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なぜ、良い記事を書く人ほど更新をやめてしまうのか?

「この人の記事、めちゃくちゃ良いな…!」

そう思って読み進めたら、最終更新が数年前で止まってる ってこと、よくあるの。

めちゃくちゃ深いことを書いてる人ほど、ある時を境にスパッと筆を置いてしまう。
それって、なんでなんだろう?


僕の感覚では、「本当に深いことを書いてる人ほど、どこかで書くのがしんどくなる」 のかもしれない。

「書くことがない」のではなく、「書くことがありすぎる」


ブログやnoteを更新しなくなる理由はいくつかあると思う。

ネタが尽きた

飽きた

忙しくなった

でも、深い記事を書いていた人 ほど、「ネタが尽きたから」ではなく、むしろ「書きたいことがありすぎる」状態になっている気がする。

たとえば、最初の頃は「自分が気づいたこと」をシンプルに書いていた。
でも、書けば書くほど、どんどん気づきが増えてくる。

「あれも書きたい、これも書きたい…」

でも、深く考えれば考えるほど、簡単には言い切れなくなるんだよね。
言葉にしようとすればするほど、「いや、この表現じゃ足りない」とか「もっと違う視点もあるよな…」ってなって、手が止まる。

書くことが「ない」んじゃなくて、書きたいことがありすぎて、どう書けばいいのかわからなくなる。
それが、更新が止まる理由のひとつなんじゃないかと思う。

「深く考えること」が、時にしんどくなる


もうひとつの理由は、「書くことそのものがしんどくなる」こと。

noteで書かれてるみなさんとか、きっと文章好きだから、他のSNSの人より深いことを書いている人が多い。そういう人って、めちゃくちゃ自分の内面を掘ってる んだよね。

たとえば、あなたにも心当たりあると思う。

「本当に自分は何を感じてるんだろう?」

「このテーマを伝えるには、どんな言葉が一番いいんだろう?」

「これはちゃんと伝わるだろうか?」

って、ものすごく自分と向き合いながら書いてる。

それって、めちゃくちゃエネルギーがいるし、書くたびに自分の内側をえぐるような作業でもある。
だから、どこかで 「もう疲れたな…」 ってなるのも、自然なことなのかもしれない。

特に、書けば書くほど「自分の未熟さ」に気づく瞬間ってある。
「こんなこと書いていいのかな?」とか、「自分が言葉にするほどのことじゃないのかも…」とか。

そうやって迷いが増えてくると、「もう書かなくていいか…」って気持ちになることもある。

「伝えたいこと」はあるけど、「伝わるかどうか」で、疲れてしまう


深いことを書く人ほど、「ちゃんと伝わるか?」をめちゃくちゃ気にする。

「この表現で合ってるかな?」

「読んだ人にちゃんと伝わるかな?」

「誤解されるんじゃないか?」

そうやって考えすぎて、気づいたら筆が止まってしまう。

最初は「ただ伝えたいから書く」だったのに、いつの間にか「伝わるかどうか」にとらわれてしまう。
そうなると、書くことが「楽しい」じゃなくて「重い」ものになっていく。

結果、気持ちが離れていって、更新が止まる。

「更新されなくなった記事」が、それでも、ずっと価値を持ち続ける理由


でも、不思議なのは、そうやって途中で止まった記事でも、めちゃくちゃ価値があることが多い ってこと。

「この人、もう更新してないのか…」って思いながらも、何年も前の記事を読んで「めちゃくちゃ刺さる…」ってなること、あるよね。

それって、深く考え抜かれた言葉は、時間が経っても色あせないから。

むしろ、「その時点で燃え尽きるくらい深く書いたからこそ、ずっと残る」ってことなのかもしれない。

「続けること」が正解じゃない。大事なのは「一度でも書くこと」

よく、「発信は続けることが大事」って言われる。

でも、本当にそうなのかな?

もちろん、継続は大事。
でも、「ずっと更新し続ける」ことよりも、「どこかのタイミングで、誰かに響く言葉を残せること」 のほうが大事なんじゃないかと思う。

たとえば、もう何年も更新されてないブログでも、ふとした瞬間に誰かが読んで、「これ、すごくいいな」って思うことがある。

「もう書いてないから価値がない」んじゃなくて、その時に書かれた言葉が、今も生き続けてる ってこと。

だから、深いことを書いてた人が更新をやめても、それは「失敗」じゃない。
むしろ、それだけ考え抜いて書いたからこそ、一度でも価値のあるものが生まれたんだと思う。

結局、なぜ「良い記事を書く人」ほど、やめてしまうのか?

まとめると、

1. 書くことがありすぎて、逆に手が止まる
2. 深く考えすぎて、しんどくなる
3. 「ちゃんと伝わるか?」を気にしすぎて、疲れる
4. でも、書いたものはずっと価値を持ち続ける

ってことなのかもしれない。

そして、たぶん「やめる」のも、ひとつの流れなんだと思う。世間では続けたほうが偉いって言う風潮があるけどそれだけではないと思う理由が今日書いた話だ。

人は成長するし、考え方も変わるし、文章を書くことが「必要なくなる」瞬間もある。

でも、それまでに書いたものが、どこかで誰かの心に刺さるなら、それで十分なんじゃないか。

だから、もしあなたが「発信し続けなきゃ」と思ってるなら、そんなに気負わなくてもいい。

大事なのは、「続けること」じゃなくて、「一度でも本気で言葉を残すこと」。

それが、未来の誰かの助けになるかもしれないから。

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長谷部悠斗//お話を聴くひと😽
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