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【読書】「同じ扱い」は「平等」ではない~『隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民』(上橋菜穂子)~

「守り人」シリーズなどで有名な上橋菜穂子さんは文化人類学者でもあり、そちらの御著書もおありなのは知っていましたが、なかなか読む機会がありませんでした。今回、授業準備の一環でようやく手に取ってみた次第です。

↑kindle版


この本で扱われているのは、「北の方とか、砂漠の方」(p.12)に住んでいるアボリジニではなく、普通に町にいて、白人のお隣さんとして暮らしているアボリジニです。なお現在、「アボリジニ」には差別的ニュアンスが伴うということで、オーストラリアでは「アボリジナル」という呼び方がされていますが、この記事では本の表記に従い、「アボリジニ」としておきます。上橋さんにも私にも、差別的意図はないことをお断りしておきます。もちろん呼び方だけを変えても、差別そのものをなくさねば意味がないわけですが。


アボリジニは、長い間人類学者の調査対象にされてきたために、「人類学者」に辟易し嫌悪している、とも聞かされていました。
「おまえらは、百年以上もわしらに同じ質問をして、まだ、わからないのか!」――と、アボリジニの長老に怒鳴られた(……まことに、ごもっともです)

p.14

入れ代わり立ち代り別の人が来て、同じ質問をするわけですものね。


無頓着にひとくくりにされてしまった彼らは、実際には二百五十以上(方言差を含めると六百以上)もの全く通じない言葉を話す集団に分れていました。長距離の交易等は行われていましたが、それでも、大陸の南西の端に住んでいた人たちが、北西の端に住んでいる人たちと「同じ民族だ」と思われているのを知ったら、びっくりしたことでしょう。
それは、いうなれば、イギリス人が、「日本人と韓国人は見分けがつかないから同じ民族だ」と規定してしまったというのと同じような、実に乱暴な話だったのです。

p.16

この例え、とてもよく分かります。


大陸の中央部に広がる乾燥地域――有名な世界最大の一枚岩エアーズロックがある赤茶けた広大な沙漠地域や、『クロコダイル・ダンディ』の映画に出てきたような北部の亜熱帯地域は、入植当初のイギリス人にとって、農業や牧畜に向かない魅力のない土地でした。
ですから、そのような地域に住んでいた先住民たちは、白人と接触するのが遅くなり、現在でも自分たちの言語や文化をかなり守って暮らしているのです。
しかし、イギリス人が最も住みやすかった温帯の南部と海岸沿いを故郷としていた人々は早くから入植者と接触し、約二百年の間オーストラリア政府が実行してきた様々な先住民政策の波を、その都度もろにかぶって生きていくことになります。

p.17

なるほど。
ちなみにエアーズロック(現在はアボリジニの言葉でウルルと呼ばれる)は、実は世界最大ではないそうです。同じオーストラリアにある、マウント・オーガスタス(アボリジニの言葉ではバリングラ)がウルルの2.5倍の大きさで、世界最大です。


彼らの姿を描いているのか――それとも、自分が彼らに見たい理想像を描いているのか。
だれかの肖像を描く作業は、自分の目が見ているものを、なぜ、そう見えているのかと疑ってみる必要のある作業です。それに気づかずに描き出した姿は、いかに美しくても、いつしか人を見当違いの方向へと惑わしていくステレオタイプのイメージとして、固まってしまう危険を秘めています。

p.20

大切な指摘です。


文化人類学は、「カルチャー・ショック」を研究方法のひとつとして使うという、面白い特徴をもっています。生まれ育った文化から(多くの場合一人で)ポーンと飛び出て異文化の中に飛び込み、そこでしばらくの間(数ヵ月のこともあれば、数年の場合もあります)暮らすことで、カルチャー・ショックを味わうフィールドワーク(現地調査)を、研究の重要な方法にしているのです。そんな方法をとるのは、「文化」というものが、あまりに当たり前過ぎて、ふだんはなかなか見えにくいものだからです。

p.27

ほほう。


「家」ではなく、昔ながらの、木の皮などで葺いた小さなテント状の雨除けだけで暮らしている場合は、誰かが亡くなると、そのキャンプ自体を数年の間放棄して立ち去ってしまうと聞いていましたが、一九九一年に調査したウィルーナ(Wiluna)という、ミンゲニューからさらに八百キロ程内陸に入った所では、政府がアボリジニのために建てた数軒の家が、そこで死者が出たために放棄されてしまっていたのを見たことがあります。
その時一緒にいた白人男性が、「これだから、アボリジニに家を建ててやるのは、税金の無駄遣いなのさ!」と、つぶやいたのが印象的でした。
ちなみに、ローラのような町暮らしのアボリジニたちは、もう、死者が出たからといって、家を捨てたりはしていないとのことでした。

pp.40-41

長い間、夕方になると町から出ていかねばならなかったアボリジニに町に住むことを許し、家を建ててやったのに、死者が出たという理由で放棄するなんて、と白人は憤るわけですが、それは自分たちの文化の押し付けでしかないわけです。

ちなみになぜ家を放棄するかというと、

人が亡くなって埋葬すると、生きている人たちはみんな、しばらくの間、そこから離れなくちゃならなかった。死んだ人の名前も口にしてはならなかったんだよ、さもないと、戻ってきた霊がやってきて、いろんな物を要求して、そのうえ、生きている人の命まで、一緒にもっていってしまうと恐れたのさ。

p.59

彼らの文化に基づく理由があるわけです。


「司祭さん、あなたはカナダ人だからご存じないだろうが、このあたりでの夜間運転は、そりゃあ危険なんだ。道はくねくね曲がっているし、スピードを出して走っていると、ひょいとカンガルーが飛び出してきて、大事故になるんですよ」
司祭さんは、ニコニコと聞いていましたが、やがて軽く手をあげて、
「どうもありがとう。気を付けましょう。でも、私もカナダの奥地育ちですからね。あっちでは、夜になると、カンガルーの数倍はデカいムース(ヘラジカ)が出てきますから、そういうことには慣れているんですよ」
などと、オーストラリア対カナダ、ド田舎自慢大会になったりするのでした。

p.51

うーん、どっちもどっちですね……。


男たちは、「法」に従うとき(イニシエーションを受けるとき)、特別の動物を生涯気にかけて世話をするものとして、与えられるんだよ(これは、ペットとして与えられるという意味ではなく、その種全体に対する絆と責任を与えられるという意味)。
たとえば、バンガーラ(小型のトカゲ類のこと)や、ハリモグラなんかをね。彼は、その動物を、どんな時にも傷つけたり、食べたりしちゃいけないんだとさ。それを、「何々は、彼のニュラグー(Ngulargoo)だ」っていうんだよ。彼は、それを友にして、守らなければいけないんだよ。

p.63

このシステム、特定の動物の取りすぎを防ぎ、種を保全するのに役立つ気がします。ちなみに女たちは、残念ながらアボリジニの世界でも見下される存在でした。

そして守らねばならないのは、動物だけではありませんでした。

アボリジニの「法」では、すべてに精霊が――いたるところに精霊がいたんだよ。黒人仲間(ブラックフェラ、Blackfella)の「法」では、人は特定の土地を、生涯ずっと世話をしなくちゃならなかったもんさ。その土地の木々や動物や、虫や、すべてをね。
だけど、ヨーロッパ人がオーストラリアにやってきて、大地を荒廃させてしまった。
(中略)
彼らは、土地をアボリジニから取り上げて、アボリジニを一掃してしまった。
(中略)
白人たちは、この国にやってくるやいなや、自分たちの「法」を押しつけたのさ。

pp.643-65


私はね、みんな、自分が信じるものを信じればいいと思っているよ。ね、他の人たちの文化が間違っているなんて思う必要はないんじゃないかね? 私は、誰かを批判したりしたくないよ。私たちはみんな、同じように地球の上に生きているんだものね。

p.67

本当にそう思います。


よく白人が、アボリジニを雇わない理由として「やつらは、しょっちゅう葬式に参列するために欠勤するんだよ。重要な仕事があってもおかまいなし。親族が多いから、いつも誰かが死んでるし、いったん葬儀に出かけたら数週間帰ってこなかったりするんだぜ」と言います

p.117

確かに数週間帰ってこないのは困りますが、葬儀に行かせないのも、彼らの文化を否定することだし、何とも言えません。


多くのアボリジニは、「奥地へ追いやられ」たりはしませんでした。植民が進むにつれて、町を造ったり、牧場(ステーション)や農場を造っていくために、その土地に住んでいたアボリジニを白人は追い払ったでしょうが、追い払われたアボリジニは「奥地」へ逃げて行ったのではなく、ほとんどが、なんとかそこに留まって生き延びようとしたのです。
(中略)
アボリジニにとって、大地は人間が売ったり買ったりできるような対象ではありません。大地というのは、水や大気や動植物、そして精霊たちが一体となった<世界>であり、人はその大地が健やかにあるように世話をする者に過ぎないからです。
白人がフェンスを作って囲いこみ、勝手に「自分の牧場(ステーション)」にしてしまった大地には、彼らが生涯かけて世話をしなくてはならない「聖地」がありました。そこを守り、自分の故郷の森羅万象を守りながら生きることは、祖先である精霊たちが世界を想像したときにできあがった「法」――森羅万象と人の営みのすべてを含みこむ掟に定められていたので、アボリジニたちは、なんとか自分たちの故郷から離れずに生きていこうとしたのです。

pp.132-134

アボリジニがどうなったかというか……。

白人の労働力が圧倒的に不足していたので、農場や牧場(ステーション)を経営していくためには、土地鑑のあるアボリジニを殺してしまうより、給金なしで使える労働者に仕立て上げた方が、都合がよかったからです。……そしてヤマジーにとっても、自分の故郷で生き延びるためには、それ以外の道はありませんでした。
こうして、ヤマジーは、家族・親族ぐるみで大牧場にキャンプし、牧童として働きはじめます。「金の価値がわからない」とされていたアボリジニには、しかし、多くの場合、賃金報酬は支払われず、衣類や食糧が報酬として与えられただけでした。
日本では意外に知られていませんが、わずかな労働力しかない状態で、しかも、過酷な自然が広がるオーストラリアの中部から北部で、牧畜業がなんとか成り立った背景には、こういう経緯で牧童になったアボリジニの力があったのです。

pp.135-136

確かに知りませんでした。なお「ヤマジー」というのは、上橋さんが調査した地方のアボリジニのことです。


アボリジニの文化を破壊した最も大きな原因となったのは、親ではなくアボリジニ主任保護官(もちろん白人が就任します)が「原住民の子ども」の親権をもつと定めたことでした。
この法により、役人はアボリジニの子どもたちを、親の意志に関係なく自由に親の胸からとりあげ、公共施設へ強制収容する権利をもったのです。これが悪名高い「連れ去り(take away)」(子供と親の強制隔離)の始まりでした。

p.138

この結果生まれた盗まれた世代(stolen generation)について描いたのが、『裸足の1500マイル』です。


これ(引用者注:一九六七年の国民投票で、「アボリジニを国民として数えない」としていた憲法条項を廃止することが決定されたこと)で、アボリジニの苦難が終わったか……というと、実はそうではありません。これは形を変えた新たな苦難の始まりでした。たとえば、一九六八年、牧畜産業におけるアボリジニ労働者への法定最低賃金を白人と同額にする平等賃金制度が施行されると、この地域の多くのアボリジニが、それまでの生活の場だった牧場から解雇され、追い出されるという現象が起きていきます。皮肉なことですが、「法的に差別することを許されない市民」となったことが、多くのアボリジニを失業者に変えたのでした。
なぜか――。アボリジニ労働者を最低限の衣食の世話だけで雇っていた牧場主たちにとって、彼ら全員に白人と同じ賃金報酬を払うことは、とてもできなかったからです。(中略)
働く場を失った多くのアボリジニたちは、市民となったために受けられるようになった恩恵――失業手当で生活し、飲むことを許されるようになった酒で、無為な時間をつぶすようになっていったのでした。これが、現在の「失業手当で暮らし、朝から酒を飲んでいるアル中のアボリジニ」を生み出す大きな原因となったのです。
また、牧場から追い出されるということは、牧場の中にある自分たちの「聖地」へ行く権利を失うということでもありました。こうして儀礼が途絶え、伝統文化の継承者であった長老たちが権威を失っていくという文かと社会システムの崩壊が起ったのです。

pp.141-13\43

長い引用となりましたが、問題の複雑さに、言葉を失います。


オーストラリアが白豪主義を捨て、多文化主義社会へと変転していく中で、やがて連邦最高裁は「マボ判決」という、オーストラリアが「無主の地」であったという国際法(もちろん西欧概念での国際法で、人類普遍の法ではありません)による見解を改め、アボリジニの「先住権原」(「権原(title)」とは、様々な権利の発生根拠のことです)を認める画期的な判決を行いました。(中略)
「先住権」は「土地所有権」とは少し異なります。先住権というのは、たとえば、ある土地/水域の資源を利用したり、利用する許可を与えたりする権利であったり、その土地/水域へ他者が立ち入るのを制限したり、儀礼を行うことができる権利というようなもので、一九九三年に成立した「先住権原法」では、先住権と競合する、鉱山開発や観光、農牧業などの様々な利権を調停するための基本的な枠組が定められました。こうして、アボリジニは、ようやく、自分たちがもともと持っていたはずの権利を主張する機会を得ることになったのです。

pp.143-144

これもまた、「良かったね」では終わらない話です。


白人にしてみれば、この先住権は、土地を使用する様々な産業に深くかかわってくる問題ですから、当然、反発もでてきます。
(中略)白人たちの気持ちも、わからないではありません。第一次産業と地下資源が大きな経済的支柱であるオーストラリアにとっては、これは経済的な死活問題だと感じても不思議ではないからです。しかし、例えばバチカンの聖ピエトロ寺院の下にウラン鉱脈があったとして、寺院をぶち壊すことを計画する人がいるでしょうか? そして、なぜ、少数の先住民の聖地ならば、「経済」を理由に「しかたのないこと」にされてしまうのでしょうか? ひとつの大地に、多くの民族が別の考え方をもって生きている場合は、「経済」という大義名分の煙幕の向こうを冷静に見て、考える目をもちながら、問題を解決する道を辛抱強く探っていくしかないのです。

pp.144-145

本当にそうですね。


本書が最初に世に出た二〇〇〇年は、シドニー・オリンピックの年でした。あの開会式を覚えておられるでしょうか。アボリジニであるキャシー・フリーマン選手が聖火の点灯を行い、アボリジニを尊重したパフォーマンスが行われましたから、あれを見た人たちは、ああ、オーストラリアでは先住民はこれほど認められた存在になっているのだな、と感じられたかもしれません。
しかし、あのとき、オーストラリア国内では、あのパフォーマンスに対する複雑な批判も起きていたのです。なぜなら、当時オーストラリアでは、ネオ白豪主義と呼ばれるような保守的な動きが鮮明になり、それまで進んでいた先住民の権利を守る動きがことごとく変化させられてしまった「バックラッシュ」の時代が訪れていたからで、アボリジニの権利を擁護しようとする人々にしてみれば、あのパフォーマンスは国内の実情を覆い隠し、対外的に良い顔をしてみせたものに見えたわけです。

pp.233-234

これはまったく知りませんでした。


いま生きている人々がどんな歴史を辿ってここにいるのかを詳細に知り、冷静に、多面的に状況を見て取る目を持っていないかぎり、「白人と同じ扱いをすること」が、実は決して「平等」ではないのだ、ということに気づくことが難しくなってしまうのです。

p.235

確かにそうですね。


アボジリジナルのみならず、各国の先住民が抱える問題について理解する一助となるかと思います。


見出し画像には「みんなのフォトギャラリー」から、ウルルの写真をお借りいたしました。


↑文庫版



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margrete@高校世界史教員
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