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脱イージーモード

こんにちは、みらいろです。

今日のテーマは「ハードモードを選ぼう」だ。

あなたはどちらの人生を歩みたいだろうか?

イージーモードか、ハードモードか。

イージーモードでは、必要最低限の衣食住が手に入り、安定した生活を毎日送れる。自分の好きなものを買って、酒や、タバコなどの嗜好品をたしなむことができる。平和で穏やかな暮らしが担保されているが、そこに変化はない。

一方で、ハードモードでは、大変な努力を要したり、借金を背負ったり、人に裏切られたり、殴られたりするかもしれない。想像もつかない波瀾万丈な人生が待ち受けている。もちろん、何か大きなことを成し遂げるかもしれないし、何も手に入らない可能性もある。

もう一度問おう。あなたはどちらを選びたいだろうか?

「人生そこそこ楽しめればいいや」と、楽に生きる道を選ぶだろうか。
それとも「俺はハードモードで生きたい」と、かっこつけて言うだろうか。

ぼくの予想では、「最初からイージーモードを選ぶ」タイプの人が7割、「ハードモードに挑戦したいと思っていても、イージーモードの誘惑に勝てない」人が2割。そして、ハードモードを選んでいる人が1割。

つまり、人生に対して何ら希望や特別な意味を見出していない人と、向上心はあるけれど、ハードモードの人生に耐えられるか不安や恐れを抱いている人または行動できない人が、大半を占めていると思っている。

ぼくはハードモードの人生を生きたいと、少しでも思っている人に拍手を送りたい。実際にやっているかどうかを別として、成長したり、困難に立ち向かおうと思っている証だからだ。

でも、我々がハードモードを生きている人を見たとき、「こいつは宇宙人だ」「天才だ」と思って、「自分には無理だろうな」とハードモードを諦めてしまうのかもしれない。

なぜなら、自分には到底実現できそうにないことを、難なくやってのけているように見えるからだ。「実現できそうにないな」と目に映る時、大体の場合、自分がそのステージに立てていないだけだ。順に階段を上っていくと、同じことができるようになっているというのが、ぼくの考えである。

レベル1の初心者が、レベル100の玄人の一挙手一投足を理解できるわけがない。一方で、レベル99の超上級者がレベル100の玄人を観察した時、自分と大きな差あれど、決して人外であると思う事は無いだろう。

ハードモードで生きている人も同じだ。

その人たちは、これまでの積み重ねによってハードモードを生き延びる術を身に付けただけである。我々は人間なのだ。能力や才能の差は努力によって何とかなることが多い。だが、イージーモードに慣れてしまった人から見たら、無理だなと思ってしまうのだろう。

かくいう僕は、イージーモードとハードモードの間で反復している気がする。この記事は自戒でもある。人間の心は弱い。舗装された綺麗な道があったら、そこを通りたくなってしまう。でも、そんな人生で満足するだろうか。僕はきっと満足できない気がしている。いばらの道とはよく言ったものだ。傷だらけになってでも、険しい道のりを進んでいきたい。

脱イージーモードへ。プルスウルトラ。

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