見出し画像

感覚が違う者同士の「共有」

 「味覚」と「嗅覚」

 新婚当初、夫と食事をしてる時に、「この炊き込みご飯いい香りで美味しい〜」とか、「豆苗って味は癖がないけど匂いが独特だよね」と私が話しかけても「味は美味しいよ」という返事しかなく、度々違和感があって、特に山椒だとか大葉とかの香の物でも、食事中に夫の口から「香り」についての感想が出てくる事がなかったんですね。

 「これすごくいい香りだけど、感じてる?」
 「んー、言われてみれば分かる」
と、お皿をくんくん…。あれ?なんかおかしい。

 「私は食べ物の匂いも"味"に含まれて、それぞれが相乗効果起こしてる感覚なんだけど、夫はどう?」と、聞くと
 「匂いは匂いで、食べてる時は味しか感じない」と言います。

 「だから今まで食事の感想が噛み合わなかったのか…」と、私は納得し、夫も今まで食レポやソムリエなどが、香りも含めた「味の感想」を言う人の意味が分からなかったみたいで、その時初めて、「味覚」と「嗅覚」を自分が同時に感じていない事、そして多くの人は同時に感じている事を知ったようなのです。

 その代わり、夫の味覚はとても鋭い。お米の種類や炊き加減、料理の塩加減、化学調味料の味などにとても敏感なので、私は新婚当初、結構食事の支度には気を遣いました。今となっては、安くて良い食材を見抜く勘が養われて、役に立ったなぁと思いますが(笑)

 でね、この感覚の違いって割と奥が深いと思うんですよ。味と香りをひっくるめて「風味」だと思っていた私が、「味覚だけ」を想像するのは、自分が鼻が詰まって臭わなくなってる時を思い返せば、何となく想像はできます。でも、夫が匂いと味を同時に感じる私の感覚を想像するのは、未知の領域で、ほぼ不可能に近い。それはそうですよね、生まれつき2つの感覚を混ぜ合わせて味わった事がないし、これからも分からない。でも本人はそれが当たり前の感覚だから、特に困りもしていない。

 でも、その時、お互いの感覚の違いを知ったんですよね。とても美味しいお茶を飲んだ時、やはり私はいい香りだとより一層美味しく感じるわけです。そこは自分の中で目一杯感じておくとして、夫にそれを言葉で伝えても仕方ないから「このお茶、美味しいね」でいいわけです。夫は飲みながらではなく、マグカップを鼻に近付けて、「俺でも分かるくらい、いい匂いする〜」と私のために言ってくれる。

 これって違いを知った上での、新しい共有の仕方だと私は思うんです。

生まれつきの感覚が、自分の普通

 この味覚と嗅覚を、同時or別々に感じるという話は、私たちのコミュニケーションにも深くつながっている話だったのだと、そのあと気付く事になります。応用してみれば、言葉で「感情」と「意味」が同時にやり取りできるかできないかの話と同じだと思うんです。

 私からの指摘で初めて、夫は自分が味覚と嗅覚を同時に感じていない事を知るわけですが、私はその時「え!なんで今まで気付かなかったの!?」という台詞が思わず口から出ました。これは、私の何の悪気もない正直な「驚き」であって、決して責めてるわけじゃありません。

 でも、夫としては、生まれつきの特に困ってもいない感覚を自ら「おかしい」だなんて思わないわけで、他人の感想が自分と違ったところで、自分じゃないんだから違うよねとしか思わないでしょうね。何故なら、並行処理による相乗効果を、それぞれの感覚が個別に分かれてる夫が想像するのは実質不可能なわけです。こういう感覚の違いで単純に「話が合わない」のも勿論ありますし、この現象の本質は、夫が「同時に感じること」が苦手で、私は当たり前…というところにあると思うんです。夫の場合は、「嗅覚」と「味覚」を同時に味わう事、「言葉の意味」と「感情」を「話す」時の並行処理が難しいけど、人によってそれぞれの感覚器官の特性、得手不得手や、度合いが違うと思います。

 情緒的な意味が会話上にのらない、自閉文化の人とのコミュニケーション齟齬の根本て、ここだと思うんですね。
 他人と情緒を相互的にやり取りして楽しむ文化が当たり前の人たちにとっては、意味や情報しか言葉でやり取りしない自閉圏の人が、「自分にとって」は、何か足りないと感じてしまうから、なぜ周りと違うのが分かっていて、その特性に気付けないのか?と、不思議に見えてしまうわけですが、人からその違いを指摘されたり、自分が本当に苦痛に感じない限り気付きようがないかもな、と私は思うわけです。

 この話って、まだまだ浸透してないなぁと感じます。自分の想像できる範囲を超えていて想像できないASDと、灯台下暗しで、当たり前すぎて想像できていない非ASDとでは、やはり、「気付くこと」さえできれば想像できる方に頑張って欲しいなぁと、私は単純に思ってしまい、度々Twitterで空回りしてきましたが(笑)

 じゃあうちら夫婦間で、どのように情緒的な共有をしているかと言うと、夫は喋らなきゃ自分や他人の感情を感じられるらしいんですね。とにかく、感情や感覚などの目に見えない事を言語化するのに、かなりの負荷が脳にかかるので、リアルタイムでの会話では、同じペースで話すのは難しいです。すごくのんびりできる時に話すか、文章でやり取りするかにすれば、できます。ただし、私が感情的になったり否定的なオーラを放ちはじめたら、、途端にできません!
本当に、少しでも誤魔化しが効きません。

 あとは、私の考え方、感覚が変わった事で、すぐ自分の解釈で感情的に反応するのではなく、「ん?夫はどうしてそういう事を言うの?」とかワンクッション受け容れができるようになったことで、夫にも余裕ができたのが大きいと思います。


 それまで散々、生きるか死ぬかの喧嘩(?)をどれだけ繰り返してきた事やら(汗)私は、生理が止まって、髪の毛が抜けまくって、パニック障害が悪化して、感情を無意識に我慢して鬱っぽくなってしまったりで、正直ここ数年ボロボロでした。覚悟の上でやっていたとは言え、夫も自分のせいでボロボロになる私を見るのも、身体的にも相当キツかったと思います。最近は、ようやく落ち着いたと、言えるようになりました。お互い、全く感覚が違う同士、分からないけど、分かろうとして良く頑張ったなぁと思います。

 特に情緒面の共有は一番悩んで苦労したところですが、感覚の違いを自分の感覚として理解する。頭ではすぐ理解できても、感覚で分かるってすごく難しい。でも、そこが本当に分かると、夫を「見下す」みたいな気持ちはゼロになりました。そしたら、共有可能な部分や方法を、冷静に気持ち良く話し合えるんですよね。あとは、お互い素直に、自分を曝け出せるかどうか?の話になってきます。

 また長くなりそうなので、今日はここまで。

 今後は、マイペースに気付いた事や思った事、Twitter上には書けなかった話など、短い記事をnoteにアップしていこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?