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06.14

たまに思い出す風景というのがある。
それは決まって、仕事帰りの夜道が多い。
大抵そういう日は、仕事ですっかり疲れ切ってしまっていてどこか遠くを見つめながらぼんやり歩いている日が多いように思う。
周りからみた僕はきっと危ない人に写っているんだろうなと思ってしまう。

でも、そんな時によく思い出す風景がある。
それは、ヨルシカのライブ終わりの風景だ。
友達と2人、客席からライブ終わりでせわしなく出口へ向かうたくさんの方を見ているあの瞬間。
もちろん、ステージ上には主役の方々はいなくて、ライブ演出を手伝ったステージセットがそこにあるだけだったのは覚えているが、ただセットがあるだけではなかった。
そのライブのテーマをピアノで表現した音楽が流されていて、僕にはその一曲がどうしても心に残ってしまった。

ライブの余韻っていうのも確かにあるんだろうなっていうのはすごく思う。
というのも、ライブが終わったあの時、隣にいた友人とどんな話をしたのかはもうすっかり覚えてはいない。
けれど、確かに「よかったね。」「うん。」とかそんなことを話してお互いがお互いにぼんやり余韻に浸っていたんだと思う。
だからこそ、席をすぐには立つことはできなかったのかな。

そんな、あの瞬間をふと思い出すときがやっぱりある。
疲れ切った仕事の帰り道、夜道で街頭の灯りだけが照らしてくれる帰り道。

思い出してしまうのは、やっぱり友人とあんなふうに時間を共有したいというのがあるのかもしれない。
すっかり、ライブが終わってからは連絡がお互いにとれなくなってしまっているっていうのも、そういうことなんだろうかと今では思ってしまう。

だから、先日友人に連絡を取ってみた。
これもヨルシカがきっかけではあるけれど、「チノカテ」の一曲をモチーフにされたジッドの「地の糧」を手に取る機会が偶然あったからだ。

「あの本、読んでみた?」

「いや、うまく繋がらないけれど、ああいう本を理解できるようになりたいよね。笑」

「間違いない。笑
実はいま、並行して海底二万里読んでるよ。」

「お、どこまで読んだ?」

「ネモ船長がまだでてきてないくらいまで。笑」

「いや、なかなか登場してくれんもんね。笑」

久しぶりに友人の声を聴いた。
仕事が忙しい。
仕事で手一杯だから日々を忙殺。
それでも確かに日常は充実はするんだろうとは思う。
趣味が仕事なんだよって教えてくれた上司が確かにいるようにそれは人それぞれなんだとは思う。

でも、僕は友人との時間も大切にしたいというのはやっぱりあって、それは確かになにかと仕事に言い訳をつけてただ過ぎていく日常を淡々と過ごしてしまっていた自分がどこか心の中で今回でいうと"ヨルシカ"のあの一瞬を思っていたからなんだと思う。

でもね、ひとそれぞれ楽しく生きていくのが一番いいよねっていうのも根本的にはあるわけで、そこには人それぞれの価値観っていうのが強く影響しているんだろうなって思ってる。

まぁ、でも僕の場合は久しぶりに連絡を取った友人とのあの瞬間がとても楽しかった。
何してた?何か本読んだ?とかそういう話。
それも僕には必要だったんだと思い出させてくれるきっかけを毎夜の帰り道であたえてくれるヨルシカには感謝したい。

あ、話がまとまりつかなくなってきたのでここらで失礼します。

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