断想:これ書いてるときものすごく脳味噌がリラックスしているし、楽しいんですよ。
わたくしの綴りたいものの最終形態はまだうまく日本語の体裁をなしていなくて、「ぎぎがあぐわるしゅ」というようなかろうじて擬態で表せる程度なのですが。
その擬態語に比較的近いなと思える表現はやはり昨日投稿した拙作のような、極めて原始的かつ情熱的で第三者の介入を許さないものなんですね。
これ書いてるときものすごく脳味噌がリラックスしているし、楽しいんですよ。
元々あまり集中力もないし論理的に深く考えることが苦手なので、短文で日々創作を続けています。ただ短文ゆえにまあ、総じて制作時間はたしかに短くすみますけど、いっぽうで粗が少しでもあればとたんに興ざめするというリスクも孕んでいるわけでして、その点はけっこう神経を使っているんです。こう見えてもね。
ただ「ぎぎがあぐわるしゅ」に近い、もう作中人物が憑依したカタチで綴る文章はそこに気を遣わなくていいものだから、ほんとにラクでね。
ああでもやっぱり100%憑依、没頭しているわけでもなくそこにシラフの自我というか、まぁ理性ですかね、それが残っているので匙加減、わかりやすく言えば誤字脱字なんかをやりすぎないようにする調整をしているわけなんですな。カッコつけますと文学的な社会性を保つための線引きとでも言いましょうか。
ですからおとといのつぶやきのような葛藤もまたあってですね。
ま、とはいえですよ。そのみんなねえもうちょっとリラックスして、解放してみるといいよ。
もちろん美しい文章には心を魅かれます。極上の日本酒を頂いているような気分とでも表現できますかね。
ただねえ、そんな美しい文章を書くのはもうあちらこちらにごまんといて、それこそプロの文筆家の領域なんですよね。目に見えないライセンスが必要なんですきっと。
拙作の勝手なカテゴリである「薄暗くて滑稽な、大日本末期文学」。これの「末期」というのは、もう手におえなくて誰からも見放されている状態を表していましてね。
ほんとは誰もが人間ならば持っている極めて原始的で野蛮で、社会とはかけ離れた部分、そう、だからその部分の肥大化を仮にほっといたら社会的に死を迎えるわけなんですが、その核を切り取ってね、書いてるとでも言えばいいかな。
そういうのおもしろくない?
まあおもしろいと思って頂ける方が、ごく少数ではありますけど拙作を気に入ってくださるんでしょうね。
いつもほんとうにありがたいと思いますよ。
ええとそろそろまとめます。
1.美文を綴ることは尊いが素人にはなかなか難しいしそもそも目指す絶対的な人口が多いのでたいへん
2.本来であれば文学として成立しないような、もっと言えば正確な言語化すら難しいものを、架空の他人に憑依させてもらうことで吐き出す作業がわたくしにとっては興味深いし心地よい
3.甘くないチューハイとかいつまでCMしてんだ、チューハイなんか飲むやつが甘いの好きな訳ねえだろ甘くないのを待ってた!じゃねぇよメーカー側の都合だろ
ってとこですかね。