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【読書】戦争にはお金がかかる~『旗指足軽仁義 三河雑兵心得(弐)』(井原忠政)~
2巻に入り、茂兵衛の仕官先は、国衆の一人である夏目次郎左衛門から国守の家康に変わり、本多平八郎の配下に配属されました。ただの足軽から武将の旗印を掲げる旗指足軽となり、じわりと出世しています。
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足軽仲間たちはいつしか、茂兵衛の指示を仰ぐようになっています。戦術的視点だけではなく、戦略的視点も身につけつつある茂兵衛が、このまま少しずつ出世していくことを思わせます。
今巻で印象に残ったこと。
ず、ずらって……どこの訛りだら?
これは笑いのツボにはまりました。「だら」だって、充分訛っているよ。
足軽も侍も、いわば個人事業主だ。手柄を挙げることで、加増されたり、出世したりする。だから将兵は命を懸けて戦う。ところが今回のように、滅私奉公を求められる戦が稀にあるのだ。
(中略)明日だけは「滅私奉公で戦ってくれ」と事実上家康は家来に頭を下げているのだ。武田が動き、徳川が敗れると、三河は蹂躙され、茂兵衛たちは奉公先を失うか、殺されるかする。目下の主従の利害は一致しているから、少なくとも明日の「討ち捨て」は粛々と実施されるだろう。ただ、こんなことが幾度も続けば、誰も徳川の旗の下では戦わなくなる。
「討ち捨て」とは、敵の首級を獲らないことです。茂兵衛は首を獲ることに嫌悪感があるので、ある意味討ち捨ての命令は歓迎なわけです。でも首を獲らねば敵を倒した証明にならないわけで、だからこそ同僚の辰藏は「討ち捨て」の命令を「只働き」と表します。将兵共に滅私奉公で戦っていたように思うのは、大間違いなわけですね。まさに個人事業主。
往時の軍隊の進軍速度は、日に五里(約二十キロ)が目安となる。
(中略)余談だが、二十世紀の旧日本軍の進軍速度も、果ては、古代ローマの重装歩兵隊のそれも大体同じで、日に二十キロからに二十五キロほどだった。人間の営みなぞというものは、千年や二千年で大きく変化するものではないということなのだろう。
ちなみに、後年評判をとる秀吉の「中国大返し」は、強行軍の代名詞、金字塔のような言われ方をされるが、これは約五十里(約二百キロ)を十日で走破している。日に直せば二十キロで、さほどに速くはないが、それを延々と十日間も続けさせたところが金字塔の金字塔たる所以だ。
ほほう。
六合分の干飯、味噌二勺に塩が一勺――これが足軽一日分の糧食となる。
一日六合!? 宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」が一日あたり玄米四合ですが、戦国時代の足軽は一日六合かぁ……。
木曽川、長良川、揖斐川が流れているから「三河」なのだと、初めて認識しました。
五千人の将兵が行軍するということは、その一割は騎馬武者だろうから、五百頭からの軍馬が同道しているということだ。馬一頭の飼料は、日に大豆二升に糠二升で、重量は一貫半(約五・八キロ)にもなる。
五千人と五百頭分の食料を如何にして運ぶか。
それには、軍勢とは別に専門の小荷駄隊(輸送隊)を、将兵軍馬とほぼ同数だけ組織せねばならない。つまり今回の近江遠征に同道する小荷駄隊は、陣夫五千人に駄馬が五百頭の規模となる。
夏の太陽の下を、将兵が五千に、荷を運ぶ陣夫が五千、軍馬が五百頭に、さらに駄馬が五百頭――一万人と千頭の大行列である。その光景、想像を絶しはしないか。
絶します。
戦国期の兵站は、人と駄馬が担っていた。大八車が登場してくるのは江戸期に入ってからで、そもそも京とその周辺の先進地域以外は道が極めて悪く、車輪を使うこと自体が困難を伴った。
日本で馬車が発達しなかった理由はこれかと、納得がいきました。
往時の当世具足は大分軽量化されてはいたが、槍や刀、時に鉄砲などを含めれば五貫(約二十キロ)にもなる。裸同然で荷を運ぶ陣夫も、同様に五貫(約二十キロ)ほどの荷を担いで歩くと目途を立て計算してみる。
一人一日分の食料が六合分の玄米、味噌二勺に塩が一勺で重さが計一キロあるとして、一万人なら(当然、陣夫にも食べさせねばならない)一日十トンを消費する。五千人の陣夫が運べる荷の重量は百トンほどだから、ざっくり食料は十日分だ。茂兵衛たちが個人として六日分を携行しているので、合わせて十六日で、それを超える長陣となれば、後は現地調達しかあるまい。⑦一万人の軍勢が、一万人の飢えた野盗の群れへと豹変しかねない――嗚呼戦国、南無阿弥陀仏。
長い引用となりましたが、戦争には食料だけでもどれぐらい必要かがよく分かります。これに加えて、弾薬なども当然必要なわけですから、いかに戦争にお金がかかるかということですね。
ようやく出世への意欲が出てきた(出ざるを得なくなった)茂兵衛が、ここからいかに成長していくかが、楽しみです。
見出し画像には、「みんなのフォトギャラリー」から掛川城の写真をお借りいたしました。今巻では、掛川城攻めが主題なので。
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