
AIに小説のプロットを展開してもらったけど結局は方向性の確認作業
詳しくないから何も分からないけど、AIと著作権っていうのはかなり複雑な話なんだろうと思う。
こういう話が読みたいな、と思ってAIに質問してみたら、画面の上ですらすらと小説のプロットが出来上がっていっておどろいた。
1.すごいなあ。
2.やっぱりこういう話は感動するなあ。
3.面白い。
それがプロットを読んだときの感想だった。
1は、AIの精度の高さに感心して出てきた感想だ。
2は、確認のようなものだ。
こういうとき、こうだよね。という、自分が想定する展開との整合性を確認する作業。
これはつまり、自分と多くの人々との間で、物語の展開や、登場人物の思考に【ギャップがないか】をジャッジするようなものである。
ありがちな展開を自分が考えているのだと認識できる機会ともいえるが、あまりにも自分の想定と出来上がったプロットに差が生じている場合には、奇抜な発想を自分がしようとしている、ということかもしれないし、良くも悪くも読者を置いてきぼりにする可能性もある。
とはいえ、先が読めすぎてしまう話もそれはそれで退屈と感じる場合があるので、その辺りのバランスは非常に難しい問題である。
が、今回は私がただ、こういう話が読みたいな、と単純に思っただけなのだ。
読者が〜、というのはつまり私のことであり、これでは私が、自分で想定して自分で読むことについて語っているということになる。
あまり深く考えると思考の迷宮に入り込んでしまう。
3は、一連の出来事に対する感想で、その場で出来上がったプロットを、その場で読むという行いそのものに、面白さを感じた。
これはこれで、何かしら学べるものがあったかと思う。
面白いな、私もプロットを作りたいなどと刺激を受け、私がもしもその様式を倣った場合、私は実際どの様式を倣っていることになるのだろう。
人間の様式に合わせて作ったAIの文章に合わせて作った人間の文章、が出来上がるのだろうか。
さすがに要素がてんこ盛りすぎるので、いくらざっくりとこういう話が読みたいな、という考えがあったとしても、忘れずに人間の文章も読んでおきたいと思う。
すでに人間でなくとも、【疲れました。でも楽しかったです。】みたいな文章も作れてしまうのかしら。
とにかく以前にも増して、時代が進んでいくスピードは早くなったように感じる。
これから音声配信がより人間らしさを感じられるツールになっていくのだろうか。
その壁をも将来は超えていくかもしれない。
何をもって【人間】と考えたらよいのか。
あまり深く考えると思考の迷宮に入り込んでしまう。
だからか。
私は今、部屋の中に居て、スマホを片手にこの文章をタイピングしている。
寒いので暖房を入れており、設定温度は24度だ。
時刻は5時18分。19分になった。
まだ朝日は顔を出していないようだ。遮光カーテンで覆われた窓の外を覗いてみたが、どうやら外は薄暗いままである。
ほんのりオレンジ色に光る明かりの下に私はいる。
お腹は空いていない。冷蔵庫を開けても今日は大したものは入っていない。
飲み物はある程度、充実している。
すぐ近くにテーブル兼作業台。
置かれたグラスにカフェインレスのコーヒー。ミルク入り。
そして3DSLLとゲームソフト。Nintendo Switchのコントローラー。
自分がいる。
こんなところに。
そうだったのか。
人間の文章は、こうすると書けるってことなのか。
それもまた、面白いな。
カーテンの隙間から光が差し込んでいる。
もう夜が明ける。
おい、飲み物飲んだらカルピスウォーターとファンタグレープを炭酸水で割ったやつだったぞ。(!?)
コーヒーは1杯目に飲んだやつだっただろ。
おはようございます。ぼけてます。人間だもの。
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