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兄と仲が良すぎてアマチュアバンドのwikiページを作った話
兄と私は仲が良い
以前少し話をしたことがありますが、私には兄が居ます。
今日は少し兄の話が絡んだエピソードを話そうと思います。
私と兄は2歳離れていて、私が小学校4年生の頃に兄は小学校6年生、私が中学1年生の頃に兄は中学3年生と、絶妙な距離感な訳です。
同じ少年野球チームに入っていた関係で兄の友達と妙に仲が良かったこともあり、兄弟仲は昔から非常に良好だったと思います。
兄の友人が来ればいつもゲームを一緒にすることになり、「くにおくんの大運動会」では2歳年下にもかかわらずどういうわけかやけに弱いチームを取らされます。おかげで技を持たない雑魚のようなキャラクターで嶺峰(字は不確か)高校に勝つのがやけにうまくなりました。
中学校に入学した時に例の父から「お前は野球部に入るな」というとんでもないお達しを受けたこともあり私は剣道部へ入部するわけですが、兄の友人、つまり2級上の先輩から部室に拉致されて何故野球部に入らないのかと延々問い詰められるほど良好だったんです。
なんて理不尽なんだ。
この辺の話は別の機会に深堀するかもしれません。
さて。
兄との関係性が良好なまま私は社会人になり、兄はプロを目指してバンド活動をする傍らでサラリーマンとしての活動も並行して行うことになります。
兄のバンド活動は、最初はマジでクソみたいなもんでした。
吉祥寺からすげえ歩いたところにあるビジュアル系しか使わないようなライブハウスの昼の部で、客が本当に数えるほどしかない中で毎回タミヤのTシャツを着るボーカルがなんかちょっと前に出過ぎるんですよ。
タミヤのTシャツを毎回来ている理由は、そのボーカルがラジコンの腕前が山本昌並みで、全国大会とか出ちゃうレベルだからだったと記憶しています。
曲は結構いい方だと思うけど、ショーとしてはどうなのだろう。
最初のバンド解散から渡りに船のような話が来るまで
そんなことを兄と話しながらも、ボーカルが主導権を握るバンドだからどうにも浮上のきっかけが掴めずに数年が経過し、解散。
兄もボチボチいい歳になってきていまして、さすがにそろそろかなぁと思っていたところで年に一度のヒップホップのイベントで600人くらい集客するMCの人からベースとしてバンドに加入してみないか?という誘いを受けました。
こんないい話はそうは無いです。
だって今までタミヤのTシャツを着たボーカルと閑散としたライブハウスで昼の部にいつも登場しているだけの人が一気に高校の文化祭か!?ってくらいのキャパに立っちゃうわけですから。
ということで兄は何故かこのバンドに加入します。
ここから結構いいところまで行くんです。
最初の1~2年くらいで兄たちがやってた「ミクスチャーロック」、海外では「ラップメタル」と呼ばれるジャンルで日本のトップに君臨している人たちと繋がりが出来、一緒にライブするんですよ。
RIZEとか山嵐とか、宇頭巻って聞いてピンと来たらそっちの音楽結構好きな人だと思いますが、この辺の人たちと結構よくライブしたりDJやったりしてたです。2000年代中期から後期ってこの手のバンドが多かったし、実際シーンも盛り上がっていたんですね。
人の広がりも出てきて、ライブを行うキャパもライブハウスも格が上がってきた。多分プロになるためにリーチ一歩手前、麻雀でいうところのイーシャンテンくらいまでは来てたと思います。
まぁこのイーシャンテンからの二手が恐ろしく遠いことをその後知る訳ですが…。
兄のバンドが成り上がる。そして何故か物書きの私も成り上がる
で。
何故かここに私が絡んでくることになるんです。
兄のバンドストーリーなのに、何故相撲の物書きが出てくるんだ?って疑問に思われる方も多いと思います。
実は先日noteで記事にしたときの話がありまして。
2005年くらいに兄のバンドのライブにサラリーマンが単騎掛けで完全アウェーの状態で行って、恥も外聞もなくメガネを叩き割り、スーツを台無しにし、そして明け方にはダイブまでキメるという我ながらどうかしていることをしたんです。
この時の話を当時よくやっていたmixiに書いたら、何故か兄とそのバンドのメンバーが面白がり始めまして、ちょうど当時アマチュアバンドでも「魔法のiらんど」っていうショボい携帯向けサイトとか手軽に作れる時代だったこともあって彼らもショボいながらもそれを運営していたんですね。
そこで、私が書く兄のバンド全く関係ないmixi日記を転載することになりまして。
まぁこれが20代半ばくらいの頃ですから人のことを平気で傷つけるようなアホみたいな記事ばかりなんですけど、このアホさ加減とコンプライアンスをガン無視してもあんまり問題にならないということが当時の感覚とマッチしていたようで、
「あのバンドは興味が無いけど、あそこで書いてある『NihilなJap”K”』っていうコラムはヤバい」
という評判が立ち始めたわけです。
この謎コラボが思わぬ方向に進み始めて、兄のライブに行くと私は「『NihilなJap”K”』の人」という扱いを受けて、歓待されるんです。
兄のバンドの知名度が上がれば上がるほど『NihilなJap”K”』という名前も上がっていくという意味不明の相乗効果が生まれて、音楽業界でそれなりに名の知れた人と音楽関係ない私が渋谷のクラブでヒップホップスタイルの握手をしながらテキーラを煽りまくるという訳の分からない事態が横行し始めたんですよ。
恐らく兄と人生で最も仲が良かったのはこの頃だと思います。今が悪化したわけではないんですけど、お互いの活動で相乗効果が生まれてヤバいほど楽しんでいたのですから、そりゃ仲良くもなりますよ。
兄のバンドについてWikipediaでページ作るとどうなるか
でね。(やっぱこのフレーズ、note的に超使える)
こうなってくると次に何すると思います?
兄のバンドで更に面白いことしてみようってなるんですよ。
アマチュアバンドで、プロになる二手くらい手前で、でもちょっと考えられない何かをバンド関係ない私が何か仕掛けたら面白くないか?
って思って作ったんですよ。
Wikipediaを。
これね、最初は悪ふざけだったんですよ。プロでもないバンドが果たしてそんなもん作れるのか?って思うじゃないですか。
私もよく分からなかったんですよ。そこまでの知名度が無い人やグループが仮にwikipediaでページ出来たら削除されるようなことになるんじゃないか?ある程度のラインを超えていないといけないんじゃないか?って。
その辺の基準ってよく分からなかったんですけど、もし残っちゃうのであればそれって絶対目を惹くわけですよ。「あのバンドはwikipediaすらある」って。
よし。
これはやってみよう!
…っていうか、皆さんの中でwikipediaで新規ページ作ったり更新したりしたことある方ってどれくらい居ますか?あれ、普段から更新している人ってどんな方なんですかね?少なくとも私くらいしかリアルでは見たことないです。まぁ私もこのバンドしかやったことないんですけどね。
で。
ビックリしたことに、このwikipedia、普通に通っちゃったんですよ。
いつになったら削除されるのかな?ってな感じで最初の1か月くらいはサーバにかなり負荷が掛かるくらいの頻度で見ていましたけど、次第に「消されるかもしれない」っていう発想が無くなっていき、wikiの存在が定着しまして。
こりゃビックリしましたね。私は消えないことにビックリしたし、兄のバンドの名前で検索した人は「wikiあるじゃねえか!」って。誰もがビックリしたんですよ。
歳は重ねても面白いことは出来る
結局兄のバンドは二手先に行けなくて、2011年くらいにほぼ休業状態になりましたけど、まぁこの4年くらいは楽しかったですね。
人間って面白くなってくると、創意工夫の発想が訳わかんない方に行くんですよ。そうすると面白い人が面白い人を連れてくる。人が人を呼ぶ。今のnoteみたいな状況ですよね。
今の私がやってるのって「面白いことをしまくって、画面上からぷよぷよを消してしまうほどの連鎖を作ること」なのかもしれません。
さすがに20代の頃とは違うので、ダイブしたりテキーラ煽ったりするみたいなことは出来ないですけど、年相応の面白いことっていうのはまだまだありそうだなぁっていうことは当時のことを考えると思うんですよね。
だから今日最後に皆さんに言いたいのは…
「西尾克洋」のwikiページ、作ってもいいですよ。
多分消されないし私しか得しないけど。
ってこと。
ここまで御覧いただきありがとうございました。皆さんの兄弟仲やwikipediaに関するエピソード、それ以外にも感想をコメント欄で聞かせてもらえると嬉しいです!
追伸:
10月13日に外苑前で行われる「noteをもくもくと書く会」に参加します。現地にいらっしゃる方が居ればよろしくお願いいたします。
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