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巻き込まれそうになったら心の距離を置こう

たとえば朝のラッシュでトラブルの声が聞こえてきたとき、
たとえば職場の近くの席の人達から、険悪な雰囲気が漂ってきた時など。
そういう出来事に遭遇すると、突発的な事故のように当事者でなくとも心が巻き込まれてしまうことがある。

昔の私は、自分には関連が無いのにひどくムカムカして、どちらが悪いとか頭の中でジャッジし始めたりしていた。
気が付けば、望んでもいない嫌な気分に長い時間浸っていたりして。そんなことが多かった。
いつもしっかり精神的に巻き込まれていた私。
気を抜くと頭の中でジャッジが始まってしまう事は、今でも勿論ある。


けれど、やっと気が付いたことがある。
嫌な出来事について、ジャッジしたり考えたりしている時間は、
積極的にその出来事を自分の両手にぎゅっと掴んでいるようなものだということに。

「それはいらない」と気が付いて、手のひらを広げて掴むのをやめない限り、その気分に浸り続けることになる。嫌な出来事について積極的に考えている間は、その出来事に自分を縛り付けているようなものだと。


今は、昔ほど精神的に巻き込まれなくなってきた。巻き込まれても、もとの平常心を取り戻すスピードが早くなったと感じている。

たとえば「わたしの心は、それらに巻き込まれる事を望んでいません」と、祈るように自分に言い聞かせることもある。
祈るというと大袈裟かもしれないけど、物理的に素早くその場を離れられない時は、
そのようにして心だけでもチャンネルを、反らすように合わせないようにしている。それだけでも、気休めのようでいて随分違うものだと感じたから。

職場なら、可能なら少し席を立ち、飲み物を取りにいきがてら深い呼吸をひとつふたつ。ふう~っ…と。
精神的に巻き込まれてハラハラしてしまった自分の心を、なだめるような選択をとる。時間にしてほんの3分でもいい。自分の心を嫌な気分から意識して離してやり、もとの平常心に戻すようなイメージ。
職場内だとして、自分が役に立てそうなことがあるならば、
平常心にもどってから冷静に関わったほうが、きっとより良い結果になるに違いない。

昔ほど精神的に巻き込まれなくなってきたのは、そうやって
“出来事について頭の中で考え続ける”or“気分を変える”という2つの選択肢があるなら、意識して後者を選ぶと決めているから。
回避行動を自分の為にとる事を大切にしている。だって、望まない気分だもの。自分の心を救うのは、自分で出来ると知ってからのこと。

自分の心や気分を自分で守れるようになってくると、
副産物的に、そのゆったりとした平常心は、誰かの心の助けになる時だってあるかも知れない。
「しんどい気分のときも、この人と言葉をかわすと何だか楽だなあ?」みたいに。

いつも平常心ではいられない。けれど、気分を変えたいと望むときは
「それなら、どうしようか」を考えることにしている。

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