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泣きたい気持ちにこの身を任せて泣いた日の記録。

週末が終わり家族をいつものように送り出し、いつものように朝の家事に取りかかろうとしていたそのとき、私のスマホの着信音が鳴った。


私の母からだった。


私の母は10年以上前にメンタルバランスを崩し、二度の長期入院を経て二か月程前から老人ホームへ入居している。


私はひとり娘で、母からは日頃から何かあると、しょっちゅう電話がかかってくる。


それなので今朝もまたいつものように、ネガティブ思考に振り回された話題を私につらつらと話してくるのだろうなと思い、少しうんざりした気持ちになりながらその電話に出た。


すると母は、『やっぱりね、ここのホームの食事が合わないのよ。』と電話口でそう言った。

(はあ……またかよ……………)

私の母の思考の中心は「ネガティブ」にある。
母は私以上に繊細な人なので、何をするにしても、どこにいるにしても細かなことが気になって、そのストレスポイントで常に意識がいっぱいの人だ。


そんな母の対応をするときの、正直な私の心の声はこうだ。

(は?知らんがな。
こっちは自分の人生を生きることで精一杯なんだよ。私自身のやりたいことに集中させてくれ!)

である。


私は昔から母のことを、非建設的な思考の持ち主だな…と呆れた思いで近くで見てきた。

だから私自身はたくさん考えて、たくさん悩んで、そして自分の考えを確立した人間になってやるんだって思ってやってきて、今に至る。


そう、私は実母に対して、そんな冷たい感情をも抱いてしまうような人間なのだ。

母が体調不良に見舞われた最初の頃からつい数か月前まで私は、そんな母にもれなくいつでも共感しまくっていて、母の不快症状を改善してあげたい、と私自身のエネルギーをそこにたくさん使ってしまって、自分までもが心身共に消耗してしまっていた。


そんな苦い経験があるから、それを教訓として私はある時から、母の感情に寄り添うよりもまずは自分自身の感情にちゃんと寄り添う、自分の感情に真摯になる、ということを人から学んでそれを実践するようになった。


するとどうだろう。格段に生きやすくなった。

楽に呼吸が出来るようになった。見える世界が変わったのだ。

……………。


話しがまたズレました。もとに戻そう。



また母はいつものように「とにかくホームはもうこりごり。家に帰りたいのよ。」そう言った。 


この件についても毎回さとすように「その状態じゃ家に帰るなんて無理でしょ?」と話しをするのだけれど、次会うときにはまた話しがふりだしに戻っていて、もうついにはいつも笑えてすらきてしまうのである。


笑ってしまうなんて不謹慎であるな、とは思うのだけれど、笑い飛ばさないと正直親の介護などはやっていられない。実の親だが、見捨ててしまいたくなるのだ。

そして「これは私の「仕事」なのだぞ」と思いながらやる。そうすることで大人としての冷静さを保ちながら、対応することが出来るから。


母は「家に帰ることが難しいんだったら別の施設に移りたいわ。」という。


(おいおい、またあの施設探しの日々を繰り返すことになるのか……?)

愕然とする私。
そして私は母に言った。


「また私はあなたにこうして振り回されるんだよ!もううんざり!いったい何年何回これを繰り返せばいいんだよ!?いいかげんにしろよ!」と。


気が付いたら自分の目から涙が溢れていて、電話越しに母の頼りない声を聞きながら、私は声を上げて泣いていた。

私はこうして母のこと、そして父のことで何回涙を流して来たのだろう。

母は「私だって泣きたいわよ~」といっていて、それを聞いた私は、もうすべのことを投げ出して、遠い土地にひとりきり飛んでいってしまいたい気持ちに駆られ、そのまま電話を切った。


どんどんと涙が溢れる。


今すぐに私のことを誰も知らない、好きなところに行ってしまいたい。


そう思った。


こんな状況に陥ってしまったときには、とにかく音楽を聴くことにしている。心が震え立つような音楽を。そして私がいつも追い求めている夢を、これでもかというほどにリアルに想像する。

そうしていたらまた今日も、なんとかその出来事から自分自身の力で思考を切り替えることができた。


きっとまたこの経験で、より私という人間が進化出来るはずだ。こんなときにどうやって気持ちを前に向けるのかをこの数か月で学び、ひとりでも出来るようになったじゃないか。



前を向け!私!





ここまで読んでくださってありがとうございました。また明日、おやすみなさい。



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マナヒロ
記事を読んでいただきありがとうございます☺️これからも真摯に文章を書くことを追求して行きます。よろしくお願いいたします!