自己紹介させていただきます
はじめまして。メーカーズグループ株式会社 代表の白井です。
会社でNoteを運用することになったので、私も記事を書いてみようとなりまずは自己紹介から。
現在は54歳で20歳のときに起業して35年目を迎えました。
「クルマ業界が嫌い」だった私が、なぜ35年もこの業界に居続けるのか?など今後お伝えできたら良いなと思っております。
プロフィール
1970年生まれ 東京都生まれ(産まれただけで記憶無し)
現在は福岡市に在住し、妻と子供3人、ワンコ1匹の家族構成
趣味はヘタクソなゴルフと、サウナ、たま〜にキャンプ。
幼少期〜学生時代
父が転勤族で、幼いときから全国を転々としてい記憶です。
2年も同じ場所に居ない状況でしたので小学校だけでも何回転校したことか・・・。
小学校6年生のときに福岡に引っ越してきて、そこから父だけ単身赴任となり、ようやく全国転々生活はピリオドを迎える。
なので、友達ができたら転校の繰り返し。
転校生は当時は興味とイジメの対象だったので、毎回、転校するたびにイジメされていたのですが、あるとき、これじゃ嫌だ!と一回り大きな上級生に反撃したらあっさり勝負あり。
そこからの転校は、イジめてくる奴を力でねじ込むことを覚えました。
(時代が昭和ですので)
ただ今振り返れば、幼心で「自分の運命は自分が動かない限り変わらない」という「感覚」を会得できたように思います。
一時期、野球少年になりリトルリーグで頑張るも、転校先にリトルリーグのチームが存在せず・・・
そこから、野球はやめてしまいました。
当時の時代は「真面目」か「ヤンキー」か二択しかないような田舎で育ちましたので、みんなが部活に打ち込むようにヤンキー活動に精を出す日々を過ごした中学生でした。
中卒で社会人へ
先述の通り、真面目にヤンキー活動に打ち込んでいた私は
尾崎豊の譜ではありませんが
「学校や大人たちに縛られたくない〜🎵」状態でした。
高校受験すらせず、いきなり社会人になってしまう。
当時から中卒で働けるところなんて限られていて
ラーメン屋や、ガテン系の仕事(日雇い)
ガソリンスタンドなど、点々としておりました。
そして定番のバイクを乗り回し
好き勝手に過ごしていました。
この頃は一番楽しくもあり
一番、悶々とした青年期だったと思います。
自分が好きで選んだ人生ですが
将来の選択肢が本当に少なく・・・
でも、どの選択もしたくない!って
学も資格も何もないくせに
どうしたいのか・・・
自分の人生が混沌とした未来しか見えない時期でした。
自動車業界で働くことに
昔の先輩から誘われる形で自動車業界へ。
これがこの業界に足を踏み入れたスタート。
このあたりは後日、ヒストリーでも紹介したいと思います。
そしていきなり独立
ここも話せば長くなるので、ここでは割愛しますが
1年ほどで先輩の会社を辞めて独立する…
いや、正確に言えば「独立してしまう」事に。
これが平成3年の春の話。
35年の業界遍歴
最初はお金もなかったのでブローカーで3年間過ごす
最初の結婚を機に、お店を出すことに
お金がないので高い在庫車両を集められず
「低価格専門店」として5年間運営する周りの同業者からは「解体屋か!」と揶揄された
それでも平成8年には2号店をオープン
しかし、その2号店も3年で撤退する羽目に
その頃からREエンジンの取り扱いが少し増えてきた
REエンジンの専門店があったら素敵だな!と思い始め
平成11年に九州初のREエンジン専門店「セブンパワーズ」開設
平成11年にはREエンジンの発祥でもあるマツダお膝元の広島に進出
カーレース スーパー耐久シリーズに自社製REエンジンで全国転戦
狭いREエンジンの世界ではあるが全国区のブランディングに成功
しかしスポーツカー生産中止の波、RX−7生産中止となり時流変化を感じる
このまま突き進むのか、路線を変更するのか悩みに悩み、
平成27年に軽自動車路線に挑戦開始女性が子連れで行ける店舗「ケイカフェ」を平成29年に開設
その後、ケイカフェブランドにて福岡県下に展開
飲食や介護事業など多角化も挑戦するも悉く失敗
子会社設立し自動車業界向けのシステムベンダーとしてスタート
海外へも事業進出挑戦しタイランドとスリランカに現地法人開設
(タイランドは令和4年に撤退)レンタカー事業を本格的に挑戦し、リテール分野(短期)とマンスリー分野で福岡・沖縄にて展開
モータースポーツ
30歳から46歳までレーシングドライバーとして奮闘してました。
実はまさか自分がステアリングを握るとは想像すらしていませんでした。
きっかけは先述のREエンジン専門店を立ち上げた時
当時はショップが「デモカー」という自社の技術やノウハウを
詰め込んだ車両を制作し、プロドライバーがサーキットでタイムアタックをする。
それが専門誌に特集され、良いタイムが出ると
「あそこのショップは速いクルマが作れる」とお客様が来る。
自社も例に漏れず、同じようにデモカー制作しプロにアタックしてもらい、タイム出たぞ〜!って告知したら
地元九州の業界もお客様も「それプロじゃん」って反応…
え?関東も関西も、そうしてるになんで!?
想像するには、九州は当時プロドライバーの数も少なく
プロがタイムを出すのではなく素人がタイムを出さないと認めないよ〜的な風習があったのだと思います。
でも、タイムアタックするって多少のリスクもあるので
お客様やスタッフに「乗ってくれ」とは当時、言えず
だったら「俺が乗る!」となったのが、モータースポーツに足を踏み入れたきっかけです。
その後、草レースから競技ライセンスを取得してJAF公式の地方選手権に出場し、それなりの成績で走っていたからか?
たまたま取引先が全日本GT選手権(GT300クラス)(現スーパーGT)に出場しており、テストして合格したら出場していいよ。というお話を頂戴して
富士スピードウェイまでテストを受けに行った記憶があります。
そこから、全日本GT選手権に出場させて頂いたり
2003年にスーパー耐久十勝24時間レースに参戦させて頂く機会があり
REエンジン専門店の自社はスーパー耐久(通称:S耐)のほうがビジネスシナジーも高いのでは?となってS耐を中心に2016年まで現役で闘いました。
総合優勝なども経験させて頂き、とても充実した時間を過ごしましたが2017年より本業に時間を投下する!と決めてきっぱり引退しました。
2015年〜2016年はGTR GT3にて参戦したのが最後のシーズンとなり、2016年はシリーズ3位という結果が最後の成績でした。
記録の意味も込めて主な戦歴を記載
最後に
自動車業界は嫌いでしたが
私が好きや嫌いではなく、周りの方々が「素敵な業界だね」
と言っていただけるようにしたい!
そう想いを切り替えて、様々なチャレンジを繰り返してきました。
こんな感じであっという間に35年の月日が流れていったとい訳です。
ここに至るまでドラマのような展開もあり、今後、ゆっくりと書き綴りたいと思っています。
100年に一度と言われるモビリティ業界の大改革時代に
しっかりと時流に乗って変化していきたいと考えております。