ピエロを演じていた私が今の本来の「私」になるまでの軌跡。〜弟の死〜
最近また気が付いたことがある。
それは、
「私にはハングリー精神というのか、ずる賢さというのか「何が何でもどんなやり方でも絶対やってやる!!」って雰囲気がまだまだ無いんだなあ……」ってことだ。
自分の生い立ちから考えてみればある意味では、
自然な事といえば自然な事なのかもしれない。
父方の祖父母と両親そして一人娘の私、という家族構成の家で私は育った。
幼かった頃の私は、他の姉弟やらと争う、などの必要性がなかったのだ。
それでも、別の部分の能力は鍛えられて行った。
嫁姑間や祖父母、そして両親の間に言い争いが多く、不穏な空気が常に漂っているような家庭で育った私はいつの間にか、自分の感覚の鋭さを隠し繊細さを隠し。わがままなどは決して言わないで、タフでいつも人を笑わせるピエロを演じるようになった。
私がそうなったきっかけは、私が小学一年生だったとき、私の三歳年下だった弟が小児癌で亡くなったことだった。
唯一の姉弟であった私のことを弟は、とても慕ってくれていて、いつも姉である私の後を付いて回るような、そんな可愛らしい弟だった。
今でもたまに目を閉じると、東京信濃町にある慶應義塾大学病院のベットの上で、抗がん剤により髪が薄くなってしまってクリーム色のニット帽を被り、お見舞いに連れられて行った姉である私に向かって、にっこりと恥ずかしそうに微笑む当時4歳だった弟の顔を思い出しこみ上げる瞬間がある。
現在の私が、病を抱える両親の間接介護に力を注ぐのは、いつか自分が天国へ行ったときに弟に、
って言いたいからだ。
だから両親のことも私は後悔のないように、精一杯やるのである。
もともと私以上に繊細だった私の母。
母は弟の闘病に長く付き添う生活が続き、その上での弟の死だったので、弟が亡くなってからの数年間は、ほとんどを自宅で寝て家事だけを何とかこなす、という日々を送った。
今にして思うとおそらくは、統合失調症の初期段階だったのだろう。
その上私の実家は、なかなかの頻度で家族間で言い争う声が響き渡っているような家庭だったので。
そんな大人たちの様子を幼かった私は、実家の二階の自室でそっとひとり耳を澄ませて聴いていたことを、今でもたまに思い出している。
それでも大人たちは、一人残された子供だった私が楽しそうにしていると、笑ってくれた。
私はそれが嬉しくて、ずっと穏やかな空気の家庭であって欲しかった。
そして、もともとお笑いやものまね好きな少女だったってことも相まって私は、自ら進んでピエロを演じる子供に自然となって行ったのだった。
だけど月日が経つにつれ、偽物のピエロ、偽物のタフさを演じていた私は次第に疲弊して行った。
そりゃあそうだろう。
本来の自分ではない人間を大袈裟に演じているのだから。
それでも大人になって彼氏が出来始めると、その彼の前だけでは、本当の自分や弱さをさらけ出すことが出来る……と思うようになってしまった私。
恋愛に夢中になりすぎて依存的になるようにもなってしまった。
アラフォーになった今にして思うと、そうして自分ではない誰かに心を預けてしまうってことは、
違うんじゃない…………?ってことが心底わかる。
恋愛とか彼氏とかじゃなくってもうすでに生きているただそれだけで、目の前に広がる風景の中に、
素晴らしいものはたくさんあるのに。
だけど若かりし頃の私は、そういった本質的な部分を何もわかっていなかったのだった。
そうして仕事をしながらプライベートでは、恋愛や素敵な男性に夢中になったり。
そんな私だったのだけど、心優しく穏やかな夫と結婚し二人の子宝に恵まれた。
夫といる時には、そのままで偽りのない自分でいられた。そして専業主婦となって、家庭の仕事や子育てに専念するようになった。
しばらくした後。
子供たちが少し手を離れて来た頃になると今度は、家にいて家族の為に自分の多くの時間を使うという生活に、苦しさを感じるようになって来てしまった私。
そのことを発端として私は、あらゆる事にトライを始めた。そして失敗もし何度も何度も打ちのめされた。
三年間スクールへ通って資格取得、
からのホームネイルサロンをやってみたり。
パート努めにも出た。
そして、やっぱり自分のペースで仕事がしたい!と、「ネットで稼ぐ」などのあらゆる稼ぐ為の道を
模索もした…………
とにもかくにもずっとずっと私には、
「自分は、細かなことに気が付き過ぎてしまって、そしていちいち深く深く考え過ぎてしまって、
ストレス耐性が高い方ではなく、過度のストレスにさらされ続けると体調不良に見舞われてしまうような、自分はどうやらそんなような人間のようだ…」
という自覚が、身体の感覚的にあったので。
だから、息が苦しくなったり猛烈な無気力に襲われたり不眠になったり、そんなふうに体調不良になったりはせずにあくまでも自然体で、嘘偽りのない
「あるがままの自分」で生きられる道を私はどうしても見付け出したかった。
そして家庭のことや両親の間接的介護をやりつつ、数年間の迷走をした後、原点回帰をすることに。
私は、子供の頃からずっと読書が好きだったから。
見て見ぬふりをし続けてきたけど、昔っから心の奥底では「自分が文章を書く」これに憧れ続けてきたのだな………と、はたと気が付いたのだ。
◇
そんなこんなな紆余曲折があって、2022の春にnoteを始めてから、一年半の月日が経過した。
やっぱり文章を書くことが、何よりも楽しい。
noteを始めてよかった。
そしてそして現在の私は、私らしく今までの人生経験を生かして行こう!と決意。
心に何らかの生きづらさや、モヤモヤを抱えながら生きる方々の力になりたい。
そう思って現在は書籍の出版を夢に掲げ、note界のインフルエンサーでもある作家さんからコンサルティングを受けたり、オンライン相談を自らが受けるってことなどに、勇気を出してまたまた新たな一歩を踏み出したところだ。
とにかく、トライし続けてみるしかないから。
だけどそのような中でやっぱり最近は特に、noteで他の方々のお仕事へ向ける情熱や、試行錯誤の記事を読むと圧倒されてしまう日が続いてる。
その鬼気迫る感じだったり、稼いでゆく、ということのリアルに息をのんでしまう。
その方々にあるような、
『何が何でもやってやる!使えるものは徹底的に使ってやる〜!』といった、ハングリー精神というのかずる賢さのようなものが、今の私にはまだまだないんだよな……………と実感している。
だけど…………
それでもやっぱり、私はわたし。
人と比べてどうだとか、そんな風に考えることなんてない。
自分のやりたいように、自分のペースでやればいい!😊
◇
ここまで読んでくださってありがとうございました。