感性が光る瞬間には必ず「課題」がある
こんにちは。
牧 菜々子です。
ふとした瞬間に、自分の感性に救われるということがあります。
音楽でも、ファッションでも、車でも、「美しいと思うもの」、「いいと思うもの」がある。
そのことが、自分に力をくれるのです。
ところが、その感性がうまく機能する時と、機能しない時があります。
感性が光る瞬間というのは、必ず、自分の中に「課題」がある時なのです。
心が揺り動かされるものは「課題」によって変わる
たとえば、あるアートを良いと思うかどうかは、その時の自分の課題に左右されます。
将来への不安なのか、幸せに気づくことなのか、弱点を克服することなのか。
自分の課題について、無意識に思いを馳せているから、あるものに触れた時に、感性が光るのです。
世の中で評価されるものについてもそうです。
その時の世の中の「課題」が何かによって、評価されるものも変わります。
人々の感性によって、心が揺り動かされるものというのは、その時の「課題」によって変わるのです。
芸術に魅了される時には必ず課題がある
逆に言うと、その時の課題がわからない場合は、感性を拠り所にするとうまくいきます。
自分の感性によって、心が揺り動かされたところに、実は人生の課題があるのです。
無性にアートに触れたくなったり、芸術に魅了される時には、必ず課題があります。
課題がなくなってしまえば、感性がわき上がることはなくなるのです。
アートの究極の目的はアートのいらない生活を送ること
とはいえ、感性がわき上がることがなくなったとしても、それはそれで良いことです。
課題をクリアしている、もしくは、課題を問題視しなくなっているということですから。
アートの究極の目的は、アートのいらない生活を送ること。
そう考えれば、「常に感性を活性化させてアートを追い求めなければならない」という思考もなくなります。
課題がある限り、人は、自分の感性を拠り所にすることができる。
自分の感性は、常に、自分の味方なのです。