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自己紹介#2 ダンス時代のはじまり


リストラからはじまった

 私がダンスを始めたのは、23歳の自分探し時代。

学校を卒業して、初めての会社勤めの中で、失敗も多かったけど、それなりに楽しかった。今思えば、花形部署の役員秘書的な恵まれた環境だったと思う。お仕事連絡を通して、沢山の素晴らしい組織リーダーの方々と出会い、若い女子社員の特権で、本当にいろいろと教えて頂き、皆さんに良くしていただいた。

ところが、社内人事改革で、花形部署が離散の憂き目にあった。

沢山の事業所の本社ハブとして連絡係を一手に引き受けていたのだが、辞令即日から、無用となり、少数精鋭の花形部署は「一家離散」となった。それなりに気概を持ってがんばっていたので、本当に空しかった。

今思えば、人とのつながりが、自分のやりがいスイッチだったのだろう。

忙しかった会社が、暇な時間つぶしになってしまった。

「誰が抜けても何も困らないのが、会社のシステムなんだなあ」と未来に希望が持てなくなってしまった。

アファメーションダンス字幕付

仕事って、生きるって、何だろう?三重無に苦しんだ

 「自分がいなくても大丈夫なのが、会社だとしたら、つまらないなあ」

それまでの仕事が、忙しくてやりがいに満ちていたので、このリストラ経験は、真逆の会社員生活を、私に体験させてくれた。これは、今思うと、本当に貴重な経験だった。それまで、同期社員が職場環境や仕事への不満や愚痴を漏らしていても、自分の中にその気持ちが全くなかったので、全然、ピント来なかったのだ。それが、自分も同じような環境になったことで、グッと実感をもって、理解できた。

当時の私は、「みんなのために頑張って、感謝されて、楽しい❣」から一転して、無目的でやりがいが感じられない新職場に放り込まれてしまった、そのロス感がハンパなかった。

転職も考えたが、勇気が出ない。

考えてみれば、

自分にはやりたいことも、やりがいもない、際立った専門性もない、

という三重無状態

特にやりたいことがない
今の仕事にやりがいがない
際立った専門性もない

自分にとって、生きるって何だろう。

仕事って何だろう。

わからないけど、今はとにかく空しい。

そんな、もやもやしたつまらない状態に陥っていた。

表面上は普通にしていても、毎日、心がどんより苦しかった。

このような三重苦に今、苦しんでいる人がいるなら、

ぜひ、そこから抜け出すお手伝いをしたい、と、私はいつも思っている。

脱出のために手探りで動き出す

 三重無とロスト状態から脱却するために、今でいうマインドワークを自力で行っていた。今のように、インターネットをググればすべての答えが出てくる時代ではない。セミナーが一般的だった時代でもない。

本を読みまくり、自分で考え、思いつく限り、片っ端から試していった。

これは、今でもその傾向があるのだが、私はいつも、

自分で調べ、自分で考え、やりながら修正していく。

というとカッコ良さそうだが、単純に説明書をきちんと読まずに

適当に見切り発進して、買ったばかりの電子機器を壊してしまうタイプ。

それでも、壊れてしまう物ではなく、マインドワークだったこともあり、やみくもにやり続け、試し続けているうちに、少しずつ心の状況が変わってきた。

瞑想サウンド

脱出ワーク紹介

その中でも、特に効果があったワークを、こちらに紹介しておく。

ノートに書き出すというワークは、沢山の人がやっている。ここでは、2つ紹介する。

【ノートワーク1】

先ず、高校生の私が、進路を決める時に考えたセルフワーク、

自分への質問と答えを紹介する。

【質問】自分は何をしている時、嬉しいか、楽しいか、幸せか?

答えは、3つに絞り。そこから、自分の目指す仕事の方向性を探っていった。固有名詞は外す。

1.知らない場所を訪れたり、知らない人を知った時

→沢山の人に出会い、沢山の場所へ行ける仕事

2.何か創造する時、あるいは創造の現場に関わっている時

→クリエイティブな仕事、または創作現場のメンバーとして関われる仕事

3.人の役に立った時

→自分の能力が世の中の人、誰かの役に立ち、喜ばれるような仕事

この3つの答えは、その後、ずっと自分の活動の指針になっている。

当時の私も、この3つの指針については、それ以上のことは考えられなかったので、据え置きにしていた。


【ノートワーク2】

とはいえ、実際に何をすればいいのか?

その辺の具体化が、私は今でも苦手だ。

この時は、具体的に書き出すワークをした。

【質問】もし、私が今より10年若かったとしたら、そして、何でもできるとしたら、何をやりたい?

デザイン、ダンス、映画、執筆、ラジオ、イラスト、、などなど、やってみたかったことを、片っ端から書き出した。このワークのポイントは、

もし、10歳若かったら

に、今やその時には存在する、できない理由を取っ払う、ということ。

何でもできるとしたら、何をしたい?

→この時に書き出した答えは、20か30はあったと思う。

その中の1つが、ダンスだった。

高校生の時、通学路の途中に、バレエスクールの看板があった。実はいつも気になっていたけど、「もう今からj遅いよなあ」「お金ないしなあ」「学校、部活忙しいしなあ」「飛び込む勇気ないなあ」と、ずっとスルーしていたことを思い出した。

それで、最初にまず、年齢制限が最もありそうな、ダンスからやってみることにした。

たまたま、タイミング良く、会社の近くに新しくできた、ダンススクールの広告を目にした。早速、夜間コースに申込、週に2回、通いだした。

それが、私のダンスのはじまり。

23歳の時。

「もう遅い」と、高校生の時にあきらめていたことを、

23歳になって

「もし私が13才だったら、何したかった?」

と自分に問いかけて始めた。

もしもあなたが今、13才だったら?

仕事は、定時上がりの、暇でお堅い作業だったので、定時とともにそそくさと退社し、せっせと勉強した。むなしさにふたをするために。

それでも、何か行動を起こしたことで、その行動を楽しんでいくことで、その後の人生は、がらりと変わっていくのだった。

だからぜひ、やってみてほしい。

ワークででた答えを、片っ端から。

アファメーションダンス字幕付

全ての願いが叶った!

その後も、いろいろなことに挑戦していった。

例えば、他にも、近くのデザイン学校の夜間コースにも通った。この時のクラスメートからの間接的なご縁で、その2年後には、皆に祝福される結婚もすることができた。

その結婚生活のお陰様で、裕福な海外生活も体験することができた。

本当に感謝している。

学校系は、2-3で終わって、結局、ダンスだけがずっと続いている。ダンスは、体のワークなので、労力と時間が、ものすごくかかるのだ。

でも、外国生活でダンスを続けたことで、普通に暮らすより、よっぽど深く楽しいその国の文化や価値観、状況を体験することもできたし、

さらに、今振り替ええると、その後のダンス活動を通して、当時書き出した他の夢リストも、大体のところ、叶ってしまったことに改めて驚く。

だからぜひ、あなたもやってみてほしい。

ワークででた答えを、片っ端から。

何かが変わる。それはパズルのように、カチッカチッと、絶妙にはまり、未来に向けて、あなたの人生を作っていくことになる。

イキのいいお祝いダンス

最後に、自分のダンスとは関係ないけど(全然知らない人たちだけど)、イイ気分に嬉しくなった、ダンス動画を紹介する。

ああ、ダンスっていいなあ、このはじけるおバカさ加減とカッコよさ❣

実はここ数年は、劇場で見る芸術系ダンスもイベント系ダンスも、なんだかつまらなく思えてしまって、「見て見てダンス」はずっと苦手で、遠ざかっていたのだ。この動画は、思い出させてくれた。ダンスの持つ力を。お祝いの気持ちと愛の気持ちが根底にあるから、「見て見てダンス」の次元が上がって、とっても気持ち良いものになっている。再生回数1000万越えなのも、納得、わかる。

思わず笑ってしまう、一緒に温かい気持ちになる動画なので、テンション上げたい時はぜひ!

良かったら、こちらも見てね!

自己紹介動画#1

ゴキゲンバード動画




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