巣立ちの時の心の中は?
この春巣立ちの息子くん達。
先週、県外に引っ越した上の息子くんでしたが、早速昨日忘れ物を届けに。
おばあちゃんも一緒に息子くんのアパートへ。
何をするにものんびりマイペースな息子くん。
独りで暮らしていけるのか?!どうなることかと思っていたけれど、部屋は、自分のお気に入りの物が飾られ居心地の良い空間に。
そして何と!ママとおばあちゃんの為にお昼ご飯を作ってくれていたのでした。簡単なメニューだったけれど、きちんと心のこもった優しい味のするご飯。本当に美味しくて。
あぁちゃんと育っていただんだなぁ・・・。
スーパーにお買い物。買い物終わりに息子くん「買いたい物があった」と言うのでカートを押してついていく。
ハチミツコーナー。
「ハチミツ何に使うの?」と尋ねる。「コーヒーに入れたり。美味しいよね」と息子くん。
私は毎朝ハチミツコーヒーを飲んでいる。息子くんにも確かに入れてあげたことがあった。
あぁちゃんと繋がっているんだなぁ・・・。
思春期になる子どもはわたし達親の言うことを聞かなくなり、まるで小さい頃ママが大好きだったことすら覚えていないような。そんな素っ気ない態度になってしまう。
けれどもちゃんと愛された体験は美味しいご飯や、美味しいコーヒーの中に生きている。
もう面と向かって甘えたり感謝を言うことはないけれども、それでもちゃんと好きでいてくれていた。と実感。
次は下の息子くんの番が近づいている。
あさってには自宅を出て寮生活が始まる。
さっき2人でご飯を食べていても、スマホを見たり会話も少ない息子くん。
まるで『ママなんか居なくたって平気だよ』と言わんばかりの態度に悲しくなる。
「パパやママと離れるの淋しくないの?」
「そんなに淋しくない」
「そうなんだ・・・(やっぱママだけか)」
「会わなくてもねちゃんと分かってるからね。会わなくたってここ(心)にいるから。だから淋しくなんかないんだよ。でもちょっと淋しいけどね」とニヤリ。
お出かけしたり、笑い合ったり、可愛がられたり。そんな記憶は薄れていく。けれど愛された感覚は染み込んでいるので、心の中にしっかりママを感じられるようになっている。
物理的に距離は遠くなっても、心理的な距離は近く、安心して離れていられる感覚。
ちゃんと育っていたんだな。頭では分かっているけれど、気持ちではやっぱり淋しがって欲しいと思うママ心。。。
赤ちゃんを産んでママになり、子ども達中心の生活になった。
常に子ども達のことが頭にあった。
「今日の夕飯は息子くんの好きなからあげにしよう」「今日の息子くんは16:30に帰って来てるな。何しているんだろう」「お友達とは上手くやれているかな。今日は楽しく過ごせているかな」
これを18年もやってきたので、いきなり息子くん達がいない生活で「自分軸で生活しても良いよ。自分で好きに過ごして良いよ」と言われてもどうして良いのかさえも、今の私には検討が付かない。
けれど、息子くん達の中にしっかりママに愛された記憶が刻まれ、自分達の翼で飛び立っていこうとしている今。私に出来ることは上手に手を離してやること。
でもそれが一筋縄ではいかない作業。ついさっきも、後少ししか一緒に入れない息子くんなのに口論に。。。こんな不器用なママでごめんねと心の中では思いつつ。上手くはいかず。
さてさてどんな風に手を離せるか。巣立ちまで後2日。乞うご期待。