インドの音階論と心
古代インド人の興味は、心という内的な世界に向けられ、心を観察し探求していった結果、
ヨーガや禅などの精緻な心理学と方法論を考案しました。
心の微細な揺らぎを観察し、突き詰めていき、結果として、無(ゼロ)の境地、という、人間の思考の届く限界まで到達したのは、人類の思想史上、驚くべきことだと思います。
古代インド人の、このような思想的特性は、インド音楽にも、如実に見ることができます。
インド音楽では、オクターブの7つの楽音に、次のような名前がついています。
サ、レ、ガ、マ、パ、ダ、ニ
これらは西洋音楽の七音と全く同じで、順に、
ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ
に対応します。
西洋音楽と同様に、12の半音がございます。
(当初の古代インド音楽理論では、若干違っていたらしいのですが、現代の北インド古典音楽では、このように運用されております。)
インド音楽(北インド古典音楽)は、即興で演奏されますが、
その際に、一つ一つの音の持つ意味、というか、それぞれの音の持つ独特の風味(ラサ)を大切にして演奏してゆきます。
例えば、サ(西洋音楽のド)は、基礎となる音なので、"大地" と呼ばれます。
その次の、レ(西洋のレ)は、"光" とか "顕われ" と言われ、"太陽"になぞらえられます。
インド音楽では、演奏の前半部では、決まったリズムがなく、非常にゆっくりと、これから演奏しようとする旋法(ラーガ)の一つ一つの楽音を、旋法の構造にしたがって順番に、瞑想的に提示していきます。この部分をアーラープ ālāp と呼んでおります。
アーラープというのはサンスクリット語で、"語りかけること" "お喋り"と言った意味で、
旋法の姿、旋法の表現する音楽的風景や情感(ラサ)を、絵画のように描き出す部分です。
イメージとしては、色や形が奔放に飛び乱れ、交錯しながらも、全体として、次第に一つのまとまったテーマが浮かび上がってくる、印象派の絵画みたいな感じでしょうか。
即興演奏では、まず初めに、基盤となるサ音を提示します。インド音楽では、音を微妙に揺らがすことを好んで行いますが、サ音は例外的に、揺らしてはいけません。不動の大地だからです。
このように、何もなく静けさだった空間に、まず、大地を提示し、
その上で、次の音、レ音を提示します。
レ音は、光の顕れ、や太陽を象徴しているので、
暗闇の中から大地の重く黒々とした姿が次第に現れ出、
ついに最初の眩い光が輝き出る。
朝の空気はまだ冷たく、七彩の雲間から洩れる陽の光は弱々しいが、
それはやがて力を増し、
世界のありとあらゆるものが色鮮やかに照らし出される。
というような、夜明けの情景が表現されております。
と、このように書くと、ではインド音楽は、具象的な絵画、つまり、外界にあるモノを単純に模倣して描く作業に過ぎないのか、と思いがちですが、
これはもう少し深めて考えますと、
何も存在しない無の世界に、
存在したい、あるいは表出したい、
という、存在への希求、のような最初の動きが生じ、やがて顕在化する。
それにより、この世の森羅万象が
意識の中に立ち昇ってくる。
という風に捉えることも可能かと思います。
光あれ!という言葉(音響)とともに始まる、宇宙創生 Genesis の神話を音楽的に描いたものだ、とも理解できます。
そして、その宇宙創生は、実は、日の出、という形で、毎朝繰り返されている。
無から存在が生まれ出る光景を、私たちは毎朝、体験することができます。
しかし、さらに考えを深めていきますと、
実のところ、朝の日の出に限らなくとも、
日頃、何かが意識の中に登ってくるとき、
今まで無かった新しい感覚が私たちの意識のなかに立ち現れてくる瞬間、
新しい宇宙が花開いているのだ、
とも言えます。
インド音楽は、私たちの心の中に、絶えず花開く
たくさんの宇宙の姿を描いているのです。