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揉めた時の私へ。とりあえず、これ読んで!

 さて、私たち夫婦は同居以来、数多の時間を揉めごとや話し合いに費やしてきました。(結婚生活は3年ちょっとですが、交際期間も含めると12年ほど)とにかく、揉めると、私の言葉に感情がよりたくさん乗っかり(嘆き、悲しみ、苛立ち、不安など…)それを夫が処理しきれず、満足いく答えが返ってこないモヤモヤで、更に私が言葉を重ねて、夫がオーバーフローしてお互い苦しんでしまう…なんてのも、ありましたありました。

 これは私も心理的に虚しかったり張り合いが感じられず辛くて仕方ないし、夫には私視点に立ち感情を拾って鎮める…なんて事はASDの特性上とっても至難の技なのです。(多かれ少なかれ男性は苦手だけど、夫の場合はシステム的に不可能)だから、どうにも場が収まりそうにない場合の止め方についても何度か話し合ってきました。

 今日は、その中から効果のあった対策を3つほど、自分用に書き記しておこうと思います。

①クールダウンは必ず効く

 もしイラッときて、怒りを言葉にのせて飛ばしはじめてしまったら、まず、感情が鎮まるまで、物理的にしばらく離れて頭を冷やす。ASDと非ASDの思考回路では、言葉のやり取りに限界を感じる事が多いと思う。
「一体どこから説明したらいいの?」と、"お互いに"途方に暮れるのだ。そんな時は、話が途中だろうと違う部屋やトイレなどに一旦姿を消して、少し離れて時間を置くと必ずさっきまでの気持ちは鎮まってくる。落ち着いて話しても、分からないことが多い私たちは、冷静さがとても大切。
 でももっと大事なのは、怒りを我慢しないこと。自分がムカついていることを真正面から受け止めてあげよう。なんでムカついたのか?自問自答してしっかりキャッチする。感情を自分で否定せず「自分悲しんでいるなぁ。だいぶ腹立っているなぁ。」と、俯瞰できると落ち着いてくるはず。

②それ何モード?→カードを置いておく

 私のこの話は、夫に何を求めているのか?
 夫が黙り込んでいるその沈黙の意味はなんなのか?
 話したり黙ったりする前提が、思考回路の違いによって、互いに読めないので短冊型に画用紙を切って、マジックで見えやすいように書いて居間のテーブルに置くようにした。

 ・「聞いて欲しいだけ(解決は求めてない。相槌ください)」
・「ストップ!(話聞いてるよ。返事を考え中)」
・「言いたいことは分かるよ(自分の実感としては分からないけど)」
 
 など。(メモ帳に書いておいて見せるのでもいい)置いてあるだけでも、パッと言葉が出てこない時これがある…と思うだけでも、二人ともだいぶ安心できるようになった。
 今後バリエーションが増えるかな?今のところこれくらいしか使わない。夫の受け答えは、基本的に私にとっては解決なので、相談したい時は問題なく会話できる事が多い。

③悪いのは脳の相性

 あなたも私も悪気がないなら、間違いでもないし悪くもない、ただ脳みその相性が悪くて、すれ違ってしまうこと、思い出して!
 ASD特性を理解する最大の利点はこれじゃないかな?私たちの意思ではなく相性のせいだと、心底思えるようになった。

 「良かれ」が違ってしまうという事は、自分の親切が相手に通用せずに、悲しい気持ちが湧き上がる。そして、さらにそれすら分かってもらえないと怒りにつながる。怒って当たり前なのだ。怒りは悪いことではない。でも、それを目の前の相手にぶつけてしまうと、相手にダメージを与えてしまうのも事実。
 だから、その怒りは相手ではなく、ASDと非ASDでは、脳みその相性が悪い事に向けよう。
 とにかく、誠心誠意、相手を思いやっているなら、相手も自分も責めないこと。

 『悪いのは脳の相性』だ!

 ここ最近、仲良くいるために敢えて距離をとるようにしています。

 揉める事自体、ただお互いを削りあってしまうのはよく分かったので、最近はとにかく必要以上に喋らないようにしておりまして(笑)、基本的に私たちは別々の部屋でルームシェアのように過ごしています。猫のように、お互いを縛らず、常識にも縛られず『相手を尊重しつつ誰より自分がご機嫌でいることを第一に生活しよう』が我が家のテーマ。
 それでも、顔合わせて一言目、挨拶レベルの会話でもギクシャクしてしまう相性の悪さ…。何故なら、夫は人の気持ちが読めないから人となるべく関わらないで済む方が良くて、私は好きな人とはできるだけ話したいわけだから、もう生理的欲求レベルでいちいち真逆なんですよね。私を苦しめたくない!と夫が思えば思うほど、私を悲しませたり、怒らせる事を言ってしまったり、足りなかったり。本当に難儀です。

 「自分以外に妻ちゃんがコミュニケーションできる相手をつくって欲しい」というのが、夫の切実な願いだったりします。結婚して、夫の特性理解のために、他の人間関係を投げ出してしまいズタボロになってしまった不器用な私としては、責任とってよー!と叫びたくなるところなんですけど、「夫婦とはこうあるべき」の常識に囚われると苦しいので、夫のおかげで、自分は人とコミュニケーションとることで感情エネルギーを人と交換して、元気を保っていたんだと痛感したので、これからその自覚で生きていこうと今は思います。そして、私もけっこう気難しいタチだから仕方ない。ぜんぶそのまま受け入れ、諦めよう!(笑)夫の特性理解という超他人軸をやったあとなので、とにかく自分を楽にしてやりたいんですよね。よくやったね!と誰かに褒められるより、自分で心底思えた時に、その「大変さ」は成仏する気がします。

 自分自身を回復させつつ、また新しい人との交流を楽しみたいなぁと、思いはじめた今日この頃です。

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