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AS(D) × 非AS(D)夫婦

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AS(D)タイプの夫と非ASタイプの私の、 夫婦折り合い体験記事。
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2人の間の壁を知る。

ASDの正体を掴みたい一心  私たちは出会ってから10年以上経つが、結婚してからは、まだ3年。でも同居してすぐ、夫との意思疎通がどうも上手くいかず、頭が混乱し始めた。ネット上を漁ってみたところ、夫はASD(自閉症スペクトラム)受動型の特性にほぼ当てはまった。でも、”ASDと結婚したらカサンドラ症候群になる”、”頑張ったけど別れるしかない”…等、お先真っ暗案件しか見当たらない。私の探していた情報は『ASD×定型でも上手くやっていけています!』『仲良く暮らしています!』という希

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感覚が違う者同士の「共有」

 「味覚」と「嗅覚」  新婚当初、夫と食事をしてる時に、「この炊き込みご飯いい香りで美味しい〜」とか、「豆苗って味は癖がないけど匂いが独特だよね」と私が話しかけても「味は美味しいよ」という返事しかなく、度々違和感があって、特に山椒だとか大葉とかの香の物でも、食事中に夫の口から「香り」についての感想が出てくる事がなかったんですね。  「これすごくいい香りだけど、感じてる?」  「んー、言われてみれば分かる」 と、お皿をくんくん…。あれ?なんかおかしい。  「私は食べ物の匂

わたしの日常は、あなたの非日常。

 夫(ASD傾向)とのコミュニケーションに齟齬を感じてから、ASDとは何か?を追ってきた私ですが、お互いの欲求の根本で、快/不快に分かれる大きな違いがあって、そこには『ペルソナ』の有/無が深く関係しているのでは?という仮説です。 コミュニケーションに対する夫の不快と、私の快  Twitterの相互さんで、ASD当事者として発信してらっしゃるHOTASさんに、先日、こんな疑問を投げかけられました。  この質問、とっても難しかったんです。  何故なら、自分と考え方の違う他

揉めた時の私へ。とりあえず、これ読んで!

 さて、私たち夫婦は同居以来、数多の時間を揉めごとや話し合いに費やしてきました。(結婚生活は3年ちょっとですが、交際期間も含めると12年ほど)とにかく、揉めると、私の言葉に感情がよりたくさん乗っかり(嘆き、悲しみ、苛立ち、不安など…)それを夫が処理しきれず、満足いく答えが返ってこないモヤモヤで、更に私が言葉を重ねて、夫がオーバーフローしてお互い苦しんでしまう…なんてのも、ありましたありました。  これは私も心理的に虚しかったり張り合いが感じられず辛くて仕方ないし、夫には私視

「共感力」て何を指してるの?

 ASD特性の話になると必ず出てくるワードのうちのひとつに「共感力」があると思いますが、共感力自体は、定型とかASDとか関係ないと私は思うんです。  定型でも、共感力の高い人、低い人いますし、ASD特性があってもそこは同じだと思うのですよ。  因みに私の夫は、共感力がすごく高い人なんですが、新婚当初、私はそれにまったく気付けませんでした。それどころか、人の気持ちにすごく鈍感な人だと思っていたくらいです。じゃあ、なぜそんなに勘違いしてしまうんでしょうか?  「共感力の高い人

『ルビンの壺』 ー感情の共有は夢か現か?〜後編〜

 さて、前編からの続き。『二人の器』が満たされないと、私は満たされていたはずの自分のウツワまで干上がる感覚を味わってしまう。つまり、いくらそれぞれの気持ちが満たされていたとしても、二人の感情の共有次第で、私のご機嫌が左右されてしまうのが最大の問題だという事になる。それならば、何をどうしたら良いのだろう?  私と同じように「他人とやり取りをして元気をもらう」と感じる他の人にも詳しく聞きたいところだが、この『二人の器』は、どこにあるのだろう?  そして、元気をもらうのは相手から

『ルビンの壺』 ー感情の共有は夢か現か?〜前編〜

「二人の器」の存在 私たち夫婦がかなり苦戦するのは、やはり「感情面(=気持ち)」のやり取りだ。目に見えない気持ちを共有する事が、なかなか難しい。  気持ちを"ウツワ"に喩えると、私には私のウツワがあり、夫には夫のウツワがあり、夫はそれぞれのウツワが満たされてご機嫌な状態ならば満足で、それ以上何を望むの?といった具合だ。  しかし私には『二人の器』という夫と私、二人の気持ちを共同で注ぐ"気持ちの共用スペース"のようなものが感覚的に存在していて、パートナーと共に満たす作業こそ、自

うちの会話の工夫。→集中しすぎる頭のコントロール

 ASDの大きな特性で、あまり一般的に知られてないと私が感じるのは、外から入ってくる、問題や謎をキャッチすると原因究明や解決のために、全力で脳が「勝手に」回転し始めてしまい、他人とのコミュニケーションを邪魔してしまうということ。 うちの場合だと、私が「ちょっと聞いてよ」という軽いノリで夫にその日思った事など話すと、夫は妻の私が何故そう思ったのかをすぐにでも究明しようとしてしまう。 これは男性によくありがちな男性脳的な思考だけど、夫の場合は、それを全くコントロールできない。

誰かの定めた型など手放して、自分の色を思い出す。

「定型」とは、 常識からはみ出た部分をトリミングして定型の型に上手くハマっている状態の事であり、 「定型」と言う人たちは実在せずに 「みんな同じ」に切り抜くための「型紙」 ーーつまり人ではなく、平均値の事なのではないか。 ASDと引き合いに出す定型というのは 「コミュニケーションが問題なく取れる人」 という型で ADHDと引き合いに出す定型は 「社会生活が問題なく送れる人」 という型になるだろう。 世の言う「定型」とは、社会生活に支障のない人たち、はみ出た部分(個性)を押

気持ちを共有する=心の現状把握

 夫婦の会話で違和感がどうしても消えないのが、私が話したあとの夫のリアクションの無さで、「聞いてもらえた」という手応えを私が得られないところだ。夫の頭の宇宙にシュ!っと吸い込まれて、一体何を理解し、聞いてくれたのか、まったく分からない。 それって一体何なのか?と言うと「二人で共通認識した」という、心の目と目が合うような感覚を非ASDの私の頭は、どうしても求めてしまうという事だと思う。 その感覚は情動的共感やら認知的共感やらと難しい表現をするほどの事ではなく、単純に事実面の解

言葉と感情『ワンセット』と『別盛り』の織りなす世界

 ASD言語と定型言語  会話していてまず感じるのは、私はいかに普段、無意識に言葉と感情がワンセットで、夫は別盛りかという事。  それは前の記事でも書いたけれど、夫は言葉と感情を並行処理するのが苦手なので、言葉は言葉そのままの意味だけで受け取り、投げ返す。それを、感情とワンセットだと無意識に思ってる私がキャッチして、また次の言葉へと展開していく。

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スタートラインに立つ。

ASD理解覚醒の救世主現る、の巻。同居して2年目の去年の夏、 夫の転職で、夫婦関係がギクシャクし、しばらく私が実家に帰ろうかというところまで精神的に追い詰められていた時、私たちは、とあるブログと出会う。 まず同居したての新婚早々ぶち当たった違和感は、自宅で食事をすると、私がまだ食べ終えていなくても、自分が先に食べ終わると夫はサッサと空いたお皿を片付けてしまい、会話も弾まないまま「食べる作業」のような食卓では、私にとっては気持ち的に美味しく食べられず、全然リラックスができなか

私たち夫婦のかたち。

さて、夫がASD特性を自認し、夫婦のスタートラインに立ったあと、私は一人芝居の虚しさからは脱したものの、すっかり楽になれたとは言い難かった。 夫は新しい環境への不安に加え、私に怒られるのを恐れ、家で「外モード」になってしまったり、私もどれだけASDの理解をしても同じような揉め事を繰り返してしまう不安や混乱で、パニック障害が悪化したりと、お互いメンタル不安定のグダグダ状態が続いた。 何故なら、ASDだと本人が自覚したからと言って、いきなり変われるわけがない。それには何が違和感な

『いいと思うよ』の真意。

自分の本心を奥底にしまってしまい なかなか私に向けて表現できない夫。 今日は、この連続ツイートの補足。 私が何か提案した時の「いいと思うよ」「いいんじゃない?」は私からはジャッジに聞こえる時があるんだけど、夫はそういうつもりはさらさらないと思う。 この「いいと思うよ」 という台詞には結構、奥深い理由がある。 夫にとっては人の気持ちの詳細って分からないから、私を不機嫌にさせてしまうのが何より不安。 自分自身が不安なのではなく、あくまでも私の気持ちが分からない不安という感