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【読書】歴史は書き直されなければならない~『中学生から知りたいパレスチナのこと』(岡真理、小山哲、藤原辰史)③~

『中学生から知りたいパレスチナのこと』の備忘録兼、感想を記した記事の第3弾です。

↑kindle版


イスラエルは、東欧の旧ロシア帝国領のユダヤ人が入植してつくった国ですが、現在の人口では、アシュケナジーム(中欧・東欧出身のユダヤ人とその子孫)は三二パーセントで、エスニック・マジョリティはヘブライ語で「ミズラーヒーム」と呼ばれる東方系ユダヤ人です。イラクやモロッコといった中東・イスラーム世界のアラブ系だったり、マグレブ(北アフリカのリビア以西の地域)のベルベル系、トルコ、イランの人たちが四五パーセントを占めています。そのほかに、エチオピアやインドなどいろいろなルーツがあります。
もっとも人口が多いのはミズラーヒームですが、小山さんの講義に触発されて歴代のイスラエル首相を確認したところ、現在のネタニヤフにいたるまでずっと、全員がポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、リトアニア、ルーマニア、ユーゴといった東欧の出身者やその二世だとわかりました。

pp.190-191

ユダヤ教の教えは本来、戦うこと、暴力を否定します。暴力を振るわないことこそが人間の勇気だと教える。軍や国家をもってはいけないというのが、すくなくとも紀元後のラビ・ユダヤ教の教えでした。(中略)しかし、ポグロムがある社会でユダヤ教の教えにしがみついていたら、自分たちは殺されるしかないという考えが生まれ、人びとは暴力を是とする革命へと駆り立てられていきました。
ラブキンさん(引用者注:ヤコヴ・ラブキンさん)は、東欧の人びとの、暴力によって社会を変えようとするメンタリティが、今のイスラエルの在り方にいったいどこまで影響しているのかを学術的に検証すべきだと述べています。入植者植民地主義とはまたちがう角度からイスラエルに光を当て、イスラエルという国家がパレスチナ人に対して暴力を振るいつづけていることと、東欧出身のユダヤ人が現在に至るまでイスラエルの政治的・軍事的なリーダーでありつづけ、東欧の近代の歴史のなかで彼らの思想的祖先たちが革命的暴力に魅入られていったことに、つながりがあるのではないかと示唆しています。

pp.193-194

建国以来、イスラエルのトップにいるのがすべて東欧出身とは知らなかったので、確かにこの問題は考察する必要があると思います。主導権を握っているのがアシュケナジームであることが、イスラエルという国をおかしくしている気がします。アシュケナジームがやってくるはるか前から現地でずっとイスラーム教徒と良好な関係を築いてきたミズラーヒームの政治的発言権が、もっと強ければ、何かが違ったかもしれません。

なおミズラーヒームとアシュケナジームのことは、私は『スペインのユダヤ人』を読んで知りました。


岡 イスラエルへの軍事支援額の圧倒的一位はアメリカですが、第二位はドイツなんですよね。
藤原 第二次世界大戦が終わったアト、ドイツや日本はある意味で軍国主義から少し離れたように見えるけれど、日本の自衛隊の軍事力ランキングは世界七位でイスラエルよりも上ですし、ドイツはイスラエルとのあいだで軍事力を売り買いして儲けています。

p.202

日本の自衛隊の軍事力ランキングが、イスラエルよりも上?


繰り返し小山哲さんがおっしゃるのが、以下のメッセージです。

歴史のなかでは、人が故郷を追われたり、移住した先でさらにそこに住んでいた人を力ずくで追い出してしまったりするということが起こります。非常に不幸な状況が絡まり合い、連鎖してつづいていってしまう。重要なのは、そのような現実が生み出される理由を解き明かしていくことであって、自分と違ったすごく悪い人が問題を起こしている、というふうには考えないほうがいいのだと思います。

p.123

今ガザで起こっている問題についても、悪辣で特殊な人たちが繰り広げているのではなく、私たちもいつでもボタンを押してしまう可能性をもっているということをわかって見なければならないと、私は考えています。

p.200

「私はボタンなんか押さない」と、ただ思いこんでいるだけではいけないわけです。「状況次第では、自分もボタンを押してしまうかもしれない」と思っている人なら、押さないように踏みとどまることができるはずです。そして、「重要なのは、そのような現実が生み出される理由を解き明かしていくこと」、つまり例えばヒトラーに代表される「自分と違ったすごく悪い人」個人のせいにするのではなく、彼らが力を持つことを許してしまった制度(システム)は何なのかを考え、可能であればその制度を変えていくことなのではないでしょうか。


イスラエルの建国者たちがつくろうとしたのは、ユダヤ教とは手を切った、新しいヘブライ人の国でした。だから、敬虔なユダヤ教徒たちは、シオニズムをずっと批判してきました。しかし、今は、再び聖書に依拠して、パレスチナどころか、ナイル川からユーフラテス川まで神がユダヤ人に与えた約束の地であり、ユダヤ人のものだと主張する宗教的ナショナリストの力が増しています。ネタニヤフ政権が連立を組んでいるのが、そうしたウルトラ極右の宗教政党なのです。

pp.203-204

2025年1月25日、トランプ大統領はガザ市民の受け入れをヨルダンに要請し、今後エジプトにも要請すると言っています。ガザは解体現場のようだから、という口実でパレスチナ人をイスラエルの外に追い出そうとしているようにしか思えません。その上で、更にイスラエルの範囲を「ナイル川からユーフラテス川まで」広げようとしているのかと、勘ぐってしまいます。


「ジェノサイド」とは「ある集団が、別の集団の殲滅を目的としておこなった殺戮行為」を指します。ある集団に属する人びとが、ひとりひとりの個人としての特性ゆえにではなく、その集団の一員であるがゆえに殺されるのが、ジェノサイドの特徴です。この場合には、加害者も被害者も、集団が想定されています。これに対して、「人道に対する罪」は、結果的に集団的な殺戮となった場合でも、個々人が殺害されたことに対する罪を問う、個人重視の立場にたっています。
国際法で用いられるこれらふたつの概念は、第二次世界大戦中のドイツの戦争犯罪を裁くために、ふたりの国際法学者によってそれぞれ考案されました。「ジェノサイド」という概念をつくったのはラファエル・レムキン(一九〇〇~五九)、「人道に対する罪」を提案したのはハーシュ・ラウターパクト(一八九七~一九六〇)です。このふたりは、ほぼ同時代の中東欧で生まれ、ともに現在はウクライナの西部に位置する都市リヴィウの大学で法律を学びました。レムキンもラウターパクトもユダヤ系で、ホロコーストによって家族や親戚を失っています(中略)。「ジェノサイド」と「人道に対する罪」は、戦争犯罪を集団からみるか個人からみるかという点に違いはありますが、ともに「流血地帯」の土壌から生まれた概念なのです。
ウクライナ戦争の戦場はかつての「流血地帯」のなかにあり、ガザで虐殺をおこなっているイスラエル国家が成立した歴史的背景にも「流血地帯」で生じた暴力的な状況がありました。そして、これらの戦争に対する裁きは、「流血地帯」での先例をふまえた概念を用いておこなわれようとしています。そう考えると、私たちの生きる世界は、今なお「流血地帯」から伸びる長く暗い影のもとにある、と言えるかもしれません。

pp.207-208

またもや長い引用になってしまいましたが、「人道に対する罪」は戦争犯罪を個人から見るものとは、初めて知りました。「流血地帯」がもたらしたものについては、考えていかねばなりませんね。


本書のタイトルにある「中学生」については、私は、「現在、または、近い過去あるいは遠い過去に、日本語の本を読むための基礎的な教育を受けたことのあるすべての人」という意味だろうと、自分なりに定義しています。

p.209

この小山哲さんの言葉で、タイトルの意味が得心できました。


岡さんが指摘されたのは、なぜウクライナで事件が起こるとこれだけ多くの人たちがロシアへの非難に加わるのに、パレスチナでのイスラエルの民族浄化に対してはここまで関心が低いのか、それは「ヨーロッパ人」と「アラブ人」をどこかで「分類」し、自分たちは前者の側であるという人種主義的なマインドが私たち研究者にもあるからではないか、人間は全然平等ではないではないか、ということでした。なんの罪もない子どもたちがまるで虫ケラのように殺されつづけている状況で人文学者たちから言葉も行動もなんにも出てこない。これは私たちの学問が死の宣告を受けたのも同然ではないか。

pp.212-213

生徒たちにウクライナのことを話した時とパレスチナ問題について話した時では、やはりウクライナのほうが食いついていたかも、と、この記述を読んで気づきました。パレスチナ問題は話しても話しても、どうも反応が鈍くて歯がゆいです。


十代は、先生や親など大人たちの言うことに違和感や忌避感が生じ、言語化されていくとても重要な年代です。力のあるものに対し批判の目をもち、その力の根源を分析することは、単に中学生の尊厳を守るだけではなく、世界から無視され、話題にもされず、ただ、大国にふみにじられている同世代の人びとの尊厳を感じ取ることにもつながるはずでしょう。

p.214

この後に続く部分で藤原辰史さんがおっしゃるように、これからは歴史を教える時に、「今、起こっていることとよく似ていますが」という前置きをして教えるようにしたいです。


世界史は書き直されなければならない。力を振るってきた側ではなく、力を振るわれてきた側の目線から書かれた世界史が存在しなかったことが、強国の横暴を拡大させたひとつの要因であるならば、現状に対する人文学者の責任もとても重いのです。

pp.215-216

歴史を教えてきた教員の責任も重いですね。


多くの示唆を与えてくれる本でした。


↑単行本



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margrete@高校世界史教員
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