もう一人の自分あらわる
こんばんは!
まいのすけです。
今日は連投に、なるか。
朝はトイレで書いてみて、
夜はお風呂で書いてます。
どっちが捗るか、試しています。
お風呂は寝る前だし、スマホOFFしたいと思って辞めてたんだけど、
湯船に、スマホを持って入って、noteを開いたら、かけそうな予感がして。
書いてる時のエネルギー量や熱のこもり具合って、
思いの外、誰に届くか、どこまで届くか、みたいな、
的や距離にものすごく影響してる気がして、
お風呂はなんだか、気持ちの良い文がふわふわ、つるりと、浮かんでくる気がするので実験です。
今日パート中のトイレで思った
"なんか最近、わたしもう一人いる!"って。
(不思議ちゃんじゃないよ〜笑)
『自分を律する人』がいつも横にいる。
監督兼、マネージャー、真面目で厳しくも、
わたしのためを思ってくれる、そんな人。
毎朝、日課になってきた歩くことも、
三日坊主が関の山かと思いきや、
二週間続いてる。
早起きするために、前倒してやるべきことを遂行するぞ!と意気込む声が聞こえてきて、
この一連の流れも、
"律する人"の助言のおかげで、なせる技だ。
以前までのわたしは、
上部分の、【やらねば】の、律する部分は、意思薄弱で、
ゆるっと、楽で心地よい、【やりたい】の、下部分に重きを置いて生活してきたように感じる。
楽で心地よい、癒しや、気分転換が、優先の世界は、思い返してみれば、そこにとどまり安心できることに甘えた、現状維持でもある。
その心地よさに浸ることで、満たされていく心と身体を大切にすることが、わたしの中で、一番に採用されていた。そんな時間が必要だった。
それが変わったのは、
朝早く起きる、歩くようになって
それを続けていくことに、もっと壮大な心地よさを感じたから。
身体が朝から動くこと、そうするために自分で自分に環境を用意してあげられたことを、自分がとても喜んでいること。
何より体力づくりという長いスパンでの自分への投資に、日々取り組むことを、楽しいと思えるようになったこと。
跳ね返ってくる結果を、もっと良くなれる明日を、わたし自身が本当に望むようになったこと。
『まず、やるべきことをやってね』
『動くのよ、さっさとね。』
"律する人"は、今日も言う。
何かを選択をする前に、目の前にふだを持った"律する人"が現れては、
どちらの道を選ぶか、あなたの良心はどちら?
本当にあなたにとっての最良?
今それを選ぶってどうなの?
と
投げかけてくるのです。
現実化するナイト
そんなイメージがしっくりくる。
癒しのベースは終わったから、
そこのベースから足を踏み出して、あなたの思うことを具現化しようと
もっと羽ばたけるよ、もっと思ったことを現実に創造していこうと、
力強く叱咤激励してくれる、わたしの中の"律する人"
やっぱ不思議ちゃんかな〜笑
でも、本当にいる気がします、横に。
お風呂の書き心地は良好です。
noteは風呂で書け、かもしれません。
ぐんない。
読んでくださってありがとうございました○