
「わかりあえなさ」は、新しい意味が生じる余白
「わかりあえなさ」は埋められるべき隙間ではなく、新しい意味が生じる余白である。
ずっと、この考えに出会うのを待っていたような気がしました。
ドミニク・チェンさん『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために―』に登場する考え方です💡
おしゃべりする”ぬか床ロボット”「ヌカボット」の開発者として、以前から気になっていたドミニク・チェンさん。
哲学、デザイン、アート、情報学など、さまざまな分野として活躍されている研究者です。
「完全にわかりあうことはできない」前提で
まず、心に残ったのはこの文章です📝
結局のところ、世界を「わかりあえるもの」と「わかりあえないもの」で分けようとするところに無理が生じるのだ。
そもそも、コミュニケーションとは、わかりあうためのものではなく、わかりあえなさを互いに受け止め、それでもなお共に在ることを受け容れるための技法である。
誰かと一から関係をつくる時、「わかりあえるもの」と「わかりあえないもの」で分けようとしていた自分がいました。
「わかりあえないもの」側の他人とは、積極的に距離を取る。
それが自分を守る手段の一つだと思っていたんです。
だから、そもそも「コミュニケーションとは、わかりあうためのものではない」という考え方が自分には無かったのだと、気付かされました。
わかりあえないから、新たな価値に
では、サブタイトルにもある「わかりあえなさをつなぐ」って、どう捉えたら良いのでしょうか?
「完全な翻訳」などというものが不可能であるのと同じように、わたしたちは互いを完全にわかりあうことなどできない。
それでも、わかりあえなさをつなぐことによって、その結び目から新たな意味と価値が沸き出てくる。
わかりあえないからこそ互いに歩みよることで、新しい価値が生まれるのかもしれません。
ものすごく大変な作業だと思うけど。
そのために、人間はコミュニケーションの手段を発達させてきました。
使う言語が異なる人同士で意思疎通するための「翻訳」も、きっとその一つですね💡
埋められるべき隙間ではなく、新しい意味が生じる余白
最後に、大好きなドミニク・チェンさんの言葉をご紹介します📝
いずれの関係性においても、「固有のわかりあえなさ」のパターンが生起するが、それらは埋められるべき隙間ではなく、新しい意味が生じる余白である。
このような余白を前にする時、私たちは言葉を失う。
そして、すでに存在するカテゴリに当てはめて理解しようとする誘惑に駆られる。
しかし、じっと耳を傾け、眼差しを向けていれば、そこから互いをつなげる未知の言葉が溢れてくる。
これまで、「わかりあえない」と感じた他人とは、積極的に距離を取ってきました。
だけど、それって実はすごく勿体ないことをしていたのかもしれません。
言葉を失って、離れることは簡単だけど。
時に、向き合う努力が、わかりあえなさをつなぐきっかけになるかもしれませんね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました🍀