水槽に鏡を沈めると、デカルトが青ざめ、ボクは背伸びをしながらタコを考える
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昨年12月頃に読んだ本の、今さらの感想文です。もしご興味あれば。
「哲学と宗教全史」 出口治明 2019 ダイヤモンド社
でかい本です。A5ハードカバー450ページ超、税込2620円、大きさとタイトルの重厚さの割に若干お安いです。売れると踏んでの価格設定でしょう。そして10万部以上売れたようです。ビジネス書大賞の特別賞だそうです。各界論客、有名書店員が大絶賛です。
無意識やら脳科学を起業の軸にしている自分にとっては、哲学と宗教はそれなりに勉強しておかないといけません。という動機もありますが、哲学、宗教、大きくて厚くて高い本には、ある種の誘惑があります。読めば賢くなって、読む前の自分とは違った自分になれるのではないだろうか、と考えてしまいます。
著者は生命保険会社出身で実業家の肩書きですが、歴史にも詳しい人です。著者の日本史の連載を、雑誌で読んだことがあります。非常にわかりやすく、時には関西弁で要点をまとめたりするところに好感がありました。
この本も非常にわかりやすかった。知識を得るには、とてもわかりやすいです。ただ、これは自分の問題ですが、どの章も、そう言えば昔なにかで読んだなー、あーそうだったそうだった、という思い出す感想が半分くらいあったのです。
ボクは哲学やら宗教やらを今まで何度も、「賢く」なろうとするために本で勉強していたのですね。それがほとんど身についていなかったことがわかりました。
たぶん5年くらいして同じような本が書店に並んでいたら、また買ってしまうかもしれない。哲学とか宗教はそういうものなのかな。いつまでも背伸びをさせようとする分野だ。
本にも書かれていて、他でもよく言われていることですが、構造主義が出現して人間の思考パターンは出尽くしたとのことです。もう30年以上、ポスト構造主義は何なのかも、よく言われています。
AI、脳科学、そして無意識が関わってくるのでは、と我田引水的に考えてしまってます。
「魚にも自分がわかる」 幸田正典 2021 ちくま新書
鏡に映った自分を見て、それが自分と認識できるのは、類人猿や象やイルカ、一部の鳥など頭の良い動物だけ、という定説を完全に覆してしまった研究の紹介です。なかなか痛快でした。
鏡に映った自分のアゴに、寄生虫らしきものを見つけたら、岩のある所へ行って、アゴを擦って取り除こうとし、また確認のために鏡を見に戻ってくる、などの行動が魚にできるのです。これは、鏡の自分が自分と認識できている証拠だそうで、画期的なのだそうです。
魚類研究者からは大絶賛、類人猿研究者からはイチャモンの嵐だったようで、それはそれで人間的です。哲学者たち、特に人間以外は精神を持たないとしたデカルトは、この研究に対してどう思うでしょう。著者もデカルトを持ち出して哲学的な考察をされていました。
実験によると、チンパンジーでも魚でも、鏡を見たら、最初は自分の知らない他者だと思って、興奮して攻撃をします。しばらくすると落ち着きだし、映っているのは自分ではないかと疑っているかのように、口を開けたり、上下逆さになるなど普段はとらない行動をし続け、ついには自分と認識できるのです。
その中で、どうやら自分と判る瞬間は、急に訪れる、つまりは「ひらめく」瞬間があるらしいというところまで、研究はきているのです。
徐々に自分とわかるのではなく、そうか!、こ、これは、オレなんだ!という瞬間があるのだそうです。様々な行動の量を計測していると、それらがある境に急に変化するのです。
これはなかなか示唆に富んでいます。著者は触れられていませんでしたが、魚類にも無意識があって、無意識が考えて結論を意識に渡している可能性が考えられます。また我田引水だ。
その他、タコは鏡を見ても最初から興奮も攻撃もしないなどの実験例がありました。もしかしたら、タコは普段から鏡無しでも自分を見ることができていて、初めて鏡を見ても、即座にこれは自分だと認識できているんじゃないでしょうか。タコは体全体が脳かもしれないという説をどこかで読んだことがあります。あの擬態能力って、目だけでできているとも思えません。
とにかく、いろいろ知的に興奮させられる本でした。それではまた。