ビールは読んでも美味と知る秋
ビールって、読んでもおいしいのか!
わかるわかる、とうなずきながら読むビール。
時々目をつぶって浮かぶ情景を味わいながら読むビール。
おつまみのためのフライパンが温まるのを待つあいだに読むビール。
『アンソロジー ビール (PARCO出版)』には、何人もの作家たちが書いたビールにまつわるエピソードが41話注がれている。
阿川佐和子さん、角田光代さん、星新一氏や遠藤周作氏、中には赤塚不二夫の天才バカボンの漫画まで。
私と夫が、よく行くお酒屋さんがある。
そのお店の一角、雑貨・書籍コーナーでたまたま出会ったのがこの本。
何気なく手に取って、1話目ですっかりこの本に飲まれる。
いちばん好きな飲み物はなに?と子どもに聞かれたら
迷わず「ビール」と答えるわたしである。
そんなに好きなの?どうして?と子どもに聞かれ、「好きなものに理由などない!」と答えたくなったけれど、え、まてよ、どうしてこんなに好きなんだろう…と考えていた。
後味すっきり答えられる理由を探していたけれど、この本にヒントがあった。
いや、もはや答えが載っているも同然。
1話目は東海林さだおさんの「生ビールへの道」。真夏の午後に町内会野球をやってから、仲間と生ビールを飲みに行くまでのお話。これがもう「ザ・ビール」!!な文章で、私は立ち読みしながらこころの中で乾杯していた。
以前、ライターのさとゆみさんのトークイベントに参加した際に、さとゆみさんの「例え」のレパートリーにほれぼれしたことがある。私のメモには「〇〇じゃないんです、のバリエーションがすごい!さすが」と走り書きが残されている。
1つのことを説明するときに、確か4~5個、もしかしたらそれ以上の似たような例をポンポンポンと連ねてお話されていた。
その日から、自分の中の「比喩」のバリエーションを広げたいと思っている。似た事柄をたくさん挙げるのはこんなにもむずかしいのか、と実感する日々。
この東海林さだおさんのお話には、真夏の午後の野球がどれだけ暑いかが、笑っちゃうくらいに豊かな表現で書き連ねられている。
「タラコの粒々のような汗」が「イクラ大に成長」するとか、「乾いた雑巾をさらにしぼって、乾燥機に二時間ほどかけ、それをアフリカの砂漠に持っていって二週間ほど放置した、というようなカラダ」だとか。
こうやって暑さを猛アピールしたあと、ビールが目の前にやってくるまで、仲間やお店のオバチャンに対して、心の中で悪態をつく主人公の必死さが本当におもしろい。笑ってしまう。
でも全然他人事じゃない。共感だらけ。これこそ、ビールだと感じる。ビールって切実なんだよなぁ。急いでしまうお酒がビール。
もう一つ、特に好きだったお話が平松洋子さんの「もうしわけない味」。年季の入った暖簾を分け入ったお店で、ぎっしり並んだ中から小鉢を選ぶ。「おから。かしわうま煮。きゅうりの酢の物。(略)……目がよろこんでよろこんで、迷いたがる。」とある。
わーワクワクする気持ちをこんな風に書き表すなんて…好き!と思った一節。「迷う」って一見、ネガティブな状況にもなりがちだけど、この場合、迷えることの贅沢を謳歌している。
昼から開いている居酒屋が、すこしずつ夜に向かってゆく時間の流れもみずみずしい表現で描かれていて、お店で飲む高揚感がしゅわっと心に広がる気がした。
中には、そういう時代もあったのねと思うような、女性への見方や言葉遣いなどが出てくるお話もある。全部が全部、空気感を理解できるわけではない。
でも「やっぱりそうなんだ」と何様目線かわからぬ納得感で読みながらうなずいてしまう。そんなに長く、ビールが楽しまれてきたんだなぁ、多くの作家がビールのある風景を書き残したいと思ってきたんだなぁって。
私はこの本を、家族で旅行に行く際にお供として連れて行った。ホテルで、飲みながら読むんだ~と決めて。
晩御飯には居酒屋に行き、ジョッキで生ビールを。その時にも頭の中で、部屋に帰ったらあの本が待ってる…と思っていた。旅行モードで奮発した、ちょっとお高い缶ビール(他、チューハイ、シャンパンなど多数)をホテルの部屋に持ち込み、ページを開いた。
楽しく飲みすぎて、思いのほかページは進まなかったけれど、そんな思い出ともあいまって、忘れられない一冊になりそう。
非日常にも、日常にも。
ビールは本と同じくらい必要だ。どちらも頭をやわらかくしてくれる。どちらも理屈じゃない、という感じ。
『アンソロジー ビール』に、ビールが好きな理由が書いてあるも同然と思っていたけれど、結局「おいしいから!」になってしまう気がする。
もっと、もっと、言葉を探しているんだけどなぁ。
なんせ飲みながら読んでしまうもんだから。
とはいえ、また、あの黄金の炭酸水を目指して、あれやこれやを乗り切るのだ。
今日も。
そしてたぶん明日も。