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[日日月月]8月11日、多忙な夏に訪れた少しの合間に本の備忘録を

この連載は…
八燿堂の中の人、岡澤浩太郎による、思考以前の言葉の足跡です。まとまらないゆえとっちらかってますが、その過程もお楽しみいただけましたら

集落でトンボが飛びはじめ、朝晩は秋の虫が鳴きはじめた。
急に多忙になった夏の、エアポケット。読んだ本の備忘録。

ティック・ナット・ハン『私を本当の名前で呼んでください』(島田啓介訳、野草社)

ティック・ナット・ハン『私を本当の名前で呼んでください』(島田啓介訳、野草社)

しばらく前に読んだ本だったが、ふと本棚を眺めたら、目が合ったので。

禅僧、ティック・ナット・ハンのことは、共生革命家のソーヤー海くんから教わった。ティック・ナット・ハンたちが建てたプラムヴィレッジのことを聞いたのが最初だったと思う。

訪れてみたいな、と思いつつ、多分、基本的にコミュニケーションは英語だろうから、あきらめている。

それはさておいて、この詩集は、数あるハンの著作のひとつだが、詩という表現フォーマットが禅の思想を表すのにとても適していると感じる。つまりは、西洋的二元論や科学史観とは別のところにある、自他の区別や、生と死が、めぐる世界観。

愛すべき人よ
恐れがあるならいつでも大地に触れよ
しっかりと触れるとき
悲しみは溶け去るだろう
しっかりと触れるとき
あなたは不死に触れるだろう

ティック・ナット・ハン『私を本当の名前で呼んでください』(島田啓介訳、野草社)

不死に触れるとは何か。単に大地が、自然が、人を癒すというだけではないはずだ。土のなかにある、無数の生命の循環を体感するとき、傷という心身の縛りから自らが解き放たれ、いずれ自分が消えていくことすらも、喜んで受け入れられる。そんな体験ではなかろうか。

恐れとは、所有の概念と結びついている。しかしそもそも、人間はなにを所有できるというのか。そのような思考の設定から解き放たれたとき、私の「本当の名前」が現われる。

そろそろ時代が追い付いてきたのではないだろうか。


山田塊也『アイ・アム・ヒッピー 日本のヒッピームーブメント史 '60-'90』(森と出版)

山田塊也『アイ・アム・ヒッピー 日本のヒッピームーブメント史 '60-'90』(森と出版)

この本は、八燿堂のポッドキャスト「sprout!」の第1回で、長野県・北相木村の井出天行くんに取材したときに教わった、『NO NUKE ONE LOVE いのちの祭り '88 Jamming Book』(プラサード書店)という本を読み、そこから派生してたどり着いた本だ。

私はドラッグを嫌悪していて、絶対にやらないから、ヒッピーのことは避けていたし、どこか嫌悪していたと思う。だから若い頃に抱いた反体制的な思想も、ヒッピーではなく左翼方面と結びつけていた。具体的には、「LOVE & PEACE」ではなく「闘争」、「レイヴパーティ」ではなく「フリージャズ」だった。

しかし家族ができたあと、体制と戦うことの意味を感じられなくなり、ならば自分で生きていく術を見つけたいと、東京から長野に移住して自給生活に挑むわけだが、まったく同じことを50年前にすでにやっていたのがヒッピーだったと、この本で知ることになる。

「土から生まれ、土の上に何を建てるわけでもなく、ただ土と共に在り、土に帰っていく社会」と、二十二年前、「部族宣言」に書いたとおり、[…]自由と愛と自然を求めるフリークな若者たちの流れは、決して絶えることはないだろう。それは常により低きへ、より本源へと向かって流れる永劫回帰のロマンチシズムであり、虐げられ、賤められてきた生きとし生けるものの魂の復権運動でもある。

山田塊也『アイ・アム・ヒッピー 日本のヒッピームーブメント史 '60-'90』(森と出版)、

ところで、東京から八ヶ岳山麓に移住した、雷赤鴉族のことは、長野県の富士見町で展示が行われてたという報道で知ったのが先だったが、知ったときには展示はもう終わっていた。

こういうニアミスが多いのが、本当に憎い。だが時間的なギャップがあってこそ、自分に受け入れられる用意ができたのだ、と考えることにする。

あんなに避けていたヒッピーのことを、あらためて読むと、不思議なほどの共通点に気づかされる。特にヒッピーの思想の根本的な部分にある、「非暴力」がそれだ。

「戦争反対!」と叫ぶとき、人は「戦争」と敵対している。たとえ敵対した相手に勝利したとしても、敵対するという思考回路がそのままである限り、新たな敵をつくりだしてしまうだけだ。ただ叫び、戦っていた頃の自分にこれを伝えても、わかってくれただろうか。

そして「東京から八ヶ岳へ」という地理的な事象。自分がいま長野にいるということに、どこか彼らに導かれたような気さえする。そして彼らがその後全国に散り、子孫たちが生き生きとしていることを、自分には伝える役目があるのではないか。そんな気さえしてくる。

過去の先人たちの試みは、なぜ成就されなかったのか。そしていま、何かを試みるとき、過去の歴史から何を学べばよいのか。それを伝えるこの本は、だから未来のための本なのだ。

一見、つながりそうもないこの2冊が、こうしてみるとよくよくつながっていることを、わかってくれるだろうか。


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