資本主義社会の終焉
ファシリテーター・ライフコーチのまなみです。
「自然の中に学びの場をつくる」ことを目標に、2024年5月からオンラインで「TAKIBI 〜焚火の輪で繋がる議論の場〜」を運営しています。
TAKIBIは今年、少子化、多様性、仕事、医療と生き方など様々なテーマで7回ほど開いています。どのテーマでも「自分はどうしたいの?社会がどうなるといいの?」ということを考えるのですが、みなさん「こうしたい」という思いはある。でも「資本主義で世界が回っている中、お金のことを考えると実践するのは難しいよね…」という声もよく聞こえます。
私自身、ハーバード教育大学院でDeeper Learning(より深い学び)について研究する中で、教育と資本主義社会の接続についてはどの国でも悩んでいるところでした。近代の工業化社会を前提に造られた仕組みは、150年以上経った今も続くような強固な社会構造だからです。
「自分がやるべきことをやることができる社会」について色々な人と理想を語っていても、「でも結局その思想は資本主義には勝てないよ」なんていうことを言われることもしょっちゅうです。実際に、日本やアメリカでは「人間としての成功」は「ビジネス上の成功」として語られることが多いと感じています。(そしてみんな長時間労働をする)今のところ、資本主義の枠組みの外で生きるということは非常に難しいように思えます。
しかし、最近二つの記事を読む機会があり、自分の中で「もしかしたら資本主義は、ある日突然こんな感じで終わるのかもしれない」というイメージが湧いてきました。
↓一つ目はgreenz.jpさんによる、お金について考えさせられる記事
↓二つ目は、エシカルな生き方を実現するために四国を回っているかんばらさんの日本の農業についてのnote
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資本主義の終わり。
それは、人間が生きていくために必要な地球上の資源が尽き、お金があっても何も買えなくなる日なのではないか。
歴史の中で、人間は生き延びるために戦争で他国の資源を奪い、戦後は経済発展を追い求めてきました。現代社会はその延長線上にあります。もう十分に豊かになっているにもかかわらず、数字だけを見てお金を増やそうとしています。今週の日経平均の暴落も、もはや実態を反映していません。実態のないものを増やすために、資源を極度に開発します。たとえば人口が減っているにもかかわらず新築の建物を造り続け、それを投資に回して数字を増やす。今ある資源を使い捨てにすることで帳簿上の数字を立てようとしています。
帳簿上は経済を回しているように見えるかもしれませんが、水面下では限界が近づいています。まず、地球温暖化です。地球は毎日泣いています。毎日ゲリラ豪雨が来て、その度に地球の表面温度は10°ほど涼しくなるように地球が必死に調整しています。気温上昇の現象は日本だけでなく、私がいたアメリカのボストンやトルコでも起きています。途上国に行けば地球温暖化の影響をさらに肌で感じるでしょう。日本では昔は「地球温暖化を止めるために、冷房は節電しましょう」と呼びかけていたのに、最近では「人間の命を守るために、冷房をつけるようにしましょう」と変わりました。熱中症になるのは困るのですが、冷房を多用したところで地球はどうなるのでしょうか。地球が暑くなったら、人間はさらに冷房をかける。そんないたちごっこです。
さらに、日本の農業も転換期を迎えています。10年もすれば農業従事者は激減するでしょう。そのとき、食糧をどこから入手するのか。他国に頼ればいいと思っているかもしれませんが、地球温暖化の影響で他国でも農業が不安定になるかもしれません。そうすると戦争のときのように他国から無理やり奪取するのでしょうか。食糧、住宅、医療ーーーアメリカで暮らしていたとき、高いお金を払っても買えないものがたくさんありました。特に治安は、お金ではまったく買えないものでした。生きていくために必要な資源が買えなければ、お金はただの紙切れ、画面上の数字に過ぎません。
今は「資本主義社会で生き延びるためにお金を稼がないといけない」と思っているかもしれませんが、資源を過剰に消費し尽くしている現代社会では、もはやお金を稼いでいる場合ではないかもしれないのです。
ひとりひとりが生きていくために必要なものを生み出せるようになることが、自分にとっても、周りとの関係においても、地球に対しても、真の生存戦略になっていくのではないかと感じています。これは食糧のことだけではなく、自分が必要な暮らしをつくっていくということでもあります。そのためには自分のウェルビーイングについて考え、言語化していくことが大切になります。このパラダイムシフトは明日来るかもしれないし、何十年もかかるかもしれませんが、私は自分のビジョンに従ってできることを試していきたいと思います。