徹底した客観性

批評家という特定分野の情報のプロが厳しいわけ

https://note.mu/lingualina/n/naaafe36b8006

これって先日、会田誠に対して言った「独立性」の話につながる。

つまり日本では「徹底した客観性」を持つ事を軽視している、意味がないのだ。

その上で「徹底した客観性」に価値がなくお金にならない。

だからインディペンデントである事が不可能で、

何かしらの相互依存、いわば「村社会」によって相互評価し、

お互い褒めちぎり合うという文化なわけだ。

東京五輪のエンブレムでもそうだが、

デザイナーがデザイナーを選ぶという歪な評価制度、権威主義が、

この現代でも一般的である。

芸術の世界も、

例えば画壇では芸術家が同じ村の芸術家を評価して、

同じ既得権益を分かち合うという構図なのだ。

すなわち価値担保が身内なのである。

このような当たり前の事実を広めていかなければ、

本当の意味での多様性、多様な世界は生まれないし。

それは日本全体にとって不利益だと僕は考えている。

美学者母

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