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【読書】すべては中道の精神で~『半分、減らす。―――「1/2の心がけ」で、人生はもっと良くなる』(川野泰周)~

アマゾンのPrime Readingを利用して読んだ、5冊目にあたります。現在、ゆる~く断捨離に取り組んでいるので、どうしてもこういう題名の本がアンテナに引っかかります。

↑kindle版


著者の川野泰周さんは、精神科の医師にして禅僧という方なので、仏教の話をベースに、2分の1の心がけが語られます。

なぜ「2分の1」かというと、仏教でいう中道が良いからです。どちらにも偏ってはいけない。ため込むのはもちろん良くないけど、捨てることにこだわることもまた、良くないというわけです。そういう意味で、ミニマリスト的考えとは、一線を画しています。

以下、心に残ったことを備忘録代わりにまとめておきます。なおページ数は、kindle版のものです。


「注意資源」とは、人間が一度に使うことのできる注意力のこと。注意のエネルギーの全体量のことを指す言葉です。(中略)
人間が一度に使うことのできる注意力の量は有限なのです。
だから部屋に物がたくさんあると、たとえ意識はしていなくても知らず知らずのうちにそれらの物に少しずつ注意を奪われてしまいます。
その結果、目の前のことに集中したくても注意が散漫になり、脳の情報処理のスピードも遅くなって、肝心の仕事に集中するだけのエネルギーを確保できなくなってしまうのです。

p.38

これにはドキッとしました。机の上がごちゃついているから、仕事に集中しきれず、いろいろあれをやったり、これをやったりしてしまうのか……。まずは机の上を、片づけるところからですね。


バンバン物を買うのも、バンバン物を捨てるのも、同じくらい気持ちが盛り上がることがあるのです。(中略)
「中道の精神」を尊ぶ仏教的観点に立つと、「高揚感」に引き込まれるようにして行動してしまうことは、たしなめられるべきこととされているのです。
なぜなら、一時の気持ちの盛り上がりにまかせて行なったことは、だいたいあとで悔やむことになってしまうからです。

p.48

これ、分かる気がします。2年ほど前にも、断捨離の波が来たことがあったのですが、その時処分したCDの中に、「なぜ手放したんだろう」と思っているものがあります。かといって、もう一度買い戻すほどのものではないし、その分スペースは空いたのだから、良いといえば良いのですが、ちょっと手放すタイミングを間違えたのは事実です。

だからというと、川野さんの言葉を言い訳に使っているようになりますが、今回の片づけは少しずつ進めています。


不要な物だけでなく、心のエネルギーまでも断捨離してしまうことは、避けなければなりません。
物を買うときも、捨てるときも、いずれの場合も行動に出る前に、自分自身に「待った!」をかける必要があります。

p.51


捨てる物をその日のうちにゴミとしてまとめずに、いくつかの段ボール箱を用意し、そこに「分ける」形で整理するのです。

p.58

なるほど。


物に対する「ありがとう」の思いが、物を捨てすぎず、ためすぎず、中道の精神に則った「半分、減らす」を実践することにつながるはずです。

p.64

これは私、やっています。ゴミの袋を集積場に出す時は必ず、「ありがとう。もっと良いものになって帰ってきてね」と語りかけています(心の中で)。


いつも重いカバンを持ち歩くのが習性のようになっている方は、ぜひ「半分、減らす」をメドに荷物を減らしていってみてください。(中略)
玄関を開けて靴を脱いだらまず、「持って行ったけど、結局は使わずに持って帰ってきた」という物から省いてみる。おそらく、「半分」どころか、もっとたくさんの持ち物を減らして、カバンを軽くすることができるのではないでしょうか。

p.71

これ、苦笑しました。まさしく私、カバンが重いです。この本を読むよりも前に、年度替わりを機に仕事用のリュックから、「持ち歩いていたけど、結局使っていない」書類を出しました。そうしたら、決して大量に出したわけではないのに、リュックが軽くなったんですよね。多分まだ、必要のない書類が入っていると思うので、またチェックしなければ。


いまのハチ公前では、誰もが下を向いてスマホを見ています。ところが一九九〇年のハチ公前では、誰もが前を向いていたのです。幾人かいる下を向いた人も、スマホではなく本や雑誌を読んでいました。
たった三十年の間に、私たち人間の「姿勢」が大きくゆがめられてしまったことがわかります。

p.148

三十年。実は今、約三十年前の大学時代のノートやプリントの片づけに手を付けており、当時と変わってしまったこと、変わらねばならないのに変わらなかったことに思いをはせることが多いので、上記の一節が印象的でした。


私たちが心がけるべき一番重要なことは、「PCやスマホに振り回されない」ことです。
油断していると、スマホを使っているのではなく、スマホに使われてしまいます。先にもお話ししたように、「人生の主人公」の座を奪われないようにすることが大切です。

p.156

本当に。なお「主人公」が禅語というのは、初めて知りました。


振り返れば以前は、ネットで情報を集めることを「ネット・サーフィン」といいましたよね。主人公である自分から、能動的に情報の波に乗っていく感じでした。
でもいまは、自分が主人公であることを忘れて、情報に対して受け身になっていることが多いのではないでしょうか。
自分の意志はどこへやら、ネットに広がる情報の海をただ漂流しているようです。私はそれを「ネット・ドリフティング」と呼んでいます。
ネットで情報を取るときは、「ネット・ドリフティングではなく、ネット・サーフィンを楽しむ感覚でやろう」と思うといいでしょう。

p.158

はい、ネット・サーフィンを心がけます。なお川野さんが引用している『スマホ脳』のレビュー記事は、以下の通りです。


複数の仕事が一定期間、同時に進行していたとしても、「いま・ここ」で意識を向けることができるのは一つの作業だけです。
いくつ仕事を抱えていようとも、意識のうえでは「マルチタスク」ではなく「シングルタスク」――そんな感覚で仕事を進めるようにしています。それが、私のいう、「マルチタスクのシングル化」です。

p.186

これを心掛けたいと思います。でもつい、いろいろなことに意識が向いてしまい、すべてが中途半端になってしまうですよね……。


仕事で重要なのは、前に触れたように、自分が「主人公」になって取り組むことです。(中略)
仕事を半分減らす――それを実現するためにも、ここは”なんでもおもしろくやろう、の精神”でいきましょう。いわば意識改革です。

p.190

なるほど。ちょっと反省しました。コロナ禍の休校に伴い、職場がチームズ等を導入したことにブチ切れている場合ではなく、面白がる姿勢が必要だったのですね。


書かれていることすべてに納得できるわけではありませんが、いろいろなことの多さに疲れてしまっている人には、一読に値する本です。


見出し画像は、横浜の元町にある厳島神社で撮った花手水です。


↑文庫版




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