偶然による 偶然のための 偶然の写真
「誰のバチでもない。死ぬのにいい人も悪い人もない。たまたま命を落とすんです。そして私たちはたまたま生きている。」
アンナチュラル 第8話
世界は偶然で出来ている。
化学式のように、これを→こうしたら→こうなる、と決まっている必然や、法則性や、再現性があるとされるものは、実際は世界のうちの一体どれくらいなのかな。
私は趣味で写真を撮っている。その中では、あらかじめ逆算して写真を撮ることは多くないと最近改めて気づいている。(ここでいう逆算とは、この色の服を着て、こんなポーズで、この時間帯に、この方角から……などなどのことを指す)
私の写真への主な姿勢は、
「私たちのコントロール外で生まれ、目の前に偶然出て来た光景を、その時にぱっとお裾分け頂く。意味は見た人が各自見出す」
撮った人間本人も、偶然そこに居合せ、世界からそのシーンをお裾分けしてもらっただけ。
私はその光景を誰かの代わりに撮ったのであり、一鑑賞者でもある。
私の見た光景は私というレンズと写真機がたまたま記録したもので、世界からの預かり物である。
撮った後、一受け手 として、私の中で意味付けを行うことは勿論ある。私の楽しみのために、自分で解釈し味わう。その脳内遊びの機会と時間は、幸い、自分で作ることが出来る。
私たちの影響の輪の外にある、無数の、膨大な変数。その巨大な前提を自分なりに洞察しながら。
同時に、ささやかな自分の内側の意思と選択を観察していたい。そうやって、生活を作っていく・好きな写真を撮っていく。