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可愛い子(自分)には旅をさせよ

2023年のありかたは「可愛い子には旅をさせよ」に決めた。
可愛い子=自分、としている。

「自分をあいしながら、新しい世界・経験のないことに踏み出してみたい」そんな気持ちをこめた。トライアンドエラー。

ところで、自分を愛するとはどういうことか。まだ噛み砕けていない。

そんな折、こちらのラジオを聴いた。
自分自身に対し「愛す」というよりは「愛着を持つ」。

愛着とは、何かとともに過ごす中で、日々を暮らす中で。
どれだけ それ が、機能が壊れても、ダサくても、一般的な価値が下がろうが、傷んでしまおうが。
それでもなお 私の仲間・パートナーである それ と、ここまで来たのだ、時間を思い出を、共有して一緒にやってきたんだ、
という感覚である、と解釈した。

いまの私に響く視点だった。

<病める時も健やかなる時も嵐の日も晴れの日も共に歩もう>
宇多田ヒカル Prisoner of Love

私は自分自身を「お役に立ちたい願望・志向」が強いタイプと認識している。
誰かの役に立って「ありがとう」と言われる自分(そこに居ていい自分)というものは、その様な具体的な行動と関係性を作れば、貢献出来たら、いくらか頂くことができる。

でも、誰の役に立っていなくてもそこに居ていい自分、というものは、私自身が自分に対してそうやって受容することからまず、はじまると感じて居る。

能力があるから、〇〇ができるから、ちゃんと出来たから、頑張ってるから、「ここに居ていい」自分、評価される私、じゃなくて。

調子が良くない時も、かっこ悪い時も恥ずかしい時もみっともない時もずるい時も、必ず私と一緒にいてくれる(離れさせてくれない)存在は誰か。

ほかでもない私ただひとりだった。
生まれた時から今ここまで、この先のどこかまでも。

そういう様々な私自身を、そういうとこあるよね、かわいく思える時もあるじゃない、という立ち位置を持ちながら、2023年も歩いていきます。
何かをなすため、というよりは、生きていくことそのもので自分がどんな「ありかた」が出来るのか。観ていきたい。


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