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店舗出店(2)

店舗出店(1)の続き。

結婚する先方の親御様に安心をしてもらうためにお店を出す決意をした私。

まずは地元で、貸地、貸テナントなどを中心に探し問い合わせます。

でも、想像とは違う答えが返ってきます。

部屋を借りるような感覚でいた私が、自分の力の無さに直面することになりました。

全く相手にされません。

まず年齢、23〜24歳という若さでしたので、やはり事業用物件となれば容易には貸してはくれません。まだチャラい感じ(中身もチャラかったのでしょう)の私は、信用がない!と言われて全く交渉のテーブルさえ座ることも出来ない。

そして業種。
特に中古自動車販売業って大家さんからあまり好まれない業種らしい。

・違法駐車が多い
・騒音がでる
・そして柄が悪い(笑)

なんか全部納得(笑)

でも私はそんなのではないし、ちゃんとします!と訴えても相手にされない。

なら一件一件、尋ねて熱意で攻めるしかない!と思った私は
地元の不動産会社という不動産会社全てに最低3回は訪問したくらいアタックに行きます。

でも、どこの不動産会社も同じ対応・・・全く相手にされません。

でも、当時の知識で不動産会社からの紹介以外に思いつかなかった私は、藁にすがる思いで食いさがります。

「しっかりルールは守ります。私に貸してもらえるところは無いですか?」

でも、相手にはされません。

場合によっては一応、お客様?でもある私に

「あんちゃん。あんちゃんのような若い子に貸せるようなところは無いよ。余所あたりな」

今振り返っても当時の対応は腹が立ちます・・・

でも、それしか手段が無い私は怒りを堪え拳を握りながら頭をさげてお願いを繰り返しました。

でも、全く前には進まない日々が半年くらい続きました。

もうお店は出せないのかも・・・。

ちょっと弱気になってきた頃、もう数度お願いに行った不動産会社を訪問します。

そこの社長も、もう顔みた瞬間に怪訝そうな表情されます

「また来たの?だからこの前の言ったように
 君に貸せるようなところは無いよ」

「忙しいのだから」

もう、そんな応対。

でも、それしかない私は
「なにか、どこか無いでしょうか?」喰い下がります。

「もう来客中なんだから帰ってくれ!」

たしかこんな言葉を浴びせられた記憶があります。

怒りと悔しさと無力感に、うつむきお店を後にしようと背を向けた瞬間でした。

来客用スペースのパーテーションの向こうから声を掛けられます。

「あんちゃん。どこに住んでるの?」

背の小さな、なんか目がギラギラしたオジサンです。

まだ本当にあんちゃんだった私はぶっきら棒に答えます

「あ・・・地元っすよ。」

オジサンは更に尋ねます

「あんちゃんは友達は多いのか?」

なんか訳分からん人から訳分からんことを尋ねられ

また不動産の社長より酷い言葉を浴びせられたこともあり、ちょっと態度も悪く答えた記憶があります

「友達?そりゃ腐るほど居ますよ。」

その答えを聞いたオジサンは、少しニヤっと微笑み私に告げました。

「そうか!じゃあちょっと話、聞こうか」

そして見知らぬオジサンに声を掛けられた私は不動産会社の応接室に連れて行かれることに。

その後に正体を明かしてくれます。

「俺は〇〇市(地元)の市議会議員の●●だ!」

「すこし話を聞いてたけど、あんちゃん、
 お店だしたくて土地探してるんだって?」

「そりゃ、あんちゃんの歳なら簡単じゃねえな!」

「でも、この〇〇市議会議員の俺が、
 〇〇市の未来を背負う若者を助けるってことも出来るぞ」

???暫く頭の中の整理が出来ませんでした。

でも、ピンときました。

「どこに住んでるのか?」→自分の選挙区なのか?

「友達多いのか?」→票はいっぱい持ってるのか?

「困っている若者を」→助けてやるから選挙よろしく!

要はそんなことですよね?頭で想像しました。

事実、地元では自分で言うのもですが、そこそこ顔も広くたくさんの人脈もありましたので、そういう側面では何か出来るのかも知れない・・・

一通り私の想いや計画の話などをしていると、市議会議員の先生が

「よし!なら俺のお袋が持ってる土地を貸してやる」

「ほ・・・本当ですか??」

「困っている若者を助けるのも俺の仕事よ!」

「あ・・・ありがとうございます!!!」

「選挙の時はよろしくな!」

「もちろんです!」

こんな感じだったかと。

でも、よくよく話を聞くと、貸してくれるというその土地

今は田んぼだと言うのです。

なので農地転換(農転と言います)許可や、田んぼに土を入れる(道路より土地が低い)などあるから貸せるのは1年先かな・・・と言うのです。

結婚の許可を得るために、お店を出すのに、そんなに長くは待てません!

俺「いや、そんなに待てないです!!」

俺「なんとか出来ないですか??」

先生「田んぼに入れる(造成する)土をお金を払えば早くはできる。」

先生「でも、そんな金無いだろ?」

俺「はい。ありません・・・」

先生「だったら建設業者から無料で貰える残土でやるしかない」

先生「それは時間は要する」

俺「何かいい手はないですか?」

俺「俺、トモダチ多いっす」

あの手この手で喰い下がります。

う〜ん、と腕を抱えて天井を見上げた市議会議員の先生。

「よし!これでどうだ!」と言い出します。

「その田んぼの横に小さな土地がある」

「そこは造成は済んでるが草ボウボウの荒れ地だ」

「貸す予定の田んぼの造成が終わる一年間ほど、
 そこの小さな土地でやりくりしろ」

「造成が終わったらそっちに移ってもらう」

「あ・・・ありがとうございます!!!ぜひ、それでお願いします」

そんな流れで、造成予定の横の土地、約150坪ほどの場所を
貸して頂けることになりました。

先生「で、敷金とかだけど・・・」

俺「あ・・・俺、金あまり持ってないっす」

先生「え?金無いのに借りようとしていたの?」

俺「いや、その・・・はい。払いたいけど分割でお願いできないですか?」

後出しジャンケンみたいな私のお願いに、
半ばあきれながら諦めたようにこう言いました。

「もう乗りかかった船だ!男、●●に二言は無い」

そう言って、なんと敷金を36回払い分割にしてくれました。

神様、仏様、●●様状態です。

深々と感謝の礼を伝え、不動産会社を後にしました。

何度も断られ、心ない言葉を浴びせられてきた地元不動産会社でしたが

諦めずに、握りこぶし握りしめて廻った結果、
パーテーションの向こうからの声

そして、念願の出店地決定&敷金36回払い(笑)

何か自分で運を引き寄せることができたと実感した1994年の梅の咲く頃。

当初の5年で辞める計画と逆行し、店舗出店というターニングポイントになった瞬間でもありました。

ちなみに、この市議会議員の先生。

当時のメンバーは知っているかたもいるとは思いますが、
今は県議会議員【現役】になられています。
市議の頃から面倒を見て頂き、応援もしてもらい、クルマも車検も利用してくださっています。昔は後援会も加入していました。

会社がその後、成長していく姿を一緒になって喜んでもらい、
感謝しかありません。

もし、あの時私が不動産会社に尋ねていなかったら・・・

もし、その時にその先生がそこに居なかったら・・・

もし、その時に無理難題を言う私に先生がさじを投げていたら・・・

でも、全ての偶然は必然だったのかも知れません。

この頃から「諦めずに喰らいつけば道は開ける」
といった想いが芽生えたのかも知れません。

1年間という期間限定での店舗用地をオープンさせるのも

これはまた苦労しました・・・。

しかもお金が無いなかですからね。

このあたりのお話は次回!

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