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日記4月24日(土)。 #日記 秘すれば花。

すっかり暖かくなった。

と思ったものの、夜はまだまだ肌寒い。

在宅勤務ながら昨日は合間に歩き回り、なんとか歩数10000歩を確保した。

体重は昨日朝は64.3kg、体脂肪は10.2%だったと記憶する。この体重で体脂肪10%を超えているのはすこしつらい。65kg、10%位がよいのだが。。まあ誤差かもしれない。

秘すれば花、という概念がある。

いまは会社に属さず、自身を発信することで収益化、というのが世の趨勢、あらまほしき個人の目指す生き方である、という感じになっているように観察する(個人的意見)。コロナで会社も左前だ、しこうして社員は可能なら副業で稼ぐべし、バーターで会社はもう個人の面倒みまへんで、という感じだ。

これはなかなか厳しいお達しだ。かくいう私もそうなったらもう警備員くらいしかなるものはないだろう(いや、警備員の方を馬鹿にしているわけではなく、資格も経験もないなあ、ということで)。

簡単に収益化などできないのだろう。いろいろな可能性はあるのだろうが、個人的にわかっていないだけかもしれないが。

つまりは自己開陳は内実が10ならお化粧して12位の勢いで世間に発信しなければ目立たない。そんな思い込みもなんとなく私の中で芽生えている。

すきなこと、大切なこと、多分これしか世間に通用する可能性はないだろう、という思い。

付け焼刃のものでは、無理に違いない、という思い。

だが、森博嗣氏のおっしゃりようは違うのだ。

世間に開陳するもの、自身で大切にしているものが10あるとしたら、一番上から3番目位までは絶対に公表しない、とのことだ。

一人で楽しむ。その果実を、自分ひとりで楽しむ。そこで終了することが、実は重要で大切なのだ。

自分だけの判断がある。自分だけの評価がある。

そこには他人から褒められたい、他人からの評価が重要だ、という視点がなにのである。

つまり、それが本当の趣味、というものであろう。独自の研究でもいい。他人に見せる、誇る、というためにおこなうことすべてが持つ、さもしさと不確実性を、教えられた気がする。

趣味とは、要するに人の為ではなく、自身の為、自身の魂を喜ばせるために、やっていることなのだろう。自身の魂の世話こそが人間がやるべきこと、と喝破したソクラテスの真意も、もしかしたらそのあたりにあるのかもしれない。

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