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【海外旅行記】訪問した大学生が語る イースター島とモアイの全て②

みなさん、こんにちは!note大学4年のかみりょうです。
今回もご覧いただきありがとうございます!

今回は、
【旅行記】訪問した大学生が語る イースター島とモアイの全て②』です!!

①の続編になります!!

以前からかみりょうnoteを見ていただいた方はご存知かもしれませんが、かみりょう自身、旅行好きでありまして、大学生までに世界12ヵ国を訪問してまいりました。そしてこの度、

2024年1月19日(金)から約1週間、夢でありましたイースター島に行ってまいりました!!

先日帰国しまして、
イースター島で得た学びを少しでも多く書き残せるようにnote投稿頑張っております!

第2回目の今回は、モアイ像に関して書きます
モアイ像がメインです。

イースター島全般に関しては『【旅行記】訪問した大学生が語る イースター島とモアイの全て①』に記載しておりますので、ご覧になっていない方は是非こちらも合わせてご覧ください!!

モアイの話に入る前に、とあるガイドさんをご紹介致します。

0、日本人公認ガイド 最上さん

最上賢ニ様です。
もしかしたら、ご存知の方もいるかもしれません。世界ふしぎ発見など、冒険に関する番組で出演されているほか、あらゆる場で活躍されております。テレビ番組で何故日本人がこんなところに!?や初めての日本人移住者として、一時期
注目を集めておられました。最上さんは日本政府も認めるイースター島の日本人公認ガイドです。

今回のイースター島訪問にあたり、最上様に大変お世話になりました。
また、多大なるご教授をいただきました。今回お届けする情報も発信元の多くは最上さんになります。

みなさんもイースター島に行かれるチャンスがあれば、是非最上さんと一緒に回ってみてはいかがでしょうか。
(可能であればツアー旅行で行かれることを強くお勧めします。ツアー中でも沢山お話しできますよ!個人旅行での手配は難しい?かもしれません。)

かみりょうと最上さん

それでは、モアイがある街並みを歩いてみましょう

街中にも馬がいっぱい!

1、 タハイ儀式村

ハンガロア村から近く、観光客も多く訪れるこの場所は、タハイと呼ばれる。このタハイには、島の様々な儀式が行われた場所で、5体のモアイや眼のついたモアイ、プカオ(被り物)をのせたモアイなど、さまざまなモアイに出会うことができる。

まず、眼がついているモアイをアフ・コテリクという。現在、眼がついている本物のモアイはアフ・コテリク1体のみである。しかし、この眼も実は後から付けられたものであり、コンクリートで粘着されている。付けられているモアイの眼は、過去に見つかった本物の眼と同じ材料(白珊瑚や赤い石)で作られている。

アフ・コテリク

伝承では、すべてのモアイには眼が付いていたと言われている。

また、プカオと呼ばれる帽子のような被り物がついているが、これは帽子ではなく、当時の人のヘアスタイルである。ほとんどのモアイは男性モアイであり、昔のイースター島に住んでいた男性は、髪が長く、頭の上で結んでいた(丁髷のような)ことから、プカオで表現されている。眼のついたモアイは1番新しいモアイである。次に、アフ・タハイと呼ばれるモアイは中期にできたモアイである。

アフ・タハイ

次に、アフ・バイウリと呼ばれるモアイは初期にできたモアイである。モアイは昔になればなるほど、古くて小さくなる。

アフ・バイウリ

これらを含め、モアイはほとんどが海岸線に建てられ、内陸(村)を見つめている。

2、 アナ・ケナビーチ

白砂のビーチがアナ・ケナビーチ。イースター島で唯一のビーチ。イースター島に初めて移住してきた伝説のホトゥ・マトゥアという王様が率いるグループはこのビーチからイースター島に上陸したとされている。後述するアフ・トンガリキという場所でモアイの修復を行った日本のクレーン会社がクレーンを持ってきた際も、このビーチが使用されたそう。(ビーチに船ごと押し上げて、クレーンを下ろしたんだとか。。)(※イースター島には港が一つもない)

アナ・ケナビーチ

一体のモアイ。アフ・アトゥレ・フキという名前で、ノルウェーの探検家がモアイ建立方式を確かめる為、ハンガロア村の村長と一緒に18日かけてモアイを台座に立たせたらしい。

アフ・アトゥレ・フキ

このモアイ、なんとなくずっしり、膨らみ、むっくりしていますよね。このような がっしりとしたモアイは初期に作られたモアイであるとされ、最初の入植者の王、ホトゥ・マトゥアを表現しているとされている。

モアイ アフ・ナウナウ

モアイ アフ・ナウナウ

同じくアナ・ケナビーチにあるのが、台座の上に横一列に並ぶ7体のモアイ。4体はプカオを乗せており、モアイ全身には彫刻が施されている。ここのモアイの特徴は土の中から掘り起こされたモアイであることから、線がしっかりと残っていることである。その他にも、モアイの体には動物などの絵柄や装飾などが綺麗に残っているのが特徴である。

実は写真の右側にもアフがある。アフとはモアイを乗せる台座のことである。では、何故ここにはモアイが載っていないのか。実は7体のモアイも再建されたモアイであり、いまだに再建されていないモアイが、空のアフの前に多く転がっている。

モアイの前だナウ〜

3、 ラノ・ララク

ラノ・ララクはモアイの採掘場だ。島に存在する1000体のモアイのうち、約9割がこのラノ・ララクにて作られたとされている。なぜ、この場所がモアイを採掘する場になったのか。それはモアイの原材料に理由がある。モアイは単なる石を組み合わせているわけではなく、凝灰岩でできている。何故なら、凝灰岩は火山灰由来であり、水を吸うと柔らかくなり、モアイを彫刻するのに最適であったから。このラノ・ララクと呼ばれる場所は、モアイが39体残されており、土に埋まったモアイや、傾斜に転がっているモアイなど、形はさまざまである。

モアイは語る の表紙?
座っているモアイ!
全景

ラノ・ララクという場所は国立公園に指定されている。公園内は登山道のような道を自由に歩くことができるが、どの場所も基本的に傾斜があるため、体力が必要不可欠!!

4、 アフ・トンガリキ

なぜ、アフ・トンガリキを最後にしたか、それはイースター島含めポリネシア全域でも最大の建造物であるからである。アフ(モアイを乗せる台座)は100mを超え、その上に15体のモアイが整列している姿は圧巻である。高さは最大で8mもあり、重さは80t。

そんな大きなモアイが立ち並ぶこの場所をアフ・トンガリキと呼んでいるそう。

また、アフ・トンガリキは日本と関係があるのも面白い。1960年に発生したチリの大地震により巨大津波がアフ・トンガリキを襲う。津波で倒れてしまったり、海を泳いでいた(流されていた)モアイは長年放置されていたが、1988年に日本のテレビ番組「世界ふしぎ発見」がこの話題を取り上げた。その番組の最後で、

「誰か、モアイを立て直すのに協力してくれる方を募集しています」というお知らせが流れたらしい。この知らせを知ったクレーン会社の株式会社タダノ様が支援を表明。

タダノ様はクレーン会社で沢山の重機や機材を持っており、技術者含め全てイースター島に派遣したのだという。その後、1995年に無事15体のモアイは建て直され、修復が難しかったモアイの部材は日本人らしく綺麗にまとめて置かれている!

アフ・トンガリキ(昼間)
アフ・トンガリキ裏側
モアイの残部

このアフ・トンガリキであるが、実はサンライズの絶好スポットでもある。かみりょうもこの日は早起きをして、ホテルからバスで20分。日の出前のアフ・トンガリキに行ってきました!!

モアイとモアイの間に☀️
モアイの頭の上に☀️

5、 モアイの運搬に関して モアイは歩いたの??

前述したラノ・ララクという場所はモアイの採掘場であるが、そこから今モアイが立っている場所まではかなりの距離がある。一番遠いものだと直線距離で20km以上は離れている。ではあの重たいモアイをどのように運んだのか

ちなみに、これは本当の答えは分からない。当時運んだ痕跡は見つかっているそうだが、運び方までは推測ができないそうだ。

「みなさんはどのようにモアイを運んだと思いますか??」

(最上さんからこの質問を投げられた時、かみりょうの答えとして思い浮かんだのが「モアイは自分で歩いた」というもの。というのも、モアイの眼(今はついていない・1体を除く)には「マナ」という霊力が宿っていた。(『【旅行記】訪問した大学生が語る イースター島とモアイの全て①』をご覧ください!)その「マナ」の霊力が行きたい場所に進んだのではないか、とかみりょうは考えた。最上さんには面白い考えだけど、では「マナ」はどうやってモアイの居場所を決めたのだろうか。「マナ」自体の霊力が仮説である以上、「マナ」の力をモアイの動きに置き換えることはもっと難しいよね。。」とおっしゃっていた。)

この質問の答えにはいくつかの説がいくつかある

① 丸太の上に乗せて転がして運んだ
② ソリの上に転がしたモアイを縄にくくりつけ引っ張って運んだ
③ ロープをモアイに巻き付け、前に倒れそうになるモアイを左右からロープで操り、前に進めせて運んだ
④ バナナの皮を大量に敷いて滑らせながらモアイを運んだ

などなど この中でも③の説はかなり有力らしく、詳細に研究されているらしい。また、実験動画も存在し、YouTubeでも公開されているので是非見てほしい。

これらの説はあくまでも“説”であり、本当のことは誰にも分からない。
よって、モアイが移動する姿を自由に想像して楽しんで欲しいと最上さんは語っていました。

←モアイを倒すぞ!
→やめろ、やめるんだー!

6、モアイは誰が作ったの??

よく聞かれるのがこの質問だそうです。
かみりょう自身も気にはなっていましたし、モアイの歴史や概要が少しずつ分かってきていることから、もしかしたら、、、と思ってお伺いしました。

実際のところ、モアイを作り始めたのは〇〇さんです!というのは分かっていないそう。ただ、「2、アナ・ケナビーチ」にヒントが多く隠されており、ホトゥ・マトゥア王が上陸した際、ポリネシアの文化や価値観をイースター島に残していることが分かっている。
その文化の中に、
「誰かが亡くなったら小石を積み上げ墓を作り、その上に木か石で像を作り祈る」という文化を持ち込んでいたのだ。
次第にこの文化は時代とともに更新されていったが、台座からも人骨が見つかったことから、ホトゥ・マトゥア王がイースター島に残した文化が受け継がれていたと分かっている。

しかし、ホトゥ・マトゥア王はイースター島に訪問しただけであり、移住していたわけでもなく、イースター島内で亡くなっていない。よって、この文化を知った当時の誰かが亡くなった人の為に、モアイを作り始めたのではないかと考えられているそう。

一方で、モアイによく絡むのが宇宙人説であるが、これも否定はできないそう。
実際に、ラパヌイ島にある遺跡とナスカの地上絵は平行で作られており、宇宙に対しての目印にもなっているのかもしれない。また、イースター島の空港であるマタベリ空港はほとんど旅客機が飛んでいない空港にも関わらず滑走路は3,300mもある。これはアメリカのNASAがスペースシャトルの着陸用に作ったものであり、その他NASAの施設がイースター島内にはいくつか隠されているのだとか、、、
また、NASAからもイースター島内になぜ施設が多くあるのかは公表されていないんだとか、、、

7、 イースター島を訪問して

ここからは、かみりょう(私)自身のことを書いて終えようと思う。モアイに初めて出会ったのは、中学2年生の国語で出会った「モアイは語る」という論説文。あれから8年の月日が流れ、学生最後の時期に訪問できたことを本当に嬉しく思う。

モアイには謎がいっぱいあるし、現地の人の暮らしも他の国と全く異なる。雰囲気も気候もどの国、地域にも似ていない。ラパヌイ(イースター島)文化が満ちているあの小島に足を踏み入れることができ、歓迎していただいたことに本当に感謝と感動でいっぱいだ。

日本に帰国し、今このnoteを書いているが、いつかまたイースター島を訪問したいと強く思う。あの地域に遊びに行く人は多分いないだろう。誰もがモアイに興味があって、モアイをもっと知りたい!学びたい!そんな人が訪れるべき場所だ。マリーンスポーツをやりたいのであればタヒチ島などのポリネシア諸島に出向くのをお勧めする。

イースター島は人類にとって、永久の謎の島でもあり、新たな発見の島でもある

そんなイースター島に興味を持っている方は是非イースター島やモアイ、ラパヌイ文化について書籍等で学んでみて欲しい。かみりょう自身も何冊か本を用意して、一通り学習してから訪問した。その後、実際に訪問することで、自分自身の中でもよりリアルなイースター島の物語を描けるのではないだろうか。


あ、モアイの声が聞こえる

君に会える日を待ってるぞ

終わり

※人類学研究所が行う研究や考古学者が行う研究論文には全てイースター島のことを「ラパヌイ」・「ラパヌイ島」と呼んでいますが、正しいのは「ラパヌイ」を使ったこれらの表現が正しいです。しかしながら、「イースター島」と名乗るのも間違いではありませんし、分かりやすいので当ブログでは全て「イースター島」としています。
※本ブログに記載の内容は研究結果を基にしたものではありません。
※本ブログに記載の内容は筆者が訪問した際の現地ガイド・日本人公認ガイドの方のお話を基に作成しています。その為、一部誤りの内容を含んでいる可能性がございます。

謝辞
イースター島観光において、日本人公認ガイドであります最上賢二様には滞在中、多大なるご教授並びにご協力を賜りました。心より御礼申し上げます。

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