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先生と私〜バレー部顧問編〜

私には恩師と呼ぶ2人の先生がいます。

高校のバレー部の顧問と高校の校長先生です。

どちらの先生にも大変お世話になり、たまに夢に出てきます。

高校バレー部の顧問が夢に出てくると、ほとんど先生は怒っています。
「なんでそのプレイなの!?」
と椅子を蹴ったり、怒りながら近づいてくる姿は割と鮮明に覚えています。

そんな顧問の先生に、私はめちゃんこ感謝しています。高校時代に社会人になっても大事な事をいっぱい教えて頂いたからです。

春に開花するために冬に努力をする


高校バレーは、全国大会が年に4回あり、中でも大きい大会は、インターハイ春高バレーです。全国のバレー部がこの大会に出ようと練習してきます。
私達は山形県代表として春高、インターハイに出場し、全国ベスト16になりました。そして創部初のインターハイをかけた大会で県・東北優勝した時は、めっちゃんこ嬉しかったです。ただ、その嬉しさは高校バレー生活のほんの一瞬で、ほとんどの時間が、練習・努力といった地味で大変で目立たないものでした。
「練習したら100%上手くなる」訳ではないのは分かってはいました。が、上手くいかなかったり、試合で負けたりすると「こんなに頑張ってなぜ勝てない?なんでプレイが変わらないんだー」と拗ねかけ、自主練とかも辞めようと思った時期がありました。そんな時、練習後に顧問から呼び出しがありました。「色々怒られるのかなぁ〜」と思っていたら

「花は春に綺麗に咲くだろ!実は咲いてない時期の方が長いんだ。お前らも一緒。努力はいつか必ず開花するものだ」

意外な言葉すぎて涙がでました。大会で勝ったり、いいプレイができた時は、賞賛や満足感があり気持ちがいいものです。ただ、その賞賛の裏には諦めずにコツコツやってきた努力が隠れているのです。
いつか開花する「才能や成果の花」を育てるのは日々の努力なんだと気付かされました。
その後は、反抗した時もありましたが、家での自主トレ、練習を欠かさずにやり、高校3年生のインターハイで、御校初となる全国ベスト16になりました。本当に運が良かったと思いますが、努力が身になる経験をする事ができたのは先生の言葉のおかげだと思っています。

集中すべき事は、試合に勝つために重要な事!苦手な事じゃなく、得意な事で勝負する


私のポジションは「セッター」でした。
※アタッカーにボールをあげる人、別名:コート上の王様(ハイキューより)
セッターは普段は縁の下の力持ちですが、単独で攻撃できる時があります。それは「サーブ」です。私の高校では、歴代のセッターは「ジャンプフローターサーブ」をしていたので、私も練習しました。が、どのジャンフロもまっーたく上手くいかないのです。30分してもサーブが入らず「これは、終わったな〜」と焦っていました。が、顧問が笑いながらこう言いました。

「まい!これはお前の得意なサーブじゃないんだ!お前はサーブよりトス回しや攻撃を磨いた方がいい!」

集中すべき事は、試合に勝つために重要な事!
苦手なサーブよりも私が得意な所を伸ばすのに注力してもらった事は、とてもありがたかったです。結果、鬼のトス練習が始まりました。

応援される自分・チームになれ!


当時のバレー部は、創部7年目で春高に出場し始めたベンチャー的な部でした。地域からの認知度も上がってきた最中でしたが、「ヤンキー高校」の印象が強かったです。
私達バレー部にも少しやんちゃなメンバーもいました。そしてある時、地域の方から学校に問い合わせがありました。「コンビニや路上で大盛り上がりをしている男女集団がいた。その内1人はテレビで見た事のあるバレー部の生徒だった。教育はどうなっているんだ。」という電話だったそうです。顧問の先生は部員全員を呼び、こういいました。

「バレー部は全国にでるようになり、ありがたいことにTVをみたりして応援してくれる方もでてきた。自分の行動でバレー部全体が見られている。いい行動をとっても、悪い行動をとっても。プレイだけではなく私生活も見られてるいるし、全てが自分やチームのブランディングになる。今からでもいい、応援される自分になれ!」

先生は奈良県出身で、うちの高校には校長のスカウトで就任したそうです。後々聞いたのですが、創部したての頃は、学校内の他の部活との体育館や宿舎の調整、他学校との練習試合の申し込みなど成果が出ていない事もあり色々苦労したそうです。また、先生の奥さんは、全国制覇してプロになった方なので、私達に自分の実力だけではなく「応援される人間性」の大切さを教えてくれたのかもしれません。社会人になり改めて「応援される人間性」の大切さが分かりました。

ちなみに当時の部則には下記がありました。
・お礼は3回(直後、メール、またお会いした時)
・挨拶やお礼は丁寧に元気よく
・テストで赤点はとらない
・体育館の出入り時は挨拶する
など

咲くべき場所で、咲くべき時に咲く

3年目の夏、大きい大会が終わり、いよいよ進路決めになりました。私は看護大学を受験する事を決めました。表向きには「資格を多く取りたい」と伝えましたが、本当は大学に入り遊びたかったのです。バレー部の先輩はほとんどバレー推薦での大学入試をしていたのであまり前例がありませんでした。私は「国立県立看護大への推薦入試」か、「一般入試」で大学に入る事になります。正直前者で受かるだろうと思っていましたが、勉強の世界は甘くないと過去問を開いてわかりました。なので、こんなに机に座った事がないくらい勉強し、国立県立私立の推薦入試を2校受けました。結果は落選、、、
一緒に受けた友達が受かって私だけが落ちる経験もしました。残された道は一般入試です。「一般受験なんて間に合う訳ないじゃん、、、部活頑張った意味、、、終わった〜」とめちゃ泣きじゃくったのをおぽえています。受かると思っていたので、大会にでるために東京のホテルにいたのですが、そんな私を見かねて、先生は不二家に連れてってくれました。ケーキを食べながら一言。

「咲くべき場所で、咲くべき時に咲くものだ」

当時は「私が咲くべき場所ってあるんでしょーかー」と半信半疑でした。
が、勉強して何とか私立の看護大学に合格しました。私立は学費が高いので親は少しまよってましたが、奨学金をかけもちしてでも行きたいと親を説得して入学しました。今思うと、先生がおっしゃった「咲くべき場所で、咲くべき時に咲くから〜」の通り、私が咲くべきいい大学で、楽しい生活と友達に出会えたと思います。そしてこの言葉は転職をする時も、やりたい事が分からなかった時も、失恋した時も背中を押してくれた言葉の一つです。

私は、当時の顧問の先生と一緒の33歳になりました。33歳で、noteを通じて先生の記事を書いているのが嬉しくもあり、不思議な気持ちです。
大学に入り、社会人になり色んな友達ができました。人それぞれ色んな青春があり、色んな経験を積んで今があると思います。
私もまだ30代なので今後も色んな出会いや経験をして、人生を楽しんでいきます。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

少し漫画のハイキュー語録もいれたのでリンク貼ります。

遠藤まい

◎遠藤まい
山形県出身、東京在住10年目の33歳
看護師・保健師の免許をもち、10年間病院勤務
病院では循環器や学生指導に関わりました。
小3〜高3までバレーボール生活、大学で美容やおしゃれが好きになりました。
健康や美容、読書、カフェ巡ってます
Instagram→→https://www.instagram.com/mai.e0624/

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