見ゆ季
2020年8月~2021年1月のまなび、 その後のコーチング気づき
写真に関しておもうこと、写真をおもうことで、えられたもの
バリキャリはもとめず、でもマミトラ・性別役割分業にもモヤる、地方の時短ワーママのひとりごと
「子育ては自分育て」。子から頂いたもの、子との暮らしで気付いたこと。
いただいた「すき」の数が多い上位5つ。ありがとうございます!!(不定期に数を基準に中身を入れ替えます)
≪きらきらと 自己紹介の女子たちが 誕生石に不満を述べる≫ 穂村弘 わかるなぁ。私はオパールというちょっと聞きなれない宝石で。 友人はトルコ石で、とても嫌がっていた。石じゃん!て。20数年前。 最近ぱらりと本をめくり、ぱっと目に入ったこの短歌を見たとき、これは写真ではできないのでは、と思った。 (どうだろうか) 実際は過去の記憶。 しかし歌の中では主体として小学生の視点になっている。まるで今のよう。 椎名林檎が「だって写真になっちゃえば あたしが古くなるじゃない」と歌
2023年のありかたは「可愛い子には旅をさせよ」に決めた。 可愛い子=自分、としている。 「自分をあいしながら、新しい世界・経験のないことに踏み出してみたい」そんな気持ちをこめた。トライアンドエラー。 ところで、自分を愛するとはどういうことか。まだ噛み砕けていない。 そんな折、こちらのラジオを聴いた。 自分自身に対し「愛す」というよりは「愛着を持つ」。 愛着とは、何かとともに過ごす中で、日々を暮らす中で。 どれだけ それ が、機能が壊れても、ダサくても、一般的な価値が
ものすごい豪雨で、車から外に出られなかったある日。窓についた雨粒を撮っていた。 自分の指針のひとつにしている言葉がある。 When life gives you lemons, make lemonade 人生があなたにレモンを与えるなら、それでレモネードを作れ この言葉は、色々解釈の幅があると思う。 「転んでもただでは起きない」のような、タフな・強いイメージを持つ方もいるだろう。 個人的には、どちらかというと「勿体ない精神」に近い。 自分の要望・選択の自由なく訪れ
「誰のバチでもない。死ぬのにいい人も悪い人もない。たまたま命を落とすんです。そして私たちはたまたま生きている。」 アンナチュラル 第8話 世界は偶然で出来ている。 化学式のように、これを→こうしたら→こうなる、と決まっている必然や、法則性や、再現性があるとされるものは、実際は世界のうちの一体どれくらいなのかな。 私は趣味で写真を撮っている。その中では、あらかじめ逆算して写真を撮ることは多くないと最近改めて気づいている。(ここでいう逆算とは、この色の服を着て、こんなポーズで
わたしたち 期間限定の なまもの こんなにも 魑魅魍魎の いきもの いつまでも 取捨選択の いきもの くるおしく 期間限定の いまここ
「ひとが輝く」(多くの場合「女性が」で語られがち)という言葉について、もっと自分の体感に心地良い、フィットする「あり方」はないかと思いを巡らしていた。(一応勤め先のダイバーシティ担当でもある) 輝く…光っているように見えるものは、多分二つに分かれる。 ①それが光を反射しているか ②それ自体が発光しているか 生物学とか物理?とか全くわからないんですけど、多分生き物や物体は大半が①なのではないかと思う。 ①なら、それは他からの光をどれくらい反射できるかという話。外からの刺激
手のひらを太陽に 透かしてみれば 真っ赤に流れる ぼくの血潮 ぼくらはみんな生きている 生きているから歌うんだ ぼくたちはいま、どんな歌を歌っているのかな
マインドフルネスを漢字表記すると「念」らしい。いまここの、心。 最近どうにも風ばかり追いかけている気がするのは。実は、風を視ることで、いまここを視たかったのかもしれない。 風は、土や水のように瓶詰にできない。瓶に入った瞬間に、風は風でなくなってしまう。 今も、形状記憶できない。写真にした瞬間に、今は今でなくなってしまう。 流れていないと、風じゃない。くるおしいほど届かないから、掴めないから、追いかける、目を奪われるのかもしれない。 形もない、色もない、影もない。 そん
逆さに数えて残りを測っているの 確と最期から指折たったいままで 使い果たすのさ 今生のすべて さまよえる心よ 振り返る勿れ 終を見据えて命を揺すっているの 音がしたらそれは突撃の合図だと 捕えてみせるさ 逆転のときを かじかんだ体よ 覚醒してくれ 『逆さに数えて』椎名林檎 DIE WITH ZEROを読みました。 いつ元気でなくなるか分からない。いつ何が起きるか分からない。誰も分からない。 死んだ時、死んだ人は何かモノを持って去ることはできない。 それなら、生きているう
3歳娘が、NHKのダーウィンが来た!にハマった。一度録画を見終わっても、また見たい、見たいと繰り返し訴える。 見たいよねー。たのしいよねー。絶対たのしい。私も実は楽しんでいる。 天道虫の「天道」は、テントウムシが必ず上へ上へ移動する習性があることから名付けられたとか、へぇーーーっ!ってなったもん。漢字で「天道」、字面が神々しい。 娘の楽しみは尊重したいけど、夕ご飯を食べるとか、お風呂に入るとか、わたしたち家族の最低限の予定がずるずる後ろ倒しになるのは、私として困る気持ちも
私は本をkindleで買うことが大半だ。あまりモノを増やしたくない。 が、先日どうしてもほしかった本は、2019年出版だけどkindleが無かった。むーん。しかたない。紙の本を買うか。 読めればいい、と古本をAmazonでポチ。 届いた古本。美品。複数人へのインタビューをまとめたものだ。すぐ、まえがきも見ずに、特に気になっていたページを開いた。 「孤独」に関する本。 一部を読み終えて、ふぅと息をつく。今さらながらに表紙からひとつめくると。 サインがあった。 「○○さんへ
トカゲのしっぽって、いいよね。 あぶなくなった時に、ぷちっと自分の一部を切り離せるなんて。 ≪つらいな、あぁ私いま辛いなぁ。 至らないな。もっとこう出来ていたら。 もっとうまくやれていたら。 私がもっと強かったら。 どうして。なんで。≫ 仮定。 あたまの中、ぐるぐる。 うずの中に、いつの間にかたくさんの泡が見える。 私が勝手に作り上げた、私の欠点たち。 欠点など、どう定義づけできるというのだろうか。 世界共通の絶対的な評価指標など、どこを探したって見当たらない。 評
4月。 朝4時後半。レジャーシートを持ってすぐそこの公園へ歩いた。 10分瞑想とストレッチ。そしてぼーっとする。 この時間はまだ吐息が白くなる。 靴下を脱ぎ捨て、素足で草に降りれば。 朝露に濡れて、キンとした冷たさ。 首の後ろの産毛がきゅっと研ぎ澄まされるようだ。 雲雀、燕、雀、烏、鳩、椋鳥の声。 たくさん人がいるのに、望んでいないのに、孤独になってしまう。そんなことがある。よくある。何も珍しくない。有り触れて居る。 ここには。朝には。 誰もいないから、自分でここに
不想忘却的事情 无法忘记的人 写真や写真機は要らないとうたう歌詞によく出会う。 その言葉は、写真はあくまでも道具であるよ、と私に教えてくれる。 五感あっての、心あっての。 受信した時に、まず何がわたしの内側にあるか、それを疎かにしないで、と。 忘れない、とは言っていなくて、忘れたく無い、忘れられない、と言っている、という立ち位置。 プロジェクターはpro+ject。前へと投げるもの。先へと。未来へと。 その過程で、きっと傷の焼き付きを避けることはできない。なら、代償