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トルコ、人、暮らし

2024年6月、ずっと行きたかったトルコに行ってきた。
トルコのことについてのnoteをずっと書こう書こうと思っていたら、今日2ヶ月越しに自分からのポストカードが届いた。noteを書きなさいというnoteの神様からのお告げだと受け取る。


スタンプがかわいい。届くのに2ヶ月かかるのは、メキシコと並ぶ最長記録。


トルコにずっと行きたかったのは、トルコが大陸の交差点というオープンな雰囲気もありながら、1600年以上の歴史や文化もある国だと感じたからだ。歴史も文化も、それを伝えるオープンさもどちらも私が好きなこと。
イスタンブールに5日間、世界遺産を見にトロイとエフェスに1日ずつ滞在したが、それでもトルコ全体として全然見足りていない。トロイのツアーで一緒になったオーストラリア人やモルディブ人は3週間滞在していると言っていたけど、最低それくらいは必要なんだろうな…


ガラタ塔からヨーロッパとアジアを眺む。最近のZoom背景はずっとこれ。
1600年栄える街は、高台からの景色だけでなく、低地からも街全体が見渡せる。


私はたくさん旅に出る。観光地を一通り回って街の全体像を掴んだ後は、川や用水路や暗渠や井戸など、その地に残る暮らしの痕跡を探している。airbnbに泊まるのも好きだし、地元のスーパーにも行くのも好き。観光地と違って、暮らしの痕跡は次から次へと出てきてキリがない。
そして暮らしの痕跡を探していると、ありがたいことに日本でも海外でもその地に住む人が話しかけてくれる。どういうふうに暮らしているのか教えてくれる。特に海外だと常識や文化が違うので、「そんなふうに生きてもいいのね!」と自分の中の当たり前を覆してくれることが多い。
今回はトルコでふらりと関わりがあった、地元の方を思い返す文章だ。



電話に一途なおじさん


海外の人は、日本人よりよく話す。マレーシア人の友達は日本で働いて、オフィスがいつもシーンとしていて驚いたと言っていた。タイ人とインド人の友達も普段はぺちゃくちゃ話すのに、日本で地下鉄に乗ったら静かすぎて、話してはいけないと直感的に思ったらしい。想像するに日本は「阿吽の呼吸」の国だけど、バックグラウンドが多様な他の国では、常に話さないと自分の意思も相手の意思も伝わらないということが染み付いているのだと思う。そしてそれは本当は日本でも同じなんだけど。

そういうわけで、エフェスに向かうためにトルコの国内便に乗ったら、セキュリティチェックで前にいたおじさんが面白かった。もうすぐセキュリティゲートを通るというのに、ずっとスマホで話している。セキュリティの係員がスマホをコンベイヤーベルトの機械に置くように指示した。おじさんは仕方なくスマホを置いて、ゲートを通っていった。
おじさんも私も機械から荷物が出てくるのを待っていたそのとき、おじさんは当たり前のようにセキュリティの係員にこう言ったのだ。「僕のスマホを取ってくれないか?」と。
答えはもちろんNOである。日本人の感覚からするとセキュリティチェックを受けている荷物を取ってくれなんて考えもしないけど、少し無謀そうな要求をするのも海外ならではだと思う。(そしてたまに本当に叶うことがある)

これだけでも十分衝撃だったのだけど、最後にもっと驚いたのは、機械から自分の荷物とスマホが出てきた瞬間、おじさんはまたスマホで話し始めたのだった。おそらく機械を通る間、スマホはずっと通話に繋ぎっぱなしだったのだと思う。仕事相手なのだろうか。セキュリティを通る間、電話の反対側の相手はどんな気持ちで、何をしていたんだろう。


エフェスに行くために辿り着いたイズミール空港の電車駅。トルコ語表示しかなくて苦労した。


人間には優しく、猫には厳しい


トルコでは、猫も犬も自由気ままに過ごしていた。通りのあちらこちらで寝転がっている。(犬は暑さでバテていた)あちらこちらにペットボウルが置いてあり、地元の方がお世話しているようだった。日本でももっと日常的に動物との距離が近くてもいいんじゃないかと思っていたら、エフェスの世界遺産に犬を連れて散歩に来ている女性がいて驚いた。エフェスの遺跡には巨大な競技場跡があり、中心には現代的なステージが設けられている。私はふざけてステージの上で熱唱する真似をした。犬を連れてきていたその赤髪の女性は、典型的な観光客ムーブをする私を見て、ニコニコ微笑んでいた。


トルコの人は優しいな〜と思っていたら、その様子は一変した。女性はすごい剣幕で、地面を服で叩き始めた。地面にいたのは競技場に紛れ込んだ猫だった。その猫が女性の犬とキャットファイトを始めたので、犬に怪我させるのではないかと思ったのだろう。先ほど私にニコニコ微笑んでいた姿が嘘のように、この世の終わりかというほど猫に向かって怒っている。猫はどんどん競技場の反対側に追いやられたが、姿が小さくなっても警戒心全開のオーラを出していた。トルコの人は満遍なく動物に優しいのかと思っていたけど、意外とウチとソトの感覚は強いようだった。


姿は小さくなっても、猫は犬と女性に対して威嚇しているのが感じられた。


突然現れたキオスクの主


エフェス遺跡からイズミールの空港に帰るまでがちょっと大変だった。IZBANという電車で来たので同じ電車で帰りたかったのだが、IZBANのPASMO的な乗車カードはなぜか駅には売っていないらしい。ある駅員さんに相談したら隣を走っている国鉄の乗車券を買わされた挙句、「電車は来るかもしれないし、来ないかもしれない」みたいなことを言われてしまった。
これはパラレルワールドなのか。パラレルワールドだとしたら、何としてもその夜のイズミール空港からの飛行機に乗れる世界線に寄せたい。

予定していた時間通りにIZBANに乗れる可能性を模索していると、IZBANの駅員さんは「地上のお店で買えるよ」と教えてくれた。これもこれで厄介である。トルコ語が読めないので、どれがその「地上のお店」なのか見分けがつかない。駅員さんの説明は大雑把だし、ついてきてもくれないし、半ば絶望した気持ちで地上に出てきた。

駅員さんにGoogle Mapでどの辺りか聞いてみたのだけど、教えてもらった地点に行ってもやっぱりどのお店かわからない。IZBANの電子カードだけ売っているお店ではないだろうから、外に書いてくれているかわからない。書いてあったとしても認識できないかもしれない。うろちょろした結果、これは地上の人に聞くしかないという結論になった。トルコ語わからないけど。カフェのテラス席でまったりしていたおじさんを見つけ、すごい剣幕で話しかけた。電車、カード、ほしい。ほしい、ほしい、ほしい。言語は違うが、私の切実さはおじさんに伝わっているようだった。

「ヘイ!」と後ろで声がした。声の正体は全然知らないお兄さんだった。さっきまでどこにいたのかわからないけど、颯爽と現れた。「カード、キオスク!」みたいなことを言っている。もしかしてこのお兄さんが導いてくれるのか?学校で学ぶ「知らない人についていかないようにしましょう」の教えは全無視して、お兄さんについていく。

駅前の古びたビルの一角に連れていかれると、そこは本当にキオスクだった。これは観光客にはわからないよ!よく見ると確かに小さい文字で「IZMIRIM KART」とは書いてあるけど。レジにいるおじさんに、「KARTほしい」と言ったら「KART!」と通じて、やっと買うことができた。やっと買うことができると安堵したところで後ろを振り返ったら、お兄さんはいなくなっていた。なんという潔さ。私の人生が演劇だとしたら、最短登場時間の超重要人物だっただろう。もう一生会うこともない。人生は祈りと縁の、不思議な組み合わせでできている。


これはわからないよね…でも日本でもこういうことたくさんありそう。


イスタンブールのお母さん


私はモスクが好きだ。キリスト教の教会もステンドグラスが美しくて雰囲気が荘厳だけど、ベンチに座って聖母マリアの偶像と目が合うとなんとなく落ち着かない。モスクはローカルになればなるほど、地元のおじさんが床に寝っ転がって休んでいる。偶像の代わりのアラビア文字も、芸術作品のようでかっこいい。モスクは神聖な場であり、暮らしの場だ。

イスタンブールのアジア・サイドにある、ミフリマー・スルタン・モスクに入ろうとしたら、ワンピースが適切でなかったことに気づいた。トルコは暑く、街中で肌が露出していても問題ないけど、モスクに入るときは髪や足が隠れていないといけない。幸い、有名なモスクなので入口に観光客用のローブが何着か置いてあった。一枚ハンガーから外して、頭からかぶってみる。なぜか髪の毛周りがあまり上手くいかなくてもたもたしていたところ、通りかかったトルコ人のお母さんが声をかけてくれた。

私は知らない人に、子どものように助けてもらうことが本当に多い。自分がこだわりがあるところは自分で進めるが、そうでないところはポンコツなのを感じ取られているのだと思う。お母さんはトルコ語で多分「あなたモスクに入るの?ちゃんと着れる?」みたいなことを聞いて、私がもたもたしているのを見ると、フードを一緒に被せてくれた。しばらくしたらトルコ語の単語を連呼し始めた。なんて言っているかはわからないけど、私もオウム返しする。私は知らない人と話すとき、大抵オウム返しする。そうするとその人はさらに話してくれる。今回は多分トルコ語で「壊れた」を連呼しているのだと思った。フードの部分のチャックが壊れているらしい。

別のローブを取ってきたら、小さい子のお着替えのようにお母さんは引き続き手伝ってくれた。私はなされるがままである。お母さんは新しいローブを見て、思い出したように鞄の中をガサガサ探し始めた。取り出したのは裁縫用のピンクッションだった。ピンクッションからまち針を一本抜いて、私の首回りを整え始めた。家の外で裁縫セットを見たのは、いつぶりだろう。日本のお母さんにもよく助けてもらうけど、さすがに今の時代、まち針を持ち歩いている方はそんなにいないのではないか。よくこうやって自分や家族の服も整えているのだろうか。そう考えると、勝手にトルコに家族ができたような気持ちになった。

まち針でローブを整え終えたら、お母さんは私の鎖骨あたりをポンポンっとしてくれた。私はトルコ語の「ありがとう」はDuolingoで練習してきたので伝えてみた。そうしたらお母さんはハグしてくれた。お互いローブで身体は隠れているけど、ハグすることで心がつながっているようで嬉しい。私は観光客なのでモスク本体で男性がお祈りしているところを見学したのだが、お母さんは女性専用のお祈り部屋に入ったので、そこでお別れになってしまった。退出するタイミングが合えばまち針を返そうかなと思っていたけど、結局再会はしなかった。旅は一期一会。あのまち針はお母さんとの思い出とともに、私の小物入れに入っている。


モスクのようにお祈りしたり、ぼんやりしたりするスペースは人間にとって必要に感じる。


昨日の敵は今日の友


トルコでは前半は新市街のairbnbに泊まり、後半は旧市街のホテルに泊まっていた。新市街のairbnbが地中海の路地を体現したような場所にあって居心地が良かったので、移動するときは名残惜しかった。でも旧市街で泊まったSirkeci Mansion Hotelも着いてみたらとてもアットホームなホテルだった。海外には珍しく、宿泊者は無料でトルコ料理体験やイスタンブール街歩きツアーができるということで、どっちも参加してみた。トルコ料理体験では、ホテルの厨房を使わせてもらい、コックさんに習いながら三品作って最後に自分たちで食べた。旅行に来ているのに、自分たちでトルコ料理を作れるなんて面白い。

イスタンブール街歩きツアーは、支配人のオーケーさんが直々にガイドしてくださるという。オーケーさんは口調が柔らかで、でもトルコの歴史や文化に誇りを持っていることを感じる男性だった。彼自身、奥さんはドイツ系トルコ人、自身もギリシアやアルメニアなど色々な血が混ざっているらしい。そんなオーケーさんが普段のピシッとした支配人の服装ではなく、休日に会ってしまったお父さんのような服装で案内してくれるのが、グランド・バザールとエジプシャン・マーケットの間のエリアだった。

オーケーさんと一緒に訪れてみると、グランド・バザールとエジプシャン・マーケットの間は、パッと見だと宝飾品を売っているお店が多く、少しギラギラした雰囲気だった。確かに自分一人では立ち寄らないかもしれない。宝飾品のお店が多い背景は、この辺りが「キャラバン」の原型で、昔から人が集まり、市場に出す製品を分業制で作っていたエリアだからだそうだ。グランド・バザールとエジプシャン・マーケットの間では宝飾品を分業制で作っていて、ある人は金の塊を作り、ある人は金の塊から指輪やネックレスの形を作り出し、ある人は指輪やネックレスに宝石を埋め込んでいた。

オーケーさんが、宝石を埋め込んでいるお父さんを紹介してくれた。外観から想像していたよりは現代的な作業場で、色々な金物に色とりどりの宝石を埋め込んでいる。二人の息子も奥に座って、PCの画面上で宝石のデザインを描いていた。オーケーさんは、奥さんと結婚するときのアクセサリーもこのお父さんに作ってもらったらしい。「いつから宝石を埋め込むお仕事をやられているんですか?」と聞くと、オーケーさんが通訳してくれる。どうやらお父さんは三代目。お父さんの祖先はアルメニア系で、同郷の人がこの辺りにいたからここに越してきて、宝石を埋め込む仕事に就いたそう。

オーケーさんはこの話を訳すと、続けてこう言った。「トルコには民族の紛争も多い。僕の家族はアルメニア系の人に殺されたこともある。でも政治上抗争があっても、個人ではこうやって心の繋がりを持つことができる」
トルコには何度か訪れようとしていたが、コロナや地震の他に、テロでも諦めたことを思い出した。大陸の交差点にいるということは、色々な人をその土地に引きつける一方で、異なるバックグラウンドを持つ人の間の争いも絶えない運命なのだろう。

最後にお父さんが私たちに伝えてくれたことを、オーケーさんが訳してくれた。「人生、細かいことは気にするな。太極を見なさい」代々この土地で、宝石を埋め込む仕事をしている重みを感じた。「あなたの暮らしの一部を見せてくれてありがとうございました」と伝えたら、微笑んでくれた。


キャラバンでは、所狭しと工房や店やイン(inn)が並ぶ。


一日のはじまりはアザーンから


イスタンブールを訪れて、トルコ人は一日中元気だなと思った。朝も早い時間から電車に人が乗っているし、夜も飲み歩いている人がたくさんいる。そして何よりモスクへの礼拝を呼びかけるアザーンが、一日5回、朝4時から夜10時まで街中に鳴り響く。初日は朝4時のアザーンで起きてしまったが、徐々に旅の疲れが溜まってアザーンの中でもぐっすり眠れるようになった。

オーケーさんとの街歩きの最後に、ルステム・パサ・モスクに立ち寄った。オーケーさんがモスクのイマームと話してくれて、なんとアザーンが行われるところを見せていただけるところになった。よくよく考えたら、あまりに音がクリアなのでずっと録音なのだと思い込んでいたけど、毎回人がアナウンスしているとのことだった。男の人(ムアッジン)がモスクの外に出てきた。私たちは近くの段差に座ってぼんやり見つめている。男の人は何回か咳払いをした後、マイクに向かってアナウンスし始めた。アナウンスと言っても、どちらかというと歌に近い。そうそうこれこれ!トルコ以外にもエジプトやモロッコでも聴いていたアザーンだけど、生で聴くことができる経験はとても新鮮だった。私たちが見つめる横を、イスラム教徒の女性たちが一人、また一人とモスクのお祈り部屋へと吸い寄せられていった。

オーケーさんによると元々モスクではイマームとムアッジンと時間を管理する人が働いていた。でも時間を管理する仕事は時計が発明されたことでなくなってしまい、今はイマームとムアッジンだけらしい。ムアッジンも録音に代わってしまいそうなものだけど、そうなるとイマームの礼拝も?人間はどこに人間らしさを求めるのかというのが不思議な塩梅だった。

そしてオーケーさんに、みんな今でも毎日5回礼拝をするのか質問した。日々の生活があるから、トルコ人でも現代だと毎日5回礼拝することは時間的に難しいらしい。それでも本当は神と繋がる時間をもっとつくりたいと思っているともおっしゃっていた。日々の仕事をこなすだけでなく、毎日5回自分と神様と繋がる時間を持つと、どんな暮らしになるのだろうか。毎日5回お祈りすることが当たり前だった昔の人の時間の流れは、どんなものだったのだろうか。


アザーンに集中。喉を痛めないように気をつけてね。



長くなってしまったけど、やっとトルコで出会った人との思い出を書き残しておくことができた。暮らしをよく観察していると、時折暮らしの方からこちらにやってくる。「こういう暮らしなんですね」と耳を傾けると、ガイドブックには載っていないようなお話が溢れてくる。もし自分がこの場所で生まれていたら、こんな人生だったんだろうかと妄想する。旅には言葉にならないメッセージがたくさん詰まっていて、それを受け取り続けているから旅をやめられないのだと思う。

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Manami | 楽しく学ぶ
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