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【読書感想文】対岸の彼女はタイトルの回収がすごい。
角田光代著『対岸の彼女』を読了しました。第132回直木賞受賞した作品です。惚れ惚れするほど上手くオチる読みやすい小説でした。
ちょっと感想書きます。
違和感から納得感へ進む作風
本作は小夜子という主婦の悩みから始まる。娘の公園デビューが上手くいかず、近所の公園を転々としながら過ごす日々。家に帰れば妻のことを家政婦くらいにしか思っていない夫に見下される。会えば愚痴ばかりの姑。とても幸せとは言えない今の環境を変えるべく仕事を探し始める。
そして、小夜子の就職先の社長である葵が2人目の主人公だ。葵は小夜子の履歴書から同い年で同じ大学出身であることを知り、即決で小夜子の採用を決める。小夜子が描く女社長のイメージと葵は全く違かった。面接中の明るくて気さくな葵に憧れを抱き、小夜子はこの職場で自分が変われると思った。
本作はここで急に葵の高校時代に遡る。葵はいじめられて転校することになり、その転校先の高校に初登校する日の話が始まるのだ。そこには、明るく気さくで何にも物怖じしない女社長とは全く違くて、内気で弱弱しい姿の葵がいた。
僕は読み進める手が止まり、何度かページを行ったり来たりした。さっきまでの葵のキャラクターとつながらなかった。また別の葵が登場したのかと思った。この後、何度も何度も現在の小夜子の視点と高校時代の葵の視点が行き来しながら話が展開していく。
今と昔の葵の性格の違いに僕はついて行けず、読みづらいと感じた。だけど話は面白くて、この先どうなるのかが気になって読み進めた。そのうち、はじめに感じた読みづらさが「なるほど!そう繋がるのか。」と大オチへと流れ着いていく。
直木賞の講評ではこの作風が評価されていた。芥川賞や直木賞に関しては、ノミネート時点でどの作品が受賞してもおかしくないくらいにどれも面白い。だからこそ唯一無二の作風は最後の一押しになるのではないかと思う。
読みづらさを感じるくらいの突飛な展開から納得のいくラストへ落とし込む。構成と文章を恐ろしいほど作り込んだ作品に脱帽です。
人との距離感
主人公の2人の性格が変わっていく巧みな描写が見事すぎると思ったのに加えて、本書には人との距離感についても考えさせられた。
葵は転校先の高校でナナコと出会い、仲良くなる。葵にとってナナコとの出会いは人生を変えた出会いである。ここで描かれる女子高生の人間模様がアラフォーにはとてもわかりやすいのではないだろうか。男の僕でも学校で見たことがあるような人間関係が描かれるのだが、葵の高校時代の締めくくりはちょっと普通ではなかった。
苦かった若き日を過ごした葵を知らない小夜子は、憧れの葵と付き合っていくうち、ある出来事で葵に嫌悪感を感じてしまう。小夜子は人が苦手な自覚がある。仲良しであっても一定の距離を保ちたいタイプだ。一方で葵は、寂しさを紛らわすかのように誰かとずっと一緒にいたいタイプだ。
僕はすごく小夜子に共感する。人と仲良くなるのが得意ではなくて、明るく気さくで誰とでも仲良くなれるような人に憧れる。または親友と呼べるようなとても仲良い関係を羨ましいと思う。そう思っているのだけど、いざ毎日一緒にすごしたり、毎日連絡くれるような関係になると距離が近すぎてちょっとしんどいと思ってしまう。すごくワガママだ。
人との仲良くなるのが得意じゃない人の多くは、コミュ力高い人に憧れてるんじゃないかな。未就学の時から友達が多いほどよい人生のような教えがあるから、それが脳裏にこびりついてると思う。いわゆる陽キャと呼ばれる人になるべし、と教え込まれているし、それが幸せであるかのように映ってしまう目を持っているのだと思う。
最近僕が思っているのは、誰とでも仲良くなろうとする必要はなくて、趣味が同じ人を探すべきだと。趣味と括ってしまうと「その趣味というものを持ってないよ」と言いたくなるかもしれない。「映画」とか「サッカー」とか大きく括るのではなくて、「『対岸の彼女』を読んだ人」とか「角田光代さんの作品が好きな人」とか、思っている以上に小さな括りで話せる人を探せばいい。Twitterを使えば簡単だ。
少し話が飛んでしまったけど、『対岸の彼女』は他にない作風で女子の人間関係について描かれた、とても考えさせれられる作品でした。
これをきっかけに読んだのなら気軽にコメントくださいね。