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最近、毎朝あさんぽをしている。
歩くことは前進すること。
こないだ岡本太郎展で「坐ることを拒否する椅子」という作品のキャプションに似たようなこと書いてあったな。
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朝日を浴びることは体に良いらしいと聞いてから始めた。
太陽光を目の網膜に取り入れるだけだから30分もあればいいらしい。
ついでに運動不足にはちょうどいい。
それでも正直休みたいときもある。
死ねば生き物としての歩みが止まる。
先日友人が亡くなった。
お気持ちばかり、お香典と、ようやく苦しいことから自由になれた笑顔の友人を描いた小さな絵を送ったら、今日お返しが届いた。
すごい量が届いた。
これから寒くなるから正直ありがたいものばかり。
だけど、本当にいなくなっちゃったんだなって改めて思って寂しくなって泣いた。
同世代の友人が亡くなるのはこれで3人目。
正直、結婚式よりお葬式の方に呼ばれてる。んなことあっていいんか。
「置いてかれた」ってきもちになる。
人が亡くなるたび聞く曲がある。
安藤裕子の「歩く」。
セルフライナーノーツを写し書いたページを見つけたからリンクを貼っておく。
本当は友達のお母さんが亡くなって、それに書いた曲なんだけど、
「あなたのこと知ろうともせず 見誤っていた」
の一節に、私はあの子をきちんと理解してあげられていただろうかと思う。
話が変わって、
一番尊敬する画家さんからお返事がきて「お互い頑張りましょう!」と言ってもらえた。
相手はとんでもない場所にいて、私は同じステージに立ててもいないのに、「お互い」と対等に扱ってくれたことがとてもありがたくて、嬉しかった。
私はどうやらまだ歩いてもいいらしい。
走るのは逃げるときだけにしたい。
明日は晴れだ。ようやくだ。
いいあさんぽになるといいな。
空を見上げて歩こうと思う。