スポーツライターが「馬鹿舌の偏食」という気恥ずかしい問題を語る
早速「#食欲の秋に食へのこだわりを語る」は盛り上がりを見せている
本日昼間に「#食欲の秋に食へのこだわりを語る」というリレーエッセイもどきを募集しました。
みんなで盛り上がる話題で、各自のこだわりについて熱っぽく語ってもらいたいなぁと思い、そしたらもう、秋だし食だろう!っていうことでこのテーマを選びました。
さすがにこのテーマ、面白い投稿いっぱいありますね。
ミンさんのチキンカーレ(原文ママ)。
こりゃいいわ。これはいい。
思い出込みでこれもいいっすね。
特に、お父様のこだわりから離れてキュウリ入れているっていうのが個人的にはいいなぁと思うんですよ。
試食かー。こんな文化もありましたね。
美味そうなんだよなぁあれ。家帰って同じの作ってもイマイチなんですけどね。
ということで、今月末まで募集していますが、遅れても、食欲の冬になっても投稿してもらえたらそれで嬉しいので、そこはフレキシブルというか、ズルズルというか、捉えかたはひとそれぞれですが、緩い感じで行ってみましょう。
というわけで。
わたくし2回目の投稿をしたいと思います。
私の中では食が楽しみ過ぎる
私の「食へのこだわり」。
それは、苦手な食べ物を如何に避けるか?ということを常に考えているということです。
前回記事にしましたが、私はとにかく空腹になるとそれしか考えられない原始人に変身します。普段割と理性的な記事を書いているために、こんなことを話すとかなり意外に思われる方も多いのではないかと思います。(そうでもない、っていうツッコミもあると思いますが…)
それほど私にとって食欲ってかなり強いものなんですね。
好きな料理を食べている時って本当に幸せなんですよ。Cook DoのCM出られるんじゃないかってくらいに。話は逸れますが、恐らく世の中で一番うまそうに飯を食う映像ってCook DoのCMなのは間違いないと個人的には思っています。
うめーうめー言いながら飯を食う時間というのは本当に大事で、別に「ストレス社内の中で唯一のオアシス」とか、そんなに日常生活の中でくたびれている訳ではないんですけど、それでも今の生活の中での楽しみの相当上位に入ることは間違いないです。
だから、40過ぎて食べる量が減ったとか、脂がダメになってきたっていうのは人類として正しい変化だとは思うし、今まで体に必要ないところまで摂取してしまってきたところを上手く防衛出来るようになったという意味で非常に助かっているのですが、寂しくもあるんですよ。楽しみが減っちゃっているってことですから。
考えてみると私の例の父って、40過ぎても結構食べていたんですよ。あれ、よくそんなに食えたもんだなぁって今の年になってみて思うんですね。楽しそうに食べていたけど、確実に体に悪かったんだろうなぁって。
「馬鹿舌の偏食」という面倒な問題
でね。
私はとにかく食事が好きで、それは食を通じてとにかく楽しい気分になれるから、という実に原始的な理由だったんですけど、その原始的な楽しみを台無しにする要素が幾つかありまして…
その代表格が、苦手な食い物が結構多いということなんです。
これはねぇ…一気に楽しくなくなっちゃうんですよ。
楽しく食べている中でいきなり野郎が混入していると、途端に正気になってしまう。30年前のドラマの男女の修羅場でコップの水をぶっかけるシーンってよくあったじゃないですか。苦手な食い物に口の中でフェイスオフした時は、正にあんな感じです。
馬鹿舌のくせして、そっちのセンサーは凄いんですよ。ピコーン!って反応するようになっているんですね。
あれ、鋭敏な味覚を持っている方って質問なんですけど、苦手な食べ物も多いんじゃないですかね?それくらい繊細だとすると、食える食べ物のレンジも相当狭いと思うんですよ。あでも、偏食の人が美食っていうのはあんまり聞かないんですよね。ポテトチップスしか食わないみたいな人多いですから。ありゃあ一体何なんだろう。
まぁ要は「馬鹿舌の偏食」っていう「食のアンハッピーセット」と言うべきジャンルに近いところに、恐らく私は位置していると思うんです。苦手な食い物についても馬鹿舌にしてくれたらいいのに、どういうメカニズムでこんなことになっているんだろう…
そんな感じで、苦手な食い物に当たるといきなりしょぼくれたおじさんになってしまうので、これを回避するための手段ってもはや
「苦手な食い物を徹底して避ける」。
これしかないんですよね。
ゴボウとかブロッコリーみたいな、極めてボール球に近いところに位置しているきわどいゾーンの食い物については食べます。これはどうにか頑張ります。さすがに偏食が過ぎると体にも悪いですし、嫁さんに偏食の相手をさせるのも申し訳ないですしね。
ただ、基本的にゴボウは私にとっては「木」であり、ブロッコリーは「森」みたいなもんです。あまり食い物っていう感覚は無いので、頑張りは必要なんですよ。
くにゅくにゅ・プルプル系の食感が大の苦手
ただね。
「馬鹿舌の偏食」とは言いますけど、苦手にも度合いがあって、ブロッコリーやゴボウレベルなら耐えられるし、やっぱり42歳の中年男性が偏食っていうのもダサいので何とかします。
ただ。
どうにもならないジャンルがありまして。
しかもね、これ困ったことに、結構いろんなところで登場するんですよ。この食感を好きっていう方も多いこともあって、共感が得づらいというのも更に面倒にするような気がしていて。
私は、くにゅくにゅ・プルプル系のものが本当にダメなんです。
例えば、モツ。
焼肉なら内蔵系。
この辺はまだいいんですよ。そんなにもつ鍋食べに行くってならないですから。頻度が高い上に、回避不能な最強食材が居るんですよ。
鶏肉の皮という最強モンスターは避けられない
それは、鶏肉の皮です。
親子丼とか、照り焼きとか、鶏が登場するところにセットでぷるぷるの鳥皮がくっついてくるんですよ。で、皆さんおいしそうに食べるんですよね。
くにゅくにゅのプルプルで、デザートならまだしも、塩味のメインディッシュでこれが登場するとヒー!ってなってしまう。
口に含んだ瞬間に奴の触感が目立つんですよ。自己主張が元気のいい大学生みたいに強くて。人気者を気取ってるから、来るんですよすぐに。
これがねー、隠し味みたいないぶし銀的ポジションならいいんですよ。「これ何がはいってるか分かりますか?」っていう店主のこだわりクエスチョンに対してんーって顎抑えるポーズ取りながら言い当てる感じのやつで、ふすまの外から様子を伺うような隠し味だったら気づかずに終わるじゃないですか。
鶏の皮の触感って、塩味とか酸味くらいガツンと来るんですよ。もっとあっち行ってろよマジでさー。鶏皮くんは廊下立っててください本当に。まぁ立ってらんないんですけどね。
しかしこう、苦手な食い物とか触感とか味覚ってどうしてこう、主張が強いんですかね。まぁ主張が強いからこそ苦手になっちゃうっていう「卵が鶏が論争」的な話なのかもしれないですけど、一つ言えるのは困るっていうことなわけで。
モツや焼き肉の内臓系は私のこだわりたる、徹底して避けるということが有効なんですけど、流石に所帯がある身として鶏肉の皮を避け続ける「鶏皮フリー生活」なんてもんは石油を使わずに生きていくのと同じくらい難しいわけで。
これに関してはもう、諦めるようになりました。
苦手な食い物って食べていくうちに克服できるようになるっていうのが親や学校の先生の教えとして有ると思うんです。
あれねー、嘘ですよ。
42年掛かっても、鶏皮はダメです。
42年の修行とかもう、老師のレベルじゃないですか。とんでもない秘奥義とか使えるようになれるレベルで鍛えている筈なのに、私の味覚は2歳の頃と同じなんですよ。全然あのくにゅくにゅのプルプルが気持ち悪いままなんです。
昼休みに食わされたあの頃と、同学年のアスリートがほぼ絶滅した今と比べても、何も変わらない。防衛策が「出来るだけ早く鶏肉と鶏皮を分離させて飲み込む」の一択しか無くて、のどの抜けていくときのプルプルくにゅくにゅがこれがまたぞっとするほど気持ち悪い。
とりあえず、これは生涯修行としか言いようが無いです。
モツとか食わない権利を獲得した代わりに、これに関しては付き合っていくより他ないですね。
っていうか、鶏肉の皮が私レベルでダメな人ってどれくらい居るんですかね?スーパーマリオが妻並みにダメな方が結構居たので、「実は」って方がいたらコメント欄で教えてくれると嬉しいです。
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今回は「前向きな言葉の掛け方について」です。
言葉で助けられるときと助けられない時があるっていうことを少し考えていけたらいいなと思っています。