自分の好きとルーツがつながって、ビジョンが降りてきた話
ファシリテーター・ライフコーチのまなみです。
「自然の中に学びの場をつくる」ことを目標に、2024年2月から東京都日野市に越してきました。
美しい作品を考え、作り、表すことで学習者の主体性を育み、学習者・コミュニティ・世界中の生命を豊かにする、そんな学びの場をみなさんとつくっていけると嬉しいです。
今回はコーチングに関する記事を書こうと思います。
コーチングセッションでは、周りの声や常識からではなく、自分軸を育てて自分が人生の時間をどう使いたいか話し合う時間を設けています。
その中で大事だと言われているのが「ビジョン」というものです。
ビジョンとは、その人がどこに向かっていきたいかを示す北極星のようなフレーズです。独自のビジョンを決めることで、答えがない世界でも自分らしい道を切り拓いていくことができます。
2022年夏に通っていたコーチングスクールTHE COACHのプロコースを修了したときに、それまでの自分のビジョンの変遷について書きました。
最後は「THE WORLD IS MY HOME 〜放電と充電を面白がる、いたずらっ子トマト〜」と書いていたのですが、留学などを経てもう少しアップデートしたいと感じていました。
それが一昨日の夜ふと自分のビジョン、自分の人生における使命が降りてきたのです。
正確に言うと「ああ、自分はこういうことをするために生きているんだ」ということが自分の中でビビッときたので、そのキーワードを短歌調につなぎ合わせてみました:
ビジョンがどうやって降りてきたかということを、自分のルーツも紹介しながら言語化していきたいと思います。
きっかけは書籍『用水のあるまち』
私は2024年2月から、13年近く住んでみたかった東京都日野市に住んでいます。もともと日野市を流れている浅川が好きでした。浅川が好きで通っている中で、日野市には昔ながらの用水路が残っていて、市の方針で蓋をされず一年中通水していることを知りました。東京の他の地域では宅地化や工業化が進んだことで用水路は蓋をされたり、コンクリート護岸に変えられたりしているので、これは極めて珍しいことです。そんな日野市の取り組みについてもっと知りたいと、2024年5月から日野市の雑木林ボランティア養成講座に通っています。
養成講座の第3回の講座は黒川清流公園の近くのカワセミハウスで行われました。カワセミハウスには日野市における自然保護や市民活動の取り組みに関する書籍がたくさん並んでいます。その中でふと『用水のあるまち』という書籍を見つけて手に取ってみました。その本には戦後、日野市の市民・行政・地権者がどのように用水路を保全してきたかが書かれています。自分の興味にドンピシャだったので、日野市の図書館で予約したところ、翌日には借りることができました。
早速夜中に『用水のあるまち』を手に取ったら、面白くてどんどん読み進めてしまいました。その中には一つ気になる文言がありました。日野市が「水の郷」であることは以前noteにも書いていて知っていたのですが、「水の郷」というのは日野市の自称だと思っていました。でも本を読むと、「日野市は一九九五(平成七)年に国土庁から「水の郷」に選定された。選定された場所は当初全国で三十四カ所で、東京都では墨田区と日野市のみであった。」と書いてあったのです。
それでは他の水の郷はどこにあるんだろう?気になって検索したところ、次のページに辿り着きました。そして驚いたのです。
水の郷百選に載っている地域は、日野市にとどまらず、私が47都道府県を旅した中で心から大好きな場所ばかりでした。
自分のルーツから使命を知る
水の郷百選に、好きな街がこんなに集合しているだけでも驚きです。
でも自分にとってはさらに衝撃的なことがありました。
それは自分のルーツである京都府南丹市と群馬県前橋市、どちらもこの水の郷百選に含まれていたことでした。
私は帰国子女だというと、代々海外とつながりがあるような家の出身だと勘違いされることが多いのですが、実際は違います。父方は京都府南丹市の山奥、母方は群馬県前橋市(一部安中市の山奥)がルーツで、どちらの名字も「田」を含んでいます。祖父母の代で農村から出てきて、東京近郊での生活を始めました。
特に父方の祖父は七人兄弟の次男で、高校生の頃は片道11kmの山道を自転車で通い、たまたま兄弟の中で一人だけ大学に進学させてもらいました。その後も大学進学や高度経済成長期の恩恵を受けて、何もない田舎者から一代で大企業のトップにまで登り詰めます。その恩恵から素晴らしい機会をたくさん得られた中で、失われたものや歪みも多く現れました。
そして自分の家には「文化がない」と感じていた父は海外に出られるような仕事を選び、その結果、私は子どもの頃にオランダに5年間住むことになりました。オランダに住んだことは視野を大きく広げる貴重な機会ではありましたが、一方で、アイデンティティに大きな揺さぶりをかけ、人によってはそのまま崩壊しかねないような経験でもありました。私は最終的には健康的に生き延びることができて、とてもラッキーだったと思います。こうして私のルーツを振り返ると、私の家族は山奥の田んぼから高度経済成長期の波に乗って、東京、そして海外へ羽ばたく機会をいただいたのだと感じます。
今回わかったのは、私は水の郷が好きなだけでなく、2ヶ所の異なる水の郷出身のハイブリッドだったということです。確かに自分は「ここは水が淀まず流れそうだな」「ここはお米がよく育ちそうだな」ということを直感的に感じ取っている気がします。今回多摩地域に引っ越したときも、多摩地域だったらどこに住んでもいいというわけではありませんでした。隣接する府中市も多摩市も八王子市もそれぞれ素晴らしいところはあると思いますが、地形的に自分の心の水が流れるのは日野市なのです。それは自分の中で水の郷にルーツを感じ取っていたからだと思います。
人生を通して取り組みたいこと
『用水のあるまち』に載っていた「水の郷」をきっかけに、自分の好きなこととルーツがつながっていることがわかり、やるべきことが見えました。
具体的にはこんなことに携わりたいと思っています:
このビジョンを達成するために、日野市の用水路が身近にある、自然の中の学びの場を創りたいと思っています。
その最初の一歩として、まずは日野市用水路ツアーを日本人、そして日本についての表面的な理解があるアジア人に向けて実施したいです。
自分の家系が高度経済成長期の中で得た学問を通した知識や、世界の人と話し合えるような英語力を、ひとりひとりが自分らしく生きることができるような世界を創るために還元していきたいというのが私の使命です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
私のビジョンに共感してご支援いただける方や、自分もビジョンを明確にしたいと考えている方は、ぜひご連絡いただけると嬉しいです。