初心者が瞑想を始める時の注意点
本稿で学べること
瞑想初心者がはまる注意点を具体的に挙げて詳しく解説します。
瞑想習慣を継続できる心構え
初心者向けの瞑想法
瞑想の師匠を探す際の考え方
などを取り上げていきます。
本稿の注意点を理解しておけば、中途挫折や瞑想ジプシーになることはなくなるはずです。
これから瞑想を頑張るぞ!と意気込む瞑想初心者が末永く瞑想ライフを楽しめるように願いを込めて書かせて頂いていますので参考になれば幸いです。
なお、本稿は瞑想実践研究家である心庵まもるの実践研究の過程で理解し確信したものをベースに構成しております。
内容に関してはあくまで考え方の一つとして受け止めて頂ければと思います。
また、心庵まもるの記事をお読みになるのが初めての方は是非、以下の自己紹介の記事を先にお読み頂けると嬉しいです。
★ 自己紹介-心庵まもる-
心庵まもるは瞑想に関する本の著作活動なども行っています。
具体的な著作物なども自己紹介の記事で取り上げています。是非、ご一読頂けると心庵まもるの発信活動をご理解いただけるのではないかと思います。
前置きが長くなりましたが、これより本編に入ります。
1.瞑想初心者がやりがちな5つのポイント
瞑想をはじめよう!
最初は意気込んで始めたものの途中で瞑想を続けられなくなってしまう。
そんな人の話を沢山、耳にします。
志し高く掲げて始めた瞑想。
なのに気がつけば挫折して、当初の気持ちは遥かな思い出と化してしまう。
ハッキリ言えば、「もったいない」の一言につきます。
瞑想は人生を変える力を持っています。
これは誇大妄想ではありません。
そして、続ければ続けるほど奥が深く、味わい深いものが現れてくるのです。
そこまでたどり着くこともなく挫折してしまうのは、もったいなさすぎて涙が出ます。
瞑想初心者を挫折させない!
この想いで本トピックでは瞑想初心者がやりがちな5つのポイントを挙げて瞑想をはじめるときの落とし穴について述べていくことにします。
(1)形式から入ろうとする
瞑想と言えば寺院で坐禅。
蓮華座という特殊な足の組み方をして背筋を伸ばす。
あるいはヨーガのポーズをとりながら特別な呼吸法を行う。
自然の中の静かな環境を用意して集中して瞑想。
瞑想は突き詰めていくと色んな作法やら環境やら考えやらが込められているものです。
形式美というものも瞑想にはありますし、一応、形式にも意味はあります。
しかしながら、それらはどうしても私たちの生活習慣や住環境、プライベートな事情を鑑みるとかけ離れたものを要求されることもあるものです。
禅宗のお寺などでは坐禅会などを催しているところもあるでしょう。
そのような催事であれば瞑想に適した環境を整えてくれているかも知れません。
催事に参加することはもちろん沢山のメリットがあることでしょう。
ただ、忙しい日常生活の中で坐禅会などの催事に参加するために予定を組むのは結構なハードルの高さだと思います。
また、人によっては蓮華座や特定の坐法などを組むことが困難な場合もあるでしょう。
ヨーガのポーズをするなんて初めから無理と感じてしまうかも知れません。
あるいは静かな環境をと考えても殆どの方の住環境で完璧にそれを整えることが出来る人は少ないはずです。
このように瞑想を形式から入ろうとすると挫折の罠にはまるという危険性が大いにあるのです。
(2)情報を集めすぎる
瞑想を始めるからにはきちんと勉強しておきたい。
その意気やよし。
様々なセミナーに参加することや、情報をかき集めて学ぼうとする人もいます。
何事も勉強することは大事です。
瞑想においても正しいやり方や知識を身に着けることは大事なことでしょう。
しかしながら、瞑想は知識を身に着けることではありません。
情報を詰め込みすぎると「瞑想」ではなく「迷走」が始まってしまいます。
瞑想とは簡単に言えば、心の働きを整えていく行為です。
無論、これは私が簡略に定義したものに過ぎません。
瞑想に関する情報を集めていくとものすごい瞑想談義があちこちで繰り広げられていることに出会うはずです。
「一体、瞑想ってなんなの?」
自分の中でわけがワカラナクなり、迷走が始まるわけです。
これは瞑想に関する情報を集めすぎた結果だといえます。
もちろん、ある程度の知識を調べてみることは問題ありません。
ただ、瞑想は実践してこそ意味がある。
これは普遍の真理だと思っています。
だから、私は難しく考えずにわかりやすい定義を用いているのです。
瞑想とは何ぞや!?
などという深淵なテーマは人それぞれに瞑想をしていく中で見つけて納得していけば良いものです。
だから、初めから理解しようなどと思わないで良いということです。
(3)綿密な計画を立てる
朝:6:30に起床して30分瞑想。
昼:ランチタイムの一部時間を割いて5分瞑想。
夜:寝る前にベッドの上で20分瞑想。
ヤル気が漲っている最初の頃は瞑想習慣を身に着けるために綿密な計画を練る人がいます。
計画を立てることは悪いことではありません。
但し、あまりにも綿密すぎるとマイナスに働くことになります。
特に瞑想の場合は心と向き合い、整えていく作業になるのです。
「よし、6:30だ!これから30分瞑想するぞ!」
と意気込んでしまうとそれがプレッシャーになるため瞑想に集中できなくなります。
もちろん、慣れればプレッシャーなどに思わなくなるかも知れませんが、できるだけ瞑想の時は余計なプレッシャーがない方が良いのです。
瞑想をしている最中に色々と考えてしまうかも知れません。
「あと、どれくらいで30分かな?」
「もう随分、瞑想している気がするけど」
なんて、つい思考しがちです。
瞑想するための計画が瞑想の邪魔になるのでは本末転倒になります。
「タイマーをセットすればいいのでは?」
こんな意見もあるかも知れません。
しかし、タイマーもあまり良くありません。
なぜなら、瞑想が深まっている最中に突如、けたたましいブザーやアラームがなると折角、リラックスした心身が一挙に緊張状態になります。
アラームには心理的な負担が少ない、静かなシンギングボールのような音もあるので完全に否定はしません。
でも、基本的に私はタイマーをお勧めはしません。
兎に角、余計なプレッシャーや刺激は挫折の原因にもなることは覚えておいて下さい。
(4)効果効能への期待が過大
瞑想は人生を変える。
そんな言葉を冒頭の「本稿で学べること」の中で述べました。
そんな言葉を述べておいて申し訳ないのですが、瞑想に対する効果効能を期待しすぎることはやめた方が良いでしょう。
もちろん、冒頭で述べた言葉が嘘であるとか、口から出まかせの適当をかましたということではありません。
本当に瞑想は人生を変える力があると私は確信しています。
但し、それは急激に起こるものではありません。
瞑想を初めてすぐに変化が訪れるということは、殆どないと考えてください。
「そんなこと言われたらヤル気がなくなる」
そう思う方もいるかも知れません。
現代人の多くは即効性を期待します。
お金を支払えば牛丼が食べられる。
極端に言えばこのくらいの感覚で瞑想に効果を期待して取り組もうとする人もいるのです。
AならばBという具合には瞑想の効果は感じられないことが正直なところ多いといえます。
例えば瞑想を行うと集中力がつくという効能が謳われています。
このようなお話を聞くと
「何日くらいやれば集中力がつきますか?」
「一日、何分くらい瞑想すれば集中力がアップするのでしょうか?」
「コスパよく集中力を向上させるために何かテクニックはありませんか?」
などという質問を投げかける人もいます。
瞑想は魔法ではありません。
基本的に近道もなければコスパのいい瞑想などないのです。
瞑想で集中力がつく理由は、普段、散漫に意識があちこち駆け回っている状態の心を一つに統一する訓練をすることにあります。
私たちは普段、心を放ったらかしにして無意識に働かせる時間を多く持ちます。
まるで、心は我儘な他人のようなもので自分には責任がないといわんとばかりです。
集中できないのは心の躾がなっていないから。
このことにつきるのですが、当人はそんなこと考えたこともありません。
だから、瞑想で心の主人は自分であり、勝手はさせないと決意を固めて躾けるのです。
心の躾が出来てくれば、我儘な他人のように暴れまわっていた心をコントロールできるようになります。
その結果として物事に集中することができるようになるわけです。
このようなメカニズムを通して初めて瞑想は効能が感じられるようになります。
つまり、ゆっくりと心の成長とともに効能もじわじわと感じていく。
これが瞑想の効果効能の現れ方なのです。
ここを理解しておかないと「瞑想したのに全然、効果が感じられない」とがっかりして瞑想をやめてしまうことにもなるのです。
(5)真面目に考えすぎる
何事も真面目に取り組むことは大切です。
瞑想も例外ではないでしょう。
しかしながら、真面目過ぎると却って、瞑想は上手くいきません。
なぜなら、真面目に考えれば考えるほど、緊張につながるからです。
そして、自分が今、取り組んでいる瞑想に疑念や不信を抱くようになり、続けていくことに不安を覚えるようになります。
(1)から(4)まで述べてきた瞑想初心者のやりがちなポイントは、ある意味で真面目に考え過ぎることから陥るものなのです。
気軽に瞑想してみる。
ちょっとくらい形式から逸脱していても良いのです。
計画通りにいかなくても、さぼってしまう日があってもいいのです。
妄想だらけで、とても瞑想しているとはいえない日もあるかも知れません。
それでも全然、構わないのです。
そのくらい最初はラフに考えて瞑想に取り組む方が良いでしょう。
真面目な人ほど瞑想は行き詰りやすくなります。
真面目に取り組めば瞑想が早く上達する。
効能が出る。
そんな思い込みが背景にあるのかも知れません。
しかし、それは幻想です。
瞑想に近道はありません。
失敗も遠回りもありません。
上手くいかなと感じるときも、そのことに気づいた時点で瞑想は成功だといえます。
どうしても何かを実行する⇒サクセス!というアルゴリズムで考えてしまう人が多いので、中々、難しいところではあるでしょう。
でも、どうか気軽に瞑想を続けて欲しいと願います。
2.瞑想初心者の心得
瞑想初心者がやりがちな5つのポイントについて説明しました。
それは踏まえて瞑想初心者が心得ておくことを本トピックでは解説します。
(1)自分のライフスタイルにあった瞑想を選ぶ
瞑想を始めようと志したからには、何か気になる瞑想法に出会ったのかも知れませんね。
そんな時は気になるものを試してみれば良いでしょう。
ただ、瞑想法によっては自分のライフスタイルに合わないものもあります。
例えば静かな環境で坐禅しようと思っても、中々、座る時間を確保できない場合もあるでしょう。
そのような場合には外で歩きながらする瞑想や少しの隙間時間にできるような瞑想を選ぶのが良いでしょう。
瞑想を実施する際に必要な条件は何か。
これらを見極めて自分のライフスタイルに合うものを選ぶようにしましょう。
(2)完璧ではなく試してみる
瞑想法はそれぞれに様式が決まっていることが多いです。
しかし、その方法を完璧に準じる形で実行しようとすると中々、瞑想を始めることができないこともあります。
ちょっと試してみる。
できることからやってみる。
電車の中でつり革につかまりながら30秒くらい呼吸に意識を合わせてみるなど瞑想法の様式に合致しなくてもできそうなことをやってみるのです。
もちろん、様式にも意味はあるので、可能ならば合わせていくことも有用なことでしょう。
しかし、原理主義的になりすぎるより、ちょっとでも瞑想を始めてしまうことの方が習慣化するには大事です。
(3)計画はアバウトでいい
瞑想を始めるときは綿密な計画を立てる必要はありません。
自由時間が作れそうなタイミングで行うという程度の大雑把な取り決めでも良いでしょう。
一番、お勧めなのはタイミングを決めておくことと空き時間の利用です。
例えば朝の起床時、目覚めたときに瞑想する。
誰でも目覚めた瞬間から何か行動を起こす人は稀です。
しばらく、ぼんやりしながら一日の支度などを始めることでしょう。
そのちょっとしたアイドリングの時間を瞑想に充てるのです。
実際に寝起きはパフォーマンスも落ちています。
短い間でも瞑想してから一日をスタートする方が結果としてパフォーマンス向上が見込めます。
但し、あまり瞑想時間を正確に決めないことです。
20分とか決めてしまうと、次の予定などが脳裏をチラつくなんてことにもなり瞑想に集中できません。
5分でも3分でも、何なら数十秒でもいいのです。
目覚めたタイミングで瞑想しようと決めておく。
この程度の計画が一番、長続きします。
慣れてきて余裕が出てくるようならば、瞑想時間などを増やしていけば良いでしょう。
(4)瞑想に失敗はないことを理解する
瞑想というと何か対象に集中すること、あるいは心から雑念を無くすことだというイメージがあります。
認識として間違ってはいません。
ただ、集中できている間は瞑想が成功しているが途切れたら失敗かといえば、そうではありません。
瞑想とは対象を決めて集中することを試みますが、同時に集中が途切れてしまうことも織り込み済みの施策です。
問題は集中が途切れたことに気づくこと。
そして、再び対象に集中を戻していくことにあります。
私たちの心は放っておくと無意識に入っていきます。
無意志の中で心はまるで手綱を離した暴れ馬のように好き勝手に振舞うようになるのです。
こうなると心は自分の手を離れた状態となり、正しく思考することも物事を観察することもままならなくなります。
なぜ、そうなるのかといえば、集中に途切れたことに気づけないからです。
気づいた瞬間に心の手綱を握り直すことができます。
気づくなどということはとても些細な出来事に感じるかも知れません。
しかし、この些細な気づきがとても重要なのです。
瞑想することにおいて、実は集中すること以上に重要なのが心の状態に気づくことだといえます。
心の状態に気づければ、その瞬間から心の振る舞いに介入可能となるからです。
だから、集中できないことは瞑想のポイントではないのです。
集中できない、集中が途切れてしまうときに何が起こっているのか。
ここを観察していくことにこそ、瞑想の本質だといえます。
集中が続くとより深く心の底を観察できるようになりますし、途切れたら途切れたなりにその原因を観察する。
瞑想において何が起ころうとそれは失敗ではないと心得ておいて頂ければと思います。
(5)継続性より楽しんでやる
瞑想は習慣化しなければ意味がない。
そんな考え方もあることでしょう。
確かに継続しなければ瞑想の良さはわからない。
そんな側面も否定はできません。
しかし、継続性を重要視するあまり瞑想が何か習い事のような感覚になってしまうのはあまりよろしいとは言えないでしょう。
極論を言えば、毎日、瞑想を続けているということより、楽しんでやることの方が重要だといえます。
眠い目をこすりながら、「今日もさぼらず瞑想するぞ」と意気込むよりも、眠い日はさっさと寝てしまう方が良い場合もあります。
今日さぼったら継続性が途切れてしまう。
そんな脅迫観念が背後にある状態では充実した瞑想は望めません。
眠いなら寝てしまい、調子が良い時に実行できるタイプの瞑想法を試みていけば良いのです。
このことには反対意見もあるかも知れません。
継続こそ力なり!
このような信念の人もいるからです。
確かに何かを積み上げていくタイプの努力ならば、「塵もつっもれば山となる」という具合に意味はあるかも知れません。
しかしながら、瞑想は積み上げは不可能なのです。
瞑想は心を育てる施策になります。
土から芽を出した若葉に毎日、大量の肥料と水を与えれば、大きく育つというものではないのと同じで、心の成長も人それぞれです。
落ち着いてゆっくりと心と向き合っていくことの方がとても重要なことだといえます。
ゆっくりと心の向き合うためには楽しんでやること。
これができていれば、自然な形で瞑想実践の継続性は身についていくはずです。
・・・
以上が瞑想初心者の心得となります。
参考になれば幸いです。
3.瞑想初心者におすすめの瞑想法とは?
瞑想初心者が取り組むのに良いと思われるものを紹介してみたいと思います。
前述のトピックでも述べているように基本、自分の気になったものに取り組むのも良いし、ライフスタイルを鑑みて選ぶのが良いというのは前提です。
ただ、折角、本稿を読んで頂いている読者のために私が個人的にお勧めしているものを少し紹介しておきます。
何から始めれば良いのかわからない。
そんな迷いがあるならば試してみたらいいのではないか。
このくらいの軽さで紹介するものですので、あくまで参考として受け止めて頂ければと思います。
(1)呼吸の瞑想法
呼吸に意識を向け、呼吸の在り方を観察する瞑想法になります。
呼吸に纏わる瞑想法は実に様々なものがあります。
例えば上座部仏教においてはアーナパーナサティと呼ばれるものやヨーガにおいては調息などを取り入れた瞑想法もあります。
しかし、ここで紹介したいのは、もっとラフでシンプルなものになります。
形式ばらず、いつでもどこでも誰でも実践可能なものを紹介します。
【実践方法(その1)】
呼吸に意識を向けます。
呼吸以外に意識が向いてしまうことがあるので、それに気づいたら呼吸に意識を戻します。
・・・これだけです。とてもシンプルですよね?
呼吸は自律神経に深くかかわる動作でもあるため意識するだけで心身がリラックスしてきます。
慣れてきたら次のステップである【実践方法(その2)】にも試してみて下さい。
【実践方法(その2)】
呼吸に意識を向けます。
今、息を吐いているのか、吸っているのか認識します。
息を吐いているならば「吐く」と胸の中でつぶやきます。
息を吸っているならば「吸う」と胸の中でつぶやきます。
呼吸以外の何か閃いたり、意識が向いたことに気づいたら「雑念」と胸の中でつぶやき呼吸に意識を戻します。
・・・先ほどと実践していることはほぼ一緒です。
違いは「呼吸する」という作業の解像度を上げて認識しているところにあります。
観察力と集中力を深く養っていくことができます。
(2)歩く瞑想法
これは文字通り、歩きながら行う瞑想法なります。
呼吸の瞑想法と同じく、歩くことで行う瞑想法は伝統的なものもあります。
例えば、歩行禅と呼ばれる禅宗の瞑想法から上座部仏教で行われているヴィパッサナー瞑想にも歩く瞑想法があります。
ただ、例によってここで紹介させて頂くのはシンプルで形式や小難しい点を排除した取り組みやすいものにまとめています。
あまり構えずに実践してみてください。
【実践方法(その1)】
歩くことを意識して歩きます。
右足を一歩前に出す時には「右」と胸の中でつぶやきます。
左足を一歩前に出す時には「左」と胸の中でつぶやきます。
歩くこと以外のことに気を取られた場合には「雑念」と胸の中でつぶやき歩くことに意識を戻します。
・・・基本的に呼吸の瞑想法と要領は同じです。
対象に意識を集中して、途中で途切れたら元に戻すというやり方になります。
異なる点は対象が呼吸から歩くことに変わりところです。
歩きながら行うことができるため、いつでもどこでも歩く時には実践可能な点が取り組みやすいところだといえるでしょう。
また、歩くというダイナミックな瞑想なので比較的に長い時間、実践しやすいという特徴もあります。
慣れてきたら【実践方法(その2)】もやってみましょう。
【実践方法(その2)】
歩くことを意識して歩きます。
右足が地面から離れた瞬間を意識し「右、上げる」と胸の中でつぶやきます。
右足を一歩前に出す時には「右、前へ」と胸の中でつぶやきます。
右足を地面に置く時に「右、降ろす」と胸の中でつぶやきます。
左足が地面から離れた瞬間を意識し「左、上げる」と胸の中でつぶやきます。
左足を一歩前に出す時には「左、前へ」と胸の中でつぶやきます。
左足を地面に置く時に「左、降ろす」と胸の中でつぶやきます。
歩くこと以外のことに気を取られた場合には「雑念」と胸の中でつぶやき歩くことに意識を戻します。
・・・どうでしょうか。【実践方法(その1)】に比べると少し難易度が上がるかも知れません。
実践ポイントとしては可能な限りゆっくりとした歩みを心がけるところです。
さながら二足歩行をするロボットになったような気持ちで客観的に歩くということを観察するように行うことがコツになります。
この瞑想法をしっかり実践すると歩くことを観察する以上に自分自身を観察することができます。
私たちは歩くことに無頓着で大抵は無意識で行っているものです。
考え事をしたり、人としゃべりながら歩くことが多いので心が一番、好き放題、暴れまわっている状態であることが殆どです。
歩くことを見つめると自分の無意識の時に心の中で何が起こっているのかにも気づかされます。
瞑想初心者向けとはいえ、中々、奥の深い瞑想法だといえるでしょう。
(3)丹田瞑想法
最後に紹介するのは丹田瞑想法です。
これは呼吸の瞑想法の一種ととらえることもできます。
但し、単純に呼吸を意識するだけではありません。
意識的に呼吸を行いつつ身体における「丹田」と呼ばれる場所を意識する瞑想になります。
「丹田」とは道教思想の中で導引と呼ばれる瞑想法で語られる人体にある三つの霊薬を作り出す場所とされているものです。
なんだか神秘的な話に聞こえるかも知れませんが、あまり身構えないでください。
三つの丹田とは平たく言えば、頭、胸、下腹部の三か所のことを指します。
霊薬というのは一種の比喩で身体上で強い「氣」が生じることです。
「氣」なんていうと益々、神秘的なイメージがあるかも知れませんが、ここでも平たく「感覚」的なものと考えてください。
つまり身体上の頭、胸、下腹部が最も神経系の中で感覚が集まる場所だということです。
周知の通り、私たちの身体には無数の神経が張り巡らされています。
そのお陰で私たちは身体の内外含めて様々な部分を機能させることができているわけです。
とりわけ背骨には神経が密集していて、脳とも直接、つながっています。
その中でも頭、胸、下腹部はとてもセンシティブな部分です。
私たちは考え込み過ぎると頭が痛くなることがあります。
心配や不安が高まると胸が締め付けられたり、興奮すれば胸が高まります。
あるいは神経を使いすぎるとお腹が痛くなることや下痢をしてしまうことなどもあるでしょう。
このように三つの丹田にあたる身体の部分は神経系をマネジメントするとても重要な場所だということがいえるのです。
とりわけ下腹部の丹田を臍下丹田と呼び、自律神経を整える機能を司っているとされています。
臍下丹田に「氣」が流れると自律神経が整い、身体の血流なども良くなるようです。
つまり、下腹部の感覚を強めていくことで肉体的にも精神的にも整っていくことに貢献することが期待できます。
瞑想の実践という意味では瞑想初心者向けなのか?という疑問も正直あります。
しかし、瞑想を続けていくための身体性を整えていくという意味合いではとてもベーシックな瞑想法だと考えています。
なので、瞑想初心者向けの最後の瞑想として紹介させて頂くことにしました。
以下、実践方法となります。
【実践方法(その1)】
下腹部(臍下の付近)に手を触れてみます。
下腹部に手を触れている感覚を観察します。
呼吸は腹式呼吸で行い、下腹部の動きや感覚の変化を観察します。
下腹部が段々と暖かくなっていくとイメージします。
・・・この瞑想のポイントは下腹部の感覚をしっかりと意識できているところにあります。
じんわりと温泉に入っているような、あるいは緩いお灸をすえているような感覚があれば大丈夫です。
身体が冷えていると中々、感じられないこともあります。
そんな時は少し下腹部をさする、温めてみるというのも良いでしょう。
この実践に慣れてきたら次の【実践方法(その2)】を行ってみてください。
【実践方法(その2)】
肩幅に足を開いて立ちます。少しだけ膝を曲げます。
意識を下腹部に向けながら息を吐きます。吐く時に下腹部を少し膨らませるようにします。
息を吸う時はお腹全体が膨らむようにします。
2,3を繰り返しながら、気持ち的に下腹部に重心をおきます。イメージとしては上半身の力が抜けた状態で下半身に載せられている感じです。
下腹部に体重が載っているような感覚があればOKです。
・・・この瞑想は立った状態で行なうもので、下腹部を鍛えるのに有効です。
中々、臍下丹田の「氣」を感じるためには下腹部の腹圧を上げていくのがポイントになります。
下腹部の腹圧が上がると自然と姿勢も良くなり、心身も整いやすくなります。
以上が瞑想初心者向けの丹田瞑想法の解説になります。
どれか気になるものがあれば試してみて頂ければ幸いです。
4.瞑想の師匠の選び方
瞑想初心者にとって最初の頃は実践に不安もあるかも知れません。
自分は瞑想を正しく実行できているのか。
本当にこのやり方で結果を導きだすことができるのか。
疑問を抱えたまま瞑想を続けるのは正直、しんどいと感じることもあることでしょう。
そんな時、質問できる人や、指導してくれる存在がいると心強いといえます。
瞑想は正しい師について行うべき。
このような意見も見受けられます。
では、どのように瞑想の師匠を見つければ良いのでしょうか。
(1)瞑想の内容で判断する
少しネットを検索するだけでも瞑想にまつわる情報発信や指導、教育などを行っている人は沢山います。
それぞれに主張が異なることもありますし、共通する部分もあります。
一体、だれに師事すれば良いのか。
迷うかも知れませんが、あまり考え込むことはありません。
極端な話、特定の師匠につかなければ瞑想をしてはならないなどということはないのです。
正しい道から入らなければ瞑想は危険を伴う。
などという脅し文句のようなフレーズが良く使われているのを見かけますが、あまり思いつめる必要はありません。
もちろん、精神疾患などの特殊事情があれば別です。
それは主治医などと相談する必要はあるでしょう。
師匠を持つ持たない以前の問題です。
また、相当、特殊な取り組みをする瞑想などであれば、これもまた別問題です。
実際、ヨーガなどではかなりアクロバットな瞑想を行う場合があります。
滝に打たれるなどの特殊な行法を伴うものなども別枠と考えます。
それ以外のマインドフルネスやパフォーマンス向上のための瞑想など一般に普及するものに限っては考えすぎる必要はないでしょう。
まず、やってみる。試してみる。
その上で不明点を補える知識や経験を持ち合わせている人に師事するくらいに考えれば良いでしょう。
(2)自分の目的に合致する
瞑想教師、瞑想コーチ、覚醒した人、宗教家、色んなジャンルで瞑想を解く方々がいらっしゃいます。
そして、同じ瞑想という施策を解いているようにみえても、その向かっている目的が異なることも多いものです。
心理療法として瞑想の活用を目的に教えている人
ビジネスの成功を目指してパフォーマンスアップのための瞑想を教えている人
宗教や思想、その教義の達成のために瞑想を説く人
神秘体験やオカルト的な探求のために瞑想を用いる人
ざっくり分けるだけでも、まだまだ沢山のカテゴリーを作ることはできるでしょう。
瞑想という枠組みで考えてしまうと混乱するかも知れません。
それぞれの方がそれぞれの主張や意義、目的をもって瞑想を用いています。
そこには思想性も加わるので、何となく瞑想を教えてもらうつもりがすっかりその思想に取り込まれてしまうこともあるでしょう。
別にそれが必ずしも悪いことだとは思いません。
しかし、自分には自分の課題や目的があるはずです。
気を付けないと知らないうちに目的とは違う方向に引き込まれてしまうリスクがあります。
師事する以上は、必ず、師匠の持つ思想性に巻き込まれることは不可避です。
ですから、自分の目的は何なのかを明らかにしておくことが重要になります。
(3)我以外皆師なり
最後は私、心庵まもるの提言になります。
特殊な方法論や事情を孕む内容の瞑想以外は、唯一の師匠という存在は必要はないと思います。
大事なことは試してみること。
迷った時には素直に先達(経験者)の意見に耳を傾けてみること。
つまり、「我以外皆師なり」という気持ちで全ての存在を師匠として自分なりに瞑想を深めていくのが一番良いのではないでしょうか。
それぞれに得意分野、経験も異なり、個性がある以上、誰が最良であるかなど簡単には決められません。
誰を師事するかではなく、誰からも謙虚に学び、最後は自分で責任をもって実践する。
この態度が結局は重要なのではないかと愚考します。
この人についていけば大丈夫!と思考を停止するのではなく、自らの足で踏みしめていくこと。
転ぶことを恐れて一歩も踏み出さないより、転びながら学んでいく方が身につくものも多いです。
このテーマについては、まだ言い足りないことが多いので、また機会を設けて語りたいと思います。
本稿が瞑想初心者の何かの参考になることを願っています。
心庵まもる