旅先の非日常から気付く。大切な想い。
G7サミットが広島で開催されました。
5月の初旬から、広島では沢山の警察車両が広島にやってきて、駅や道路に沢山の警察官が立っている物々しい雰囲気でした。
無事安全にサミットが開催されるだろうか、固唾を飲んで見守った。
サミット初日、夕方のテレビニュース。
各国の代表が平和公園の慰霊碑に献花している。。。
食い入るようにテレビを観ていた私の目から、私の意思とは違ったところで、涙が溢れ出す。
自分で自分に驚いた!
まるで魂が泣いている。遺伝子から泣いているような。。。
自分で自分の『感じ』が理解できずに。
ただ胸が熱くなり、ただただ流れて止らない熱い涙。
身体の奥から込み上げてくる私の血潮。
仕事から帰って来た旦那さんが、テレビの前で号泣している私に大笑い。。。
一気に現実に戻った。
「あれ?何で泣いてるんだっけ?!」
二人で泣きながら笑い合う。
サミットが気になるつつも。
通行止めの道路を避けながら、久しぶりに温泉旅行に行って来ました。
島根県の温泉津温泉。
品質の良い温泉に、美味しいご飯に美味しいお酒。
温泉街のバーでは地元の人とも交流した楽しい旅の思い出。
次の日、早起きをして温泉街のお寺の『寺活-朝まいり-』に行ってきました。
「朝のお勤めは私達にとっては日常です。非日常の旅の方にも、私達の日常をお裾分けしておるのです」
優しく微笑む住職さんの温かい声。
住職さんは法話の中で、『お寺の掲示板大賞』の話をしてくれました。そんな賞があるとは!
そこで、大賞に選ばれた作品
「お前も死ぬぞ」
もの凄くインパクトのあるメッセージ!!
これがお寺の前の掲示板に貼り出されているのを見つけて読んだ人はどれだけ驚いたことだろう。
生きていることが『当たり前』なのではない。
人は誰もがいずれ死んでいく。
これは変えることは出来ない。
死ぬることの方が『当たり前』なんだ。
生きているのは『たまたま』
私達は『たまたま』生かされている。
それを忘れず。
生かされていることは『当たり前』ではなく『ありがたい』こと。
日々の日常に感謝感謝。
それが凝縮されたこの掲示板のメッセージ。
もう一度じっくり噛みしめる。
法話の最後。住職さんがお気に入りの掲示板を紹介してくれた。
「これからが これまでを決める」
ん?逆ではないの?
「これまで(の行いによって)これからが決まる」なのでは?
ふと、金曜日に観たサミットの光景が目に浮かんだ。
あの時、頬をつたう涙を感じながら
「私の死にも甲斐があったんだ」と。。。
不思議な感覚だった。
魂に刻み込まれた原爆の記憶。。。
私は被爆三世として生きている。
爆心地から1.5キロの日赤病院で被爆したじいちゃんは、瀕死の状態で左手を切り落とした。
世の中は平和になった。
でも、片腕のじいちゃんも、私達家族もずっと戦後だった。
戦争が終わっても続いた、被爆者とその子ども(被爆二世)に対する偏見。
「ありゃ原爆(被爆者)じゃけん」と線を引かれる。。。見えない線がずっと見えていた。
小さい頃から『世の中は言って良いことと、言って損することがあるんだ』と学んだ。
小さい頃から『世間は心から信じるもんじゃないのかもしれない』と感じた。
小さい頃から『抗うこともできないことが世の中には沢山あるんだ』と諦めた。
私の日常は原爆に大きな影響を受けてきた。
これからの私に何ができるだろう。。。
じいちゃんがもしも、瀕死の状態から生還してくれなければ私はこの世に産まれて来ることも出来ず、大切な家族にも出会えず、大切な大切な子ども達にも出会うことが出来なかった。
生きていることは『当たり前』ではなく、たまたま生かしてもらっている『ありがたい』こと。
今回のサミットの政治的な意味は私にはわからないけれど、ヒロシマの日常を体験して来た私にとっては、「これまでを感じ、これからを考える」大切で心に残るサミットとなった。
生きることも、出会えたことも『当たり前』ではない。
noteを通じて、あなたと一緒に立ち止まりサミットに思いを馳せたこの一瞬も、かけがえのない『ありがたい』こと。感謝・・・。