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「noterさんが書かれているnoteの記事のタイトル」を自分が読者の立場となって見たときの心の本音

※こちらの記事に書いている内容は、

noteを書き始めてから三年目に突入した「脱初心者」と言ってもいいのだろうか、、、、

あくまでもそのような私が感じていることを、自分への戒めの意味も込めて書いています。

それなので、例えばnoteを始めたばかりの方などがこちらの記事を読み、

『え、、、私そこまで考えて記事書いてない、、、
タイトル付けてないや、、、、』

って、たとえば落ち込んでしまったりだとかは、どうかなさらないようにご注意ください💦

noteを続けて行くのには、
人と比べない」「オリジナリティを追求する
これが大切だと私は考えています。

文章を書くのがお上手な方は、このnote界にも星の数ほどいらっしゃるので、人と比べてしまうと早々に心が折れます。

だから、たとえうまく書けなくてもそのときの自分に書けるものを書いたら良い!と、私は考えています☺️】

ではこちらから本文です↓



私は、noteの記事を書き上げてからその記事にタイトルを付ける派、なのだけれど。

この、

「記事にタイトルを付ける」

のってほんとにセンス問われるよなあ〜、、、、て思って毎回わりと悩む。


あまりに「マイワールド」=「自分語りのみをゴリ押ししている」っぽい雰囲気が垣間見えてしまうようなタイトルを目にすると、

これはあくまでも私の場合は、だけど。

よほどその記事を書いた方ご本人やその方の人生ストーリーに興味があったり、

この方の価値観好きだな〜!って気持ちがない限り正直、「ん?知らんがな〜😊」って思って読む気力をなくしてしまう。

(※私も自分語りが好きで、自分語りをしがちなのでここは本当に気を付けて行きたいところで、自分への戒めの意味を込めて書いています。)


それとは反対に、読んでいただきたいな!!ってその思いを込め過ぎて、あまりにタイトルで読者の方に期待を持たせすぎてしまっても、

『結局それが言いたかったんかい!期待して損したわ〜😑無』

みたいに肩透かしをくらわせてしまうよなきっとな、、、、とかも考えたりする。


でもここまで書いたことを、逆の言い方で表現すると。

記事にタイトルを付けるってときに「大切なことのニュアンス」とでも言うのかな、

その“目には見えない”ところまで意識が向くようになったっていうのは、

noteで丸二年、つぶやきも含めにはなるけれど、
記事をコツコツ書き続けてきた賜物と言えるのかもしれないなあ。

(↑自分で自分をこうして褒めながら伸ばすタイプなのです私は。笑)


noteで記事を書くって本当に奥が深い。

やり甲斐があるし、楽しい。

やっぱり私、こうしてnoteで記事を書くことが心底好きなんだな。


本格的に文章を書き始めてまだたった二年の私。

ひよこです。本当に。

40歳のひよこ🐤

これまでもひと記事ひと記事真剣に記事を書いてきたけれど。これからも真剣に記事を書き続けよう!

ここまで読んでくださってありがとうございました。


〈あとがき〉
それでは最後に私の推しバンド・GLAYの、春といえばこの曲!って感じの大好きな一曲をどうぞ!↓
(ゴリ押し自己満足ですみません。笑)


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マナヒロ
記事を読んでいただきありがとうございます☺️これからも真摯に文章を書くことを追求して行きます。よろしくお願いいたします!