木刀少女と呼ばれて
こんにちは、遠藤です。
前回の記事に引き続き、高校のバレー部の頃のお話です。
うちのバレー部の顧問の先生は、バレーが本当に好きです。私達が勝つためにいろんな奇策を生み出します。今思うと「良くやってたなぁ〜」と時代を感じ、笑っちゃう事もいっぱいありました。そのうちの1つのエピソードが「木刀少女」です。
全てはここから始まった
うちの先生は発想が豊かです。
インターハイ予選が終わり、夏休みに入る前の練習中、体育館に校長先生が来ました。
校長先生は長年男子バレー部の顧問をされていた方で、私立の男子高校バレー会の中では少し名の知れてる方でした。
校長先生と顧問の先生がトスについて話しているようでした。そんな時、急に呼び出しがかかりました。
ん??何に使うのか知らされないまま、剣道部の先生の許可を頂き、素振り用の木刀を1本お借りしました。顧問に渡すと笑いながら一言。
私も、聞いていたバレー部員も、ぽかーん。。
ただ顧問の先生は大真面目です。
校長先生と話して、私のジャンプトスを安定させるために素振りで筋トレをする策を編み出したのです。何という奇策、、、バレー部で木刀を振るってる人は見た事がないです。
これが木刀と私の出会いで、全てはここから始まりました。
意外と重いんです
先生考案の筋トレメニューは、
「1日1000本振る事」
でした!
振り方も先生のこだわりがあって、必要な筋肉(手首や上腕三頭筋かな?)を意識して振り方を考えたようです。
木刀は1.0kg弱あり、振ると意外と重いんです。
しかも手首のスナップをきかせると木刀の重さがより腕全体に響きます。
1日1000回は結構きつかったです。
途中で「私は何をやっているんだろ、、、」と自分を見失う事もあります。ただ、この素振りで筋肉がつけばもっと上手くなると私も先生も信じていたので、恥ずかしさもありましたが木刀を毎日振りました。
バレー部?
練習後、実家に木刀を持ち帰ろうとした時、ふと思いました。
「どうやって持ち運びしたらいいんだろ、、?」バックにも入らず、入れ物も何もないので、結局裸のまま持ち歩く事になりました。
「あの女子高生、何者なんだ??」
帰りの電車の中、いつも以上の視線を感じました。今思うと、"バレー部の練習着を着た短髪の女子高生が木刀を持ってる"、、、違和感の塊です。
たまたま一緒の電車に乗っていた友達から「何があった?」と聞かれ、理由を話すと大爆笑されました。
そして、家族にも家でトレーニングする許可をとらなきゃ入れないので、何と言われるか不安でした。
意外とノリキでした。
父も母も大爆笑です。
お婆ちゃんも一緒に住んでいたので、お婆ちゃんにもトレーニングする事を伝え、お婆ちゃんからも許可をもらいまさた。ただ「重くないの?」などと心配そうな目で見ていました。
そして木刀生活1週間が経った頃、お婆ちゃんからあるプレゼントをもらいました。
「毎日持ち運び大変だと思って、木刀いれる袋作ったから!」
手作りの木刀入れを貰いました。家族総出で木刀を受け入れてくれてありがたかったです。
相棒誕生
こうやって、木刀と私の共同生活が始まりました。初めはクラスでも話題になり、浮いていた存在だった木刀でしたが、私が木刀を持ってる事に皆んな慣れていきました。
そして、バレー部内でも木刀を振る私の姿が当たり前になっていました。放課後の練習後はもちろん、土日の練習試合や合宿、大会にも持ち運びして、暇があれば隅っこで振っていました。
先生からも
と良くチェックが入ったので、通学・遠征の時はら忘れずに持っていく癖ができていました。
何度も思いますが、今思うと「本当によくできたなぁ〜」と思います。
もちろん修学旅行にも持っていきました。バレー部では修学旅行中もボールの感覚を忘れないためにバレーボールを持って修学旅行に行きます。私の場合は、ボール+木刀でした。広めのホテルだったので振り放題です。
肌身離さず持っていたので、バレー道具と同じぐらい愛着が湧いてました。最初は嫌々だったものが、なくてはならない存在になる、まさに相棒です。
木刀少女と呼ばれて
木刀生活も半年が経ったころ、友達にポロっと言われました。
上手いこと考えたなぁ〜と思いました。当時の私は、短髪だったり、アドレナリンがガンガン出ていた事もあり近づけない雰囲気をまとっていたと良く言われます。更に木刀も持ち運ぶようになったので「近づくなオーラ」が増したと後に友達から言われました。が、そのキャッチコピーがあると「おもしろい!」となり少し近づきやすい存在になるそうです。。。
「木刀少女」という名は、親にも顧問の先生にも知れ渡り、大爆笑され、しばらくは部活内だけではなく学校中から木刀少女〜と呼ばれていました。
別れ
そんな中あっという間に時が経ち、高校3年生のインターハイ予選が始まりました。木刀生活の効果があったのか、県大会で優勝し、初めてインターハイに行く事になりました。
そして木刀と一緒に臨んだ初めてのインターハイ、大会中もお守りのようにベンチに置いてありました。木刀が見守る中、初めてのインターハイは全国ベスト16という創部初のタイトルでした。
悔しくもあり嬉しくもあったインターハイが終わり、先生から「木刀トレーニング終了」を言い渡されました。
「木刀少女生活」は1年2ヶ月。
インターハイ後の練習からは、木刀を持ち運びしない生活になりました。最初のうちは何か忘れ物した感覚で違和感だらけ、寂しさを感じました。
なんだかんだで、卒業式前に剣道部に返却したのですが、卒業式で友達や先生と別れるのが悲しいくらい、木刀との別れも悲しかったです。
めちゃんこキツかった「素振り」も終わる頃には少し楽に出来る様になっていたので筋肉はついたのかな〜と思います。今思うと、別メニューのトレーニングもしていたので、トスの安定に木刀トレーニングが効果的だったかは不明です、、、
人生ネタづくり
今年の一月にバレーボールの大会で先生が東京に来られていました。差し入れを持って会いに行き、現役バレー部の高校生や卒業生と1時間くらい話しました。部員それぞれに色んなエピソードがありましたが、話していて改めて、「厳しい指導」から「楽しむ、自分で考える、主体性などを伸ばす指導」へ変わっているなぁ〜と感じました。そして先生から木刀の話がでて「時代ですねー!」と大爆笑でした。
当時は笑えない事が今はいい思い出です。
こうやって自分の人生を振り返った時、人に話せるネタがあるのはありがたいなぁと感じています。今の悩みや挫折、苦労、挑戦、全て最後はネタとして笑えると思うと少しポジティブになれました。
最後まで、お読み頂きありがとうございます。
遠藤まい