瞳孔を開いていく(自分のあり方)
「ひとが輝く」(多くの場合「女性が」で語られがち)という言葉について、もっと自分の体感に心地良い、フィットする「あり方」はないかと思いを巡らしていた。(一応勤め先のダイバーシティ担当でもある)
輝く…光っているように見えるものは、多分二つに分かれる。
①それが光を反射しているか
②それ自体が発光しているか
生物学とか物理?とか全くわからないんですけど、多分生き物や物体は大半が①なのではないかと思う。
①なら、それは他からの光をどれくらい反射できるかという話。外からの刺激の反射具合の話?
宝石は、カット面が多かったり、屈折率が高いほど輝く。
であれば、どれくらい多面であるか、どれくらい摩擦で磨かれてきたか、どれくらい紆余曲折したか試行錯誤してきたかで、反射できる光の質や量は豊富になり「輝く」度合いも増すのではないか。
この「輝き方」の場合、私が私の度合いを確かめるためには、鏡や写真や他人からのフィードバックなど、間接的な方法を取ることになる。
②。
発光する生き物といえば。
私の中でいちばんに出てきたのはホタルイカだった。ホタルイカは、何のために発光しているのか。
ホタルイカミュージアムのウェブサイトによると、
「光で身を守る」「光で身を隠す」「光で会話する」の3つの理由があるんだとか。
ここまで書いて出てきたのは、自分(女性)は「光りたいか」「何の目的で」「実際どうありたいか」という疑問。
①のように、鏡や写真や他人からのフィードバックなど間接的な方法経由で、今自分がどうあるのか、を知れるのは人生にとって大きな学びだと思う。
しかし、可能なら私は私が体感/主観で度合いを判断できる手段も持っていたいし、「目的とする体感」について考えてみたい。
ということで、好きなことや楽しいことや嬉しいことや夢中になっている時、私の五感や身体はだいたいどんな感じが多いかを考えてみた。
至った結論のひとつとしては
「瞳孔が開くような感覚(自分の眼がぐわっとするようなこと)がすき」
でした。
あ、瞳孔が開く時って、まさに「目の前の輝きや光をさらに取り入れんとす」時ですね。
今のところは、そんな考え。
よろしければ、みなさんはどんな体感/ありかた を望んでいるか、ぜひお聞かせください。
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