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何度も失敗するダイエットだけど、それがまた味わい深いなぁ

昨日、唐揚げを我慢しようと思って失敗した。代わりに甘いものを食べて、さらにケーキまで手に取ってしまった。「なんてダメな自分なんだ」と思うけど、そんな自分を責めるのはもうやめた。それで面白いことに、こうしてnoteで文章を書いてみて思うと、人の話だったらめちゃめちゃ笑える話にも思えるぞ!ってふうにも思ってきた。

何度も決意しては、翌日に失敗するダイエット。笑

それでも諦める必要はないんだ。


繰り返す失敗には意味がある


一度決意しては崩れて、またやり直して、そしてまた崩れて...この繰り返しって、もしかしたら無意識的に「今の自分を守ろう」としているのかもしれない。「太る自分」でいることが心地いいわけじゃないけど、変わることへの恐れもどこかにある。変化は不安定で怖いから、失敗を繰り返して今の自分に留まろうとしているのかも。

でも、こうして繰り返す失敗も、実はプロセスの一部に過ぎないんだよね。

唐揚げを我慢しようを繰り返したら?


たとえば、「唐揚げを我慢しようと思った」という行動。これだって一歩だよね。そして、その後にケーキを食べてしまったとしても、「ああ、またやっちゃった」と気づいていることも成長なんだと思う。

人は意識しないときにはただ流されるけど、気づいている瞬間が増えれば、少しずつ行動も変わっていくもの。たとえその変化が小さくても、失敗の中で少しずつ進んでいるんだ。

あなたらしさ、一貫性なんて崩していい


ダイエットがうまくいかない理由のひとつに、「一貫性」を意識しすぎてしまうことがある。失敗してしまったとき、「自分らしくないな」と思って諦めてしまったり、「一度失敗したからもういいや」と投げ出したりしてしまう。

でも、本当は一貫性なんて守る必要はないんだよね。「らしくない自分」でいい。むしろ、その「らしくない自分」こそが、変わりたい自分に近づく一歩だったりする。

今この瞬間から変わるんだ


もしかしたら、今この瞬間から全く新しい自分に変わることだってできるのかもしれない。「もう一度やり直そう」と思えたら、それだけで次のステップに進めているんだとおもう。

失敗するたびに、少しずつ「こうすればいいかも」という感覚が見えてくる。その繰り返しの中で、いつの間にか自分の理想に近づいていることだってある。

だから何度失敗しても、それでいい。そこにはちゃんと意味があるし、繰り返すたびに成長している。大事なのは、その失敗の中で「もう一度やってみよう」と思える自分でいることだと思う。

言葉にすると、ダイエットできないのもラクになる


こうして文章にして、人に読んでいただくように書いてみると、自分の中で抱え込んでいた感情や思いが、少しずつ外に出ていくのを感じる。まるで自分の中だけで繰り返していた「囚われ」から解放されていくような感覚だ。

不思議なことに、他の人のストーリーとして見ると、そのチャレンジや失敗もどこか愛おしく思えたり、応援したくなったりする。でも、それが自分のことになると、どうしてこんなにも重たく感じてしまうんだろう。

「他の人なら面白く感じることも、自分だと苦しい。」この差はどこから来るんだろう?

自分ごとだとなんか苦しい理由


多分、他の人の話なら「その失敗もいい経験だよね」とか「続けているだけで立派だよ」と自然に思えるのに、自分のことになると「ダメだな」とか「こんなんじゃ進歩してない」と厳しい目で見てしまうからなんだよなぁ、きっと。

他人の物語には少し距離を置いて見られるけど、自分の物語だとどうしても感情が入り込みすぎる。自分で自分をジャッジして、失敗に意味を見出せなくなる。

でも、こうして文章にすることで、その「感情が入り込みすぎた視点」から少し距離を取れるようになる。書きながら、自分のことを第三者の目線で見られる瞬間があるんだ。それが、ふっとラクになる瞬間で。

文章にすることで囚われがほぐれる


実際にこうやってダイエットの話を文章にしているうちに、「あれ、これってそんなに悪いことじゃないかも」と思えてくる瞬間があった。繰り返し失敗することや、甘いものを食べてしまうことも、「またやっちゃった」と思える自分も、どれもひとつのストーリーの中の出来事なんだって。

他の人のストーリーを聞いて「そんなに気にしなくていいよ」と思えるように、自分にも同じことが言えるんじゃないかな、って。

文章を書くことの面白さって、こうやって「自分を外側から見る視点」を持てることなんだと思う。それが文章の力なのかもしれない。

自分の物語を少しだけ楽しむ


自分の物語に対しても、他の人の物語を読むように「ちょっと面白いな」と感じられる余裕が欲しいんだよなぁ。もちろん、まだ完璧にそうは思えないけど、書いている間だけでも、自分の物語を別の視点から見られるし。

失敗だと思っていたことも、「あ、またこんなことしちゃった」って少し笑えるし、それすらひとつのチャレンジのプロセスだと気づけるから。

文章にして外に出すことで、自分の物語が他の人のストーリーみたいに、少しだけ軽やかになる気がする。そして、読んでくれる誰かに「わかる、私もそうだよ」って思ってもらえたら、それだけで自分の失敗がほんの少し報われるような気がするんだよね。

失敗の連続も、こうやって誰かの物語の一部になっていく。それが、文章を書く楽しさでもあるのかもしれない。

何の話かって?ダイエットの話だった!一貫性のなさも、また楽しいね。

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長谷部悠斗//お話を聴くひと😽
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