メーカーズの独特な文化や取組について紹介します
メーカーズ創業からの歴史や代表の考えについて紹介します
最近、1on1ミーティングで 「将来、起業したいのですが」 という話がよく出る。 素晴らしいことだし 是非、そうなるようにチャレンジして欲しい。 でも大切なことは 起業することがゴールではなく 起業した事業が永続して 自分が望む成果を得ることがゴールではないか? という話も必ずしている。 ちょっと乱暴な表現になるが 起業するだけならば誰でもできる。 別に法人設立しなくても 個人事業主としてスタートすれば 明日からみんな社長になれる。 でも、それはゴールで
2024年11月6日に行われました 「第23回メーカーズグループチャリティゴルフコンペ」 こちらの記事でもご紹介させて頂きましたが 331,000円の愛のあるチャリティを頂戴しました。 今年も全額、社会福祉法人さるびあ会様へ寄贈させて頂きました。 で・・・よくあるのが、寄贈したお金ってどのように使われているの? ある意味、ちょっと解りづらい側面あります。 でも、さるびあ会様は毎年、この寄贈した募金を 「どのように使う」「どのように使った」という報告を頂けます。 これ
お世話になっているコンサルが面白い話をしていた。 ホストクラブのホストを育てる方法である(笑) No1になるために必要な要素の話である。 でも、これはホストだけでなく ナンバーワン営業マンを育てる方法でもある。 その答えは「読解力」である。 お客様が聞きたいことや、やって欲しいことを言葉より読み解いて先回りして即時対応できるスキルの事。 そのスキルがあげれば、相手とのコミュニケーションのなかで どうしたいのか?何を求めているのか?を読み取れる。 つまりお客様の「正
店舗出店(3)の続き 砂利の敷地にプレハブ、建築用足場で組み立てたPIT。 そして水道の無い敷地でスタートした店舗。 資金も無いので価格の安い車「のみ」を在庫として販売。 これが、そこそこ売れていました。 やはり、そのような価格帯を取り扱っている販売店は当時、皆無だったのが功を奏したのかも知れません。 ただ、仕入は苦労しました。 当時は九州では福中販(現:JU福岡)、九州中央AA、荒井AA、USS九州くらいしかAAが無かったので、ここではそう簡単に安い車の仕入が出
ケイカフェ運営会社、 株式会社メーカーズのVALUEは「人の集まる場所にする」 ケイカフェも 人が集まる場所にしていくことももちろん ケイカフェがある街も同様に人が集まる場所に ならなくてはいけない。 では、人が集まる場所とは? 人が集まる九ヶ条 人は人が集まる処へ集まる 人は快適な処へ集まる 人は噂になっている処へ集まる 人は夢の見られる処へ集まる 人は良いもののある処へ集まる 人は満足の得られる処へ集まる 人は自分の為になる処へ集まる
福岡・佐賀にて展開をしております 軽自動車専門店のケイカフェ ちょっとクルマ屋さんらしくない名前です。 そのネーミングに由来や、コンセプトなどを 少しお話させて頂きます。 ケイカフェのネーミングの由来 ケイカフェ運営会社でもあります 株式会社メーカーズは、もともと社名=店名で その昔は運営しておりました。 1999年〜ロータリーエンジン専門店 「セブンパワーズ」から社名を冠した 「メーカーズレーシング」として運営をしておりました。 非常に狭いニッチな世界ではありま
店舗出店(2)の続き。 田んぼを埋め立てるのに1年要するので、その横の土地を間借りすることになり、ようやくお店のオープン目処が付くことに・・・ しかし、問題は約一年後には、田んぼの造成が終わり引っ越さなければいけないこと。 いくら隣と言えども移設できないものは廃棄するしかないので、ここでもまたできる限り低コストでお店を作らなくてはいけません。 実際にお金も無かったので、お金掛けられないというのが本音。 まずは建物・・・ 当然、一年後移転を踏まえ、移動可能なプレハブ
店舗出店(1)の続き。 結婚する先方の親御様に安心をしてもらうためにお店を出す決意をした私。 まずは地元で、貸地、貸テナントなどを中心に探し問い合わせます。 でも、想像とは違う答えが返ってきます。 部屋を借りるような感覚でいた私が、自分の力の無さに直面することになりました。 全く相手にされません。 まず年齢、23〜24歳という若さでしたので、やはり事業用物件となれば容易には貸してはくれません。まだチャラい感じ(中身もチャラかったのでしょう)の私は、信用がない!と言
はじめに どんどん豊かな時代になり一生懸命に仕事に向き合わなくても生きている時代になりました。 人それぞれ価値観があるので何が正解なのか? は自分に合った正解を探すしかありません。 なので人の正解は自分の正解だとは限りません。 その観点で読んでいただければ幸いです。 一般的には仕事をしないで生きていけるという可能性は高くはないでしょう。 家が資産家だったり 宝くじに大当たりしたり 投資に大成功したり 油田を掘り当てたり 徳川埋蔵金を掘り当てたり そうでもなければ
創業期ブローカー時代の続き 出店の話をする前に少しだけ、その前1年間の出来事。 1993年くらいの話。 保険研修生を早期卒業という名目でクビになった私。 腰を据えて本業の自動車販売をしなくては・・・と考えていました。 当時から注文車は常に数台抱えて常に オートオークション(AA)で探す毎日。 今ではネットで出品リストが検索できたり、 探している車両を登録してたら、出品されたらアラームがなる。 など至れり尽くせりの時代です。 しかし30年近く昔は、もちろんそんなサー
創業前夜(2)の続き 社名の由来 勢いとやらざるを得ない理由で1991年5月1日 個人事業として自動車販売業メーカーズプロジェクトを創業しました。 社名の由来は、自動車が嫌だったので、それ以外の色々な 業務(プロジェクト)を創り出す!(メーカー) でもメーカーズという複数形にしたのは、辞めるのがゴールと言いながら、どこかで会社を大きくして誰かと一緒に夢を追っていく!という妄想がその頃からあったのかも知れません。 ブローカー時代 とにかく、地元で多少人脈があっても
創業前夜(1)の続き 28歳の共同経営社長と私19歳でスタートした 創業半年の誰も業界経験も無い小さなクルマ屋さん。 私からお金を借り、その後、社用車でメルセデス2台を購入した 共同経営者二人は、残念ながらその後も代わり映え無く 会社にほぼ顔を出さない日々は続きます。 今振り返れば、よくあれだけ仕事したな・・・って 思えるくらい頑張りました。 とにかく一人で切り盛りしていましたので。 で、当時、一番困ったことがお店を空けなければいけないとき。 仕入や外注先に行ったり、
メーカーズ誕生のヒストリー。時間があるときに書き綴ればと思います。 今は2024年9月 今から34年前・・・1989年(平成元年) 昭和天皇の崩御で昭和の時代が終わり、新しい元号「平成」がスタートした年。 当時、19歳だった私は、地元の先輩に誘われて この自動車業界に足を踏み入れた年でした。 少し自分の生い立ちをお話します。 東京にて産声をあげたのが1970年(昭和45年)父親(会長)が転勤族だったので幼少期から全国を転々としており 幼稚園も小学校も幾度も転校を繰り
はじめまして。メーカーズグループ株式会社 代表の白井です。 会社でNoteを運用することになったので、私も記事を書いてみようとなりまずは自己紹介から。 現在は54歳で20歳のときに起業して35年目を迎えました。 「クルマ業界が嫌い」だった私が、なぜ35年もこの業界に居続けるのか?など今後お伝えできたら良いなと思っております。 プロフィール 1970年生まれ 東京都生まれ(産まれただけで記憶無し) 現在は福岡市に在住し、妻と子供3人、ワンコ1匹の家族構成 趣味はヘタクソなゴ