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”幸せ”とは与えられるものではなく、自覚するものである

「幸せ」って一体何なんだと思いますか?

「幸せ」ってどうやったら手に入ると思いますか?


まひろ(筆者)は心理学を10年間勉強し、人間という生き物を知るために多くの時間を費やしてきました。例えば心理学で僕が何ができるのかというと、わかりやすいのでいうと催眠術とか。

なんかテレビとかでやっているのを見ると胡散臭さを感じてしまうのですが、催眠術って昔から正確には心理学と違う催眠学という分野で研究されているのですが。

まあそんな細かい事はどうでも良いので置いておいて、この催眠術ってめちゃくちゃ面白いんですよね。

こういう話をすると大体の人は

「絶対嘘でしょ〜。じゃあかけてみてよ?」

とか言ってくるし、僕は催眠術は女の人にしかかけない主義なのですが(隊はありません。)こういう人に限って面白いぐらいかかるんですよね。※相手の同意を得てます。

それで催眠が深くなってくると

「あ、もう君足動かないよ?」

って言うだけで固まったりするんですよね。(笑)※相手の同意を得てます。

その他にもエロい催眠とかもあるのですが、これはこのコンテンツの秩序的に話さないでおきましょう。※相手の同意は得てます。


と言う感じで、そんなまひろは心理学をたくさん勉強してきたのです、もちろん勉強したのはエロい催眠術だけではありませんよ。

僕は人間という生き物自体についてたくさん思考する時間を費やしました。


その中でも本日は「人にとっての幸せ」についてお話ししていこうと思います。



心理学歴10年、まひろです。

僕の記事では心理学を10年間勉強することによってわかった、人間の本質的な行動原理である「自然の法則」を元にビジネスメソッドの発信をしています。

要するにまひろは心理学の知識を使ってビジネスのやり方を発信している者です。



まずまひろが考える”幸せ”とは一体何なのかということを僭越ながらお話しさせていただくと「幸せ」とは人間が生きる理由だと思っています。

そして幸せとは与えられるものではない、自覚するものである。と僕は考えています。


これはまひろ(筆者)が良く記事でお話しすることなのですが


僕達、人がやる事やなす事は基本的に絶対的な意味がありません。

いくらお金を稼ごうが、モテようが、充実した毎日を送ろうがそこに絶対的な意味はない。悪く言ってしまえば、仕事も恋愛も生活も勉強も僕達が生まれてきてからやった事やなした事、生きてきた事はただの自己満足に過ぎないということです。


だからどれだけ人生を頑張ろうが頑張らまいが、言ってしまえば全ての人の人生の価値は同じ。

例えば一生ニートで親の脛をかじり散らかして人生を過ごしたAさんと、会社を起業して経営者になり充実した本気で駆け抜け続けた人生を過ごしたBさん。変な話ですが、この二人の人生の価値を比べても全く同じです。

なぜなら先ほどもお話ししたように、最初から僕達がやる事やなす事に意味はないのです。ならば人生をどれだけダラけようが頑張ろうが、どちらも無価値な事には変わりありません。

いくら自分の人生で仕事を頑張ろうが、お金を稼ごうが、モテようが、生活が充実しようが、ニートの人となんら人生の価値は変わりません、残酷な世界ですが。

だからこうやって生きている意味なんてこの世に存在する誰にもないのです。


だけれども、生きている絶対的な理由は存在します。

僕達人間は「生きて何になるか」という生きる意味は確かに持っていないのですが「何のために生きるのか」という生きる理由は持っている。


その理由は何なのかというと、人生に生きてて良かったな幸せだなと思える「面白い事」「楽しい事」を経験したり作り出す事。

別に僕達、人はわざわざ辛いことや苦しいことを経験したり作り出したいわけでも、退屈でつまらない人生を送りたいわけでもありませんよね。

だから例え頑張ろうが頑張らまいが人生の価値は変わらなかったとしても、人は人生を頑張れるんです。

決してそこで頑張らないという選択を取る事は悪い事ではないし、間違えでもない。

でもそんな事は誰しもが簡単にできる事なんですよね。自分ができるとわかりきっていることをやって何が楽しいのか面白いのか、僕は1ミリも理解できない。


そして、多かれ少なかれみんなもそう思うから、人それぞれの尺度で人生を頑張るんですよ。毎日働いて、お金を稼いで、恋愛をして、遊びに行って、生活を充実させて。

この記事を今読んでくださっているあなたもそんなあなたらしく人生を頑張られて、面白い人生を送ろうと努力されている、そんなとても素晴らしい方の一人です。


だから人の人生を1冊の本だとすると、仕事を頑張るAさんの本もニートのBさんの本も「本」自体の価値は同じです。

どちらも同じ紙でできて、同じインクで文字が綴られた同じ1冊の本ですから。この2冊の本を比べても「本」自体の価値は同じ。


じゃあ何が違うのかというと、その本の中に何が書かれているかということです。

そして僕達はその本の中身を書く作者です。

どうせ本を書くなら誰しもつまらない話よりも面白い話を書きたいものですよね。


こうやって、確かに僕達人間風情に生きる意味なんて大したものはありません。

しかし生きる理由がある、人生に生きていて良かったな幸せだなと思える「楽しい事」「面白い事」を経験したり作り出したりする、というね。


ということをよく僕は自身の記事でお話しします。まひろの記事を普段から読んでくださっている方はよくご存知だと思います。


だから最初の質問に答えるとすると「幸せ」とは人間が生きる理由そのもの。

そして人間が生きる理由とは先ほどもお話ししたように、人生で「面白い事」や「楽しい事」を経験したり自分で作り出したりする事です。


でもこれってどうやったら手に入るのかというと、自分から探しに行って手に入れるしか方法はないですよね。

「経験」や「作り出す」という行動は自分がやろうと思って体や頭を動かせなければできないことです。幸せは自分からそこにあると、自覚しようとしなければ手に入らないんですよね。


だから「幸せ」は誰かが与えてくれるものでもなければ、自分が動かずに得られるものではない。


幸せとは与えられるものではなく、自覚するものである。


だから僕はこうやって考えています。


環境に不満を言ったり、いつも何かにいちゃもんをつけて愚痴を吐いている人っていますよね。

しかしそう言う人に限って「幸せになりたい」って言うのですが、そう言う人は幸せになる事は一生できません。

なぜなら結局どんな恵まれた環境に行っても、またそう言う人はどこかにいちゃもんを探したり、愚痴を探したりするだけだからです。自分が傷ついたり大変な思いをしたくないから、周りの環境や人間のせいにするだけ。

逆に、幸せを自覚する環境や人に不満を感じない人間はどんな環境に行っても自分が自分であることを忘れない。それが自信や人としての魅力に繋がり、またそれが周りの人間に影響を与えたり、他人を魅了したりします。


だから自分が「幸せ」を自覚しようと変われば、別に環境や周りの人間に左右されず人は幸せになれるものなんですよ。


そしてだいぶん上の方でも書きましたが「幸せ」とは人間が生きる理由そのものです。

幸せを感じられると言う事は生きる理由が強くなると言う事ですから、人生ももっと頑張れるようになります。

そして人生を頑張れるから恵まれた環境になっていき、そうすると「幸せ」をもっと感じるから生きる意味が強くなり…

こうやってプラスのサイクルに入っていきます。

だから結局どのこの環境にいて、周りの人間がどうととは関係がないことで、自分がどうかのその一点ができていればきちんとそう言う人は幸せになるようにこの人間社会は上手くできています。


まひろは記事を読んでくださった一人でも多くの方がもっと幸せな人生を送れるように日々応援させていただいています。


それでは、最後まで読んでくださりありがとうございました。

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まひろ
もらったら社会貢献のためにユニセフに募金します。 ※こいつは嘘をついています。募金せずに帰り道でコンビニに寄ってたばこ買うに違いありません。

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