であるという事実です。
(中略)そうした歴史的事実をしっかりと報道しないことによって、主流メディアは問題の根源をむしろ積極的に隠蔽していると言えるのです。

p.24



これまでイスラエルは、数えきれないほどの戦争犯罪、国際法違反、安保理決議違反を続けてきましたが、それを国際社会はひとたびもきちんと裁いてきませんでした。イスラエルに対する不処罰、イスラエルのやっていることは不問に付すという”伝統”が国際社会には形成されているのです。
これをウクライナと比べてみてください。ロシアによるウクライナ侵攻で、国際刑事裁判所はすぐに動いて、プーチン大統領に対して戦争犯罪の容疑で逮捕状を出しました。

p.24~25

この指摘の意味も、重いです。


イスラエルによるパレスチナ住民への攻撃の実態も、分かっているようで分かっていませんでした。

現在の攻撃で、イスラエルは白リン弾を使っています。白リン弾とは照明弾の一種で、空気に触れている限り鎮火しません。肌についたら、骨に達するまで肉を焼き尽くしていきます。一度吸い込んでしまったら、肺を内側から、体の中から焼き焦がしていくという非人道兵器です。〇八ー〇九年の最初の攻撃でイスラエル軍はこれを使い、多くの方が亡くなりました。

p.32

イスラエルは、意図的に若い人たちの足を狙います。榴散弾と言って、弾丸の中に小さな弾がたくさん入っていて、着弾の衝撃でそれがわっと出るものとか、バタフライ・ブレットといって着弾すると弾頭が裂けて、複数の刃物のようになるものなど、国際法上使用が禁じられている武器を利用します。(中略)被弾すると脚を切断するしかない。片脚、場合によってはもう片方の脚も狙撃されて両脚を切断する若者が、この時、たくさん生まれました。イスラエルは、射殺するのではなく、むしろ、とりわけ若い人たちに一生障害を負わせるために脚を狙撃する、そういう戦略を積極的にとっています。

p.131

付け加えると、医薬品が慢性的に不足しているガザでは、脚を切断する際の麻酔もありません。


なお、『ビッグイシュー日本版』の2024年1月1日号に、イスラエルがパレスチナの子どもを狙う理由が書かれています。


二〇〇〇年から〇四年にかけてエルサレム特派員をしておられた鴨志田郷解説員が、帰国してから他の仕事に忙しくて、パレスチナ、イスラエルに何も関われなかったと、そのことに対する自責の念を口にしておられました。私はその鴨志田さんの表情を見ていて、これは彼の偽らざる率直な、正直な、お気持ちなんだと感じました。なぜなら今、私自身、同じ気持ちで自分を責めているからです。
私はこの間、何をしていたんだろう。攻撃が起こるたびに、「忘却が次の虐殺を準備する」「私たちはどれだけこの恥知らずの忘却を続けるんだ」と訴えながら、でも攻撃がない時、いったい自分はどれだけガザのことを世界に伝えようとしてきただろうか。

p.135

岡さんのこの言葉は、私自身にも当てはまります。私は2008年末から2009年にかけてのガザへの攻撃の際は、授業を通して生徒に、今ガザで何が起きているのか、その背景は何かを伝え、虐殺を止めるために出来ることはしてほしいと訴えました。でも私は2011年11月の攻撃も、2014年の攻撃(五十一日間戦争)のことも、覚えていません。もちろんその時にニュースは観て、心は痛めたのでしょうけれど、忘れてしまったわけです。言い訳にもなりませんが、2021年の攻撃の際は、また生徒にガザのことを伝えました。昨秋(2023年)も。


ガザとは何か。
ガザ、それは巨大な実験場です。
イスラエルの最新兵器の性能を、実践で実験するところ。大規模攻撃を仕掛ければ、世界のニュースがそれを放映してくれる。ガザは、その兵器の性能を実演して見せるショーケースです。新兵器の開発で用済みになってしまう古い兵器の在庫も一掃できる、ガザはそういう便利な場所です。
(中略)
百万人以上の難民たちを閉じ込めて、五十年以上も占領下に置き、さらに十六年以上完全封鎖して、食糧も水も医薬品も、辛うじて生きるのに精一杯という程度しか与えないでいたら、人間はどうなるか、その社会はどうなるか、何が起こるのか、という実験です。
(中略)八割の世帯が食糧援助に頼らざるを得ない状態で、国連や国際支援機関が配給する小麦粉や油や砂糖といったものを大量に摂取することで辛うじて生命維持するためのカロリーを賄っている。
炭水化物や油を大量に取っていたらどうなるか。今、糖尿病がガザの風土病になっています。

p.135~136

現在、その食糧援助すら充分に出来ず、ガザの住民は飢餓状態に陥っています。


他者の人間性の否定、それこそがヒューマニティの喪失であり、人間であることを自ら手放すことです。

p.145

人間であるため、私はガザに生きる人々が人間であり、今も苦しんでいることを忘れません。


よくガザは「天井のない世界最大の野外監獄」だと言われますが、今の状況は監獄どころではないです。囚人が無差別に殺される、こんな監獄ありますか。少なくとも十月七日以降のガザを「世界最大の野外監獄」と言うのは間違っています。監獄でこんなことは起きないです。もはや絶滅収容所です。

p.179

ナチスによるユダヤ人絶滅計画を経験したユダヤ人が、同じことをパレスチナ人にするとは、ありえないことです。


今回、日本も十五億円の人道支援をすぐに表明しましたが、これまでもそうでした。政治的な解決を放っておいて、破壊されるたびに復興支援や人道援助だけをしても、また次の攻撃で破壊される。私たちの税金が、これまでずっとそんなふうに使われていることにも、私たちは怒らなくてはいけない。十何億円支援したって、次の攻撃があれば、また瓦礫になってしまうのです。
もちろん、今生きていくためにはそうした人道支援は不可欠です。でも、封鎖や占領という政治的問題に取り組まずに、パレスチナ人が違法な占領や封鎖のもとでなんとか死なずに生きていけるように人道支援をするというのは、これは、封鎖や占領と共犯することです。だから、政治的な解決をしなければいけないんです。
南アフリカのアパルトヘイトに対して、世界は、人種差別をしている白人至上主義、白人政権の南アフリカとは貿易しないと決めました。でも、世界がアパルトヘイト廃絶のためにボイコットした南アフリカの市場で、競争相手がいないのをいいことに、製品を売りまくったのが日本です。

p.179~180

長い引用になりました。痛すぎる指摘ですが、真剣に考えねばなりません。


イスラエルは、莫大な国家予算を投入して、世界規模で市民社会に対してプロパガンダを行っています。これを公共外交(パブリック・ディプロマシー)といいます。外交は普通、外交官同士、国同士が、政府レベルでやるものですよね。しかし、イスラエルは世界の市民をターゲットにして、自国の国益に利するような、フェイクも含む情報をいっぱい広報しています。そのための特別な機関を作り、国家予算を投入しています。

p.186

例えば「イスラエルの人権侵害の犯罪を告発する者たちは、イスラエルにとってテロリスト」(p.178)です。


何かしなければといっても、とりあえず私に出来るのは、募金くらいです。募金なんて自己満足とか、いろいろご批判もあるかと思います。でも自己満足でも何でも、そのお金が集まれば、食糧を配布できたり、医療を提供出来たりできるのです。もちろん上記の通り、本当に必要なのは政治的解決ですが。


とりあえずご参考までに、日本ユニセフ協会と国連WFP(世界食糧計画)のリンクを貼っておきます。どちらの団体もお好きではない方は、国境なき医師団など、他にもガザへの緊急支援を行っているところは、いろいろあるかと思います。


うろ覚えなので、正確ではないかもしれませんが、こんな話があります。戦後、ナチスによるユダヤ人迫害の実態が明らかになった時、あるドイツ人は「私たちは知らなかった」と言って、泣いたそうです。それに対し、生き延びたユダヤ人は言いました。「いいえ、あなたたちは知っていた」と。私たちも、ガザのことを「知らなかった」と言うことは、許されないのではないでしょうか。

以下の記事にも書いたように、私はガザの住民側の視点から、この問題を捉えたいです。


パレスチナ問題について小学生・中学生向けに書かれたのが、以下の本です。分かりやすさを優先するあまり、やや正確さを書いている部分もありますが、導入としては悪くないです。


見出し画像は、東京ジャーミーで撮った『コーラン』です。イスラーム教は、本来は平和の宗教です。テロ行為は、いかなる理由があっても正当化することは出来ませんが、イスラーム教を信じる彼らが、なぜテロ行為に走らざるをえないのか、その背景を知らずに、彼らを非難することは許されないと思います。


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margrete@高校世界史教員
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